第3話ゾンビが追ってくる


 乙成と残業した日から、俺の周りが落ち着かない。


 結局次の日も乙成はいつも通りで、前日に見せた動揺もなかったかの様に普通に仕事をしていた。

 ゾンビ化の謎は残ったままではあるが、俺もこれ以上乙成に絡む事はなかった。


 が、


 最近、視線を感じる。それは仕事中もさることながら、昼休みも帰宅途中もだ。そしてその原因は分かっている。


 乙成だ。


 なんか知らないけど、あの残業した夜以来、乙成がめっちゃこっち見てくる。観察は俺の領分だった筈だが、何故か今は俺が乙成に観察されている。


 もしや……次のゾンビ化のターゲットにされてる?


 うっかり噛まれたりして俺もあんなんなったらどうしよう。そんな不安が俺の頭をよぎった。

 ゾンビ乙成は神出鬼没で、そして絶妙な距離感を保って俺を見張っている。これだけ聞くと、俺が乙成の気配に敏感な様に見えるが、実際は全くそんな事ない。


 乙成はめちゃくちゃ隠れるのが下手くそなのだ。例えば昼休みにコンビニに行くと、商品棚の影に隠れながらこちらを見ている。いや、隠れてはいない。殆ど出てる。何度か目も合ったが向こうは気付いていない。こんな事が何度も続くと、俺の方が気を使って知らないフリをしてやらなきゃいけない気持ちになってくる。


 先日は帰宅途中の駅で、あと一歩の所で俺にバレそうになっていた乙成は、慌てて引き返したもんだからオジサンと衝突しかけて危ない所だった。このままだと無関係の人が危ない。


「なぁ、あれ何?」


 今日も今日とて乙成の尾行は続いている。流石の滝口さんも気が付いた様だ。帰宅する俺達を追って、今日は何故か帽子を目深に被り、サングラスまでかけて電信柱の影から俺達を見ている。


「いや、なんかよく分かんないっすけど……」


「お前何かやったんじゃねぇのぉ? だから知らない奴と不用意に遊ぶなとあれほど……」


「いやいや! 遊んでないし! ってか滝口さんあれが誰だか気付いてなかったんすか?」


 ここにきて滝口さんの天然というかバカが炸裂した所で、俺はあのつけて来る相手が乙成だと滝口さんに説明した。


「あぁ〜いや帽子被ってたから気が付かなかったわ! でも何で乙成が?」


 そう言うと、滝口さんは乙成の方をわざとらしく覗き込む様に見た。まだ気付かれていないと思っているのか、乙成は電信柱の影で必死に平然を装っている。


「なるほどなるほど……よし、分かった! 前田、オレに任せておけ!」


「は? 滝口さんどういう……」


「お前は何も、気にする事はない。オレに全て委ねればいいんだ……」


「えっ、あ、ちょっと滝口さん……」



 行ってしまった……。滝口さんは何かを企んだ様な顔で、必死に電信柱と一体化しようとしている乙成を捕まえると、そのまま二人で歩き去って行ってしまった。



 次の日。


「まーえだ! 昨日の件で、オレが話をつけてやったぞ! 屋上へ向かうんだ!」


 何だか楽しそうに満面の笑顔で滝口さんが話しかけてきた。多分、この人はなにか凄く勘違いしている気がする。


 俺は言われるがまま、滝口さんに背中を押されて屋上への階段を無理矢理登らされた。

 屋上の扉を開けると、蒼天の空の下、ベンチの前で佇む乙成が目に入った。


「いやぁ! こーゆう事ならオレに任せろって! つまりはそういう仲なんだろお前ら? 全く、人がセッティングしてやらないと禄に話も出来ないなんて、とんだお子ちゃまだぜ」


「いや、滝口さん何か誤解して……」

 

「じゃあオレは戻るから! しっかりやれよ?」



 腹立つキメ顔をかまして、滝口さんは屋上の扉を閉めて出て行った。やはりあの人は俺が思っている以上にアホなんだと思う。きっとそうだ。


「あ、あの……」


「!!」


 滝口さんへの怒りで、乙成がいた事をすっかり忘れていた。


「前田さん、怖がらずに聞いて下さい……」


 ジリジリと、乙成がこちらに近付いてくる。逃げ道は確保した。最悪戦闘になっても、何とかなるか……?いや、武器がない。マチェーテとかその辺に転がってないかな。それかライフルとか。せめて罠でも仕掛けられれば何とか逃げ切れたかもしれないのに……!

 くそ! 俺はなんで武器がそこら辺に転がっている世界線に生まれて来なかったんだ!

 

「やっと……やっと見つけたんです……」


 

 く、来る……!



「その声で私を浄化してくれませんか?!」



「……」


「……」


「え? 何? 声? 浄化?」


 噛まれる、と俺が身構えた瞬間、乙成から出た言葉は意味不明なお願いだった。

 

 声で浄化? さっきまで雰囲気たっぷりで、こっちににじり寄って来ていたのに、急に何を言い出すんだ?


「あの……驚くかもしれないですけど、私、ゾンビなんです!」


「……はい」


「あれ? 驚かないんですか?」


「気付いてました」


「ええぇえぇ!!!!」


 乙成は驚いて漫画みたいに勢いよく後ずさった。なかなか良いリアクションするんだな。


「な、なんでそれを……?」


「いや普通気付くっしょ! むしろなんで気付いてないと思った?!」


「だって……会社のみんな普通に接してたし……滝口さんだって……」


 本気でみんな気付いてないと思っていたんだ。いや、ある意味正しいか。俺以外は普通に接してたんだもんな。


「まぁ滝口さんはアレだから……で? 何なの? さっきの」


「うん……やっぱり思った通り。私の思った通り……」


「なんか怖いから一人で勝手に納得しないで!」


 駄目だ。なんかボソボソ言いながら全く人の話を聞いていない。どっかの名探偵みたいに顎に手を置きながら、ベンチの周りをウロウロしている。


「おーい……」


「ハッ! す、すみませんつい……」


 そう言うと、乙成はポツリポツリと話出した。


「私……大好きな乙女ゲームがあるんです」


 ……ん?


「それで……その世界に転生しようと思って」


 んん??


「色々試みた結果ゾンビになっちゃったんですーーーー!!!」


「えぇーーー!!!! って言うと思ったか?! 一から十まで意味不明だよ!」


 つい大きな声を出してしまった。何言ってるんだこいつは。


「私にも分かんないんです! なんか身体が変な色になって腐りだして……顔もこんなに……」


「わ! 前髪めくらないで! キモい!」


「わ、私も困ってるんです! このままだと本当に自我を失った彷徨えるモンスターになってしまうんじゃないかって!」


 乙成が半泣きで訴えてくる。なんかちょっと気の毒になってきた。


「キモいなんて言ってごめん、普段面と向かって暴言は吐かない様にしてるんだけどつい……それで、浄化っていうのは?」


「そうでした! ゾンビ化してから、色々な書物を調べて読み漁ったりしてみたんです。でも、どれも創作物の中のものばかりで、ゾンビ化を治す方法が分からなくて……そんな時! 先日ついに活路を見出したんです!!」


 乙成が俺の手を掴んだ。前にも思ったけど、ゾンビの手って温かいんだな。


「それは前田さんの声! 先日、前田さんに呼び止められたあの後、私の手にあった傷が綺麗さっぱり消えたんです! 嘘なんかじゃないです! その日朝霧さんに心配されてハンドクリームを渡されるくらいに、もうぐっちゃぐちゃで! 見て下さい! 全然傷ないでしょう?!」


 見ると確かに乙成の手はササクレ一つない綺麗な手だ。思い返せばあの日、俺からアクリルキーホルダーをひったくった手は、確かにボロボロで所々に絆創膏を貼っていた。


「確かに……てか、朝霧さんハンドクリームって……ゾンビになってるのは気付いていないのに手荒れは気付くのかよ」


「私も不思議だったんですよねー朝霧さんって普段しっかりしているのに、たまに天然な所があってちょっと可愛い……」


「いや、ほのぼのしてる場合じゃないよ! 声で傷が治るなんて非現実的な話、誰が信じられるか! 俺はそんな話を聞いてる程暇じゃないんだ、帰る!」


「あ! ちょっと……!」


 扉へ向かって歩き出した俺を、食い止める様に乙成が走ってきて目の前に立ちふさがる。扉の前で両手を広げて、俺を行かせまいとしている姿は真剣そのものだった。


「待って下さい! これが本当だって証明してみせます! この台詞を読み上げて下さい! 気持ちを込めて!」


「は?」


「いいから!!」


 渡されたのは一枚の紙だった。中には何かのキャラクターと、そいつと思わしき男の名前が書いてある。


「はぁ……分かったよ、でもこれを読んだらもう終わりだかんな?!」


「お願いします」

 

 

『僕は兜々良蟹麿つづらかにまろだ。お前と一夜の夢、紡いでやってもいいぞ』

 


 その瞬間、乙成の身体はシュウゥ……という間の抜けた奇妙な音と煙を出して、まるで天に召されて浄化するかの如く、乙成の右腕にあった生々しい傷を消し去った。

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