第2話ゾンビってメシ食うんかな?


 向かいの席の乙成は、ゾンビ。


 普通じゃ有り得ない事が目の前で起こっている。俺は仕事をしながら何度も乙成の方をそれとなく見てはいるが、見た目が変わっているというだけでいつもの乙成だ。彼女は普段からあまり言葉を発さないから、以前の乙成が普段どんな様子で仕事をしていたのか思い出せない。

 先輩達二人は気にも留めずに仕事をしているから、俺もちゃんと仕事をしないといけないと思いつつも、乙成の事が気になって仕方がない。これだけ聞くと俺が乙成に淡い恋心を抱いているみたいに聞こえるが、決してそんな事はない。むしろ嫌だ。俺は人間がいい。


 そんな事をモヤモヤと考えてる内に、昼休みのチャイムが鳴った。学校で流れているチャイムと同じ音が執務室内に響き渡ると、皆各々弁当やら外に食べに行くやらでワラワラと動き出した。


「前田メシ食い行く?」


 チャイムが鳴るなり滝口さんに声をかけられた。いつもなら、滝口さんと二人で外に食べに行くかコンビニで何か買ってくるかするのだが、今の俺にはメシなんかよりもっと興味のある事が沸々と芽生えている。


 ゾンビってメシ食うの?


 そう、午前中に色々考えた挙げ句、禄に仕事をしていなかった俺は、むしろこの機会にゾンビの生態を観察する事にしたのだ。多分生きててリアルゾンビに会う機会はもうないだろう。

 俺は滝口さんの誘いを断って、弁当を大事そうに抱えて執務室を出ていく乙成をつける事にした。


 乙成は向かった先は屋上。二年も一緒に働いて来たが、彼女が何処で誰と昼メシを食べているのかなんて、気にも留めた事がなかった。少し肌寒い、秋晴れの爽やかな空の下で、ベンチに座ったゾンビの彼女は、可愛らしいピンクの弁当箱の蓋を開けて食事をしだした。


 多分、あの中も生肉とかではない。手掴みで喰らいつく事もなく、ちゃんと箸で行儀良く卵焼きを口に運んでいる。なるべく気付かれない様に遠巻きでコソコソ観察しているが、何処からどう見ても普通の人の食事風景だ。


 なんか、普通だな。


 熱心にスマホを凝視しながらメシを食っているだけの普通の光景だ。しかし、スマホに顔近付けすぎだろ。目悪くするぞ。


「……ッハ! 誰?」


 突然乙成が振り返った。俺は慌ててそこら辺にある室外機の影に隠れてやり過ごすと、乙成は


「……気のせいか」


 と、一言呟くなりスマホに戻った。ゾンビになった事で背後の気配までも感じられる能力に目覚めたのか、はたまた乙成の元々の能力なのか分からない。とにかく気付かれる事はなかった様だ。

 ホッと胸をなで下ろしていたら、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。乙成を観察するあまり、いつの間にか昼休みが終わってしまった。俺は忘れかけていた空腹に耐えながら執務室へと戻る事にした。

 


 それから俺は、ゾンビ化した乙成の生態を知るべく、彼女の行動を観察した。

 仕事中、昼休み、あと全然知らなかったけれど、途中までは帰る方向も同じだったので、後ろからさり気なく後を追ってみたりもした。

 それもこれも、全てゾンビ化した乙成が俺の好奇心を掻き立てるせいだ。

 端から見たらただのストーカーでしかないが、相手がゾンビなら、変なつもりはないとみんな分かってくれるだろう。


 ここ数日で分かった事がいくつかあった。


 まず、乙成は毎日弁当を持参している。そして結構美味そう。

 次に、持ち物が全部女の子らしくて可愛い。うさぎやら熊やらのキャラクターが描かれた持ち物をよく持っている。その中に蟹が紛れているのは気になるが。

 最後に、意外と気が利く。隣の席の朝霧さんが苛つきだす時間帯に、決まってお菓子を差し入れしている。

 


 ……あれ? これってゾンビの生態ではなくて、乙成の普段の様子だよな? 思ったより普通の女の子って感じで、何だかこれじゃ本当に俺がストーカーしてるみたいだ。


  

「あら? 乙成ちゃん。今日残業して行くの?」


 今日も乙成の生態を遠巻きに観察する事に時間を費やし、いつの間にか終業時間に差し掛かっていた。みんながそろそろ退勤のムードを醸し出している中、真剣に資料に目を通す乙成を見て、朝霧さんが彼女に声をかけていた。


「あ、はい。明日営業課の田中さんに先方から送られて来た資料をお渡ししないといけないので。ちょっと確認するだけなのですぐ終わります」


「そう? それなら後で北見部長にも伝えておくわ。あんまり遅くならないようにね」


 (……やっぱり普通に会話しているな。枝とか刺さってるの、見えてないのか?)


「ん? どしたー?前田。お前も残業すんのか?」



 つい小声で独り言を呟いていたら、隣の席の滝口さんに話しかけられた。まだ終業時間前だというのに、この人はもう荷物をまとめて帰る支度をしている。

 

「あ、さっきテレワーク中の北見部長から連絡があって、部長宛の荷物が届くらしいから受け取っておいてくれって」


「あの海坊主、多分家に届いたらまずい物を買ったんだぜ? おい前田、勝手に中開けて確認しとけ。後でそれをネタに強請ゆすろうぜ」


「俺はその話には噛むつもり無いんで滝口さんだけでやって下さい」


 滝口さんの数年後の姿、との呼び声も高い、海坊主こと北見部長は、度々私用の荷物をここに送る様に指定している。今日は時間の指定に不備があったらしく、配送業者が会社の前まで来たら部署の電話にかけてくる事になっているそうだ。


「んだよ~せっかくまた部長に奢って貰おうと思ったのによ。じゃあオレは帰るわ、今日合コンなんで」


「お疲れっす〜」


 妙に爽やかなキメ顔をかまして、滝口さんは去って行った。週末でもないのに毎晩飲み歩くなんて本当によくやる。しかも合コンとは。多分明日には撃沈した様子で出勤してくる事だろう。その時は心で笑って励ましてやらないと。


 しかし、これはまたとないチャンスではないか。残業する乙成と二人。この機会にゾンビ化している理由を聞けたら、俺の心のモヤモヤも幾らか和らぐかもしれない。



「……」


 カタカタカタ


「……」


 カタカタカタカタ


 誰も居なくなった執務室に、キーボードの音だけがこだまする。こんな時に限って総務課の人間も早々に帰ってしまった。

 意気揚々、乙成にゾンビ化の事を聞くなどと思っていたが、そもそも俺は殆ど乙成と話した事がない。一体どんな切り口で、入社以来禄に話をした事のない女の子に話しかけるというのだ。


「……あの、乙成さん? なんか手伝う事とかある?」


「い、いえ。結構です。お気になさらず」


「あ……そう」


「……」


「……」


 気まずい。今めっちゃ気まずい。なんで俺は、

「あ……そう」

 なんて返事をしてしまったんだ。これじゃ話を繋げられないだろ? こんな時に意識高い奴らが読むような自己啓発本の類の一つでも読んでおけば良かったと後悔した。

 バカは最初の一言で〇〇と言う!〜賢い人の会話哲学〜

 みたいなやつ。今はあんなしょーもない物にでも頼りたくなるくらいに、この地獄みたいな空気を何とかしたい。


「……来ませんね、宅配便」


「へ?」


 なんと、乙成が話しかけてきた!


「さっき滝口さんとお話しているの聞こえたんです。大変ですよね、前田さん病み上がりなのに」


「へへ……まぁ慣れてるから」


「もし良かったら私が受け取っておきましょうか? 私はもう少し残りますし、そうすれば前田さんも帰れるし」


 あれ? 俺に帰って欲しがってる? もしかして、乙成も気まずいのか?


「い、いや! 大丈夫だよ!」


「そうですか……」


 あ、これ向こうも気まずいんだ。ヤバい。そう思ったら余計にこの空間に居るのがきつくなってきたぞ。


「あ、あのさ! 乙成さんって何か趣味とかあるの?」


 もうこうなったらヤケだ。とりあえず何でもいいから話しかけて乙成の反応を伺う事にした。


「えっ」


 乙成は顔をこちらに向けると、前髪でよく顔が見えないが明らかに動揺している。心なしか顔もちょっと赤い? いや、それはないか。だって灰色だもん。


「わわ、私は……」


 そう言うと、乙成は急に立ち上がって身の回りを片付けだすと、足早に執務室を出ようと歩き出した。


 カシャーン


 俺の足元に何かが落ちた。これはキーホルダーか。アクリル素材で何かのキャラクターの様だ。デフォルメされた可愛らしいキャラクターに、平仮名で「かにまろ♡」と描かれたキーホルダーを手に取ると、俺は部屋を出ようとする彼女を呼び止めた。


『あ! ちょっと待って!』


 俺が彼女を呼び止めた時、一瞬だが時が止まって見えた。彼女は振り向くと、その大きな目をまんまると見開いて俺の顔を凝視した。いや、正確には俺を見ていたのかも分からない。なんていうか、俺を通して他の誰かを見ていた様な、そんな気がした。


「これ、落としたよ」


「あ……ありがとうございます」


 彼女はキーホルダーを受け取ると、そのまま走って部屋を後にした。残された俺はただ呆然としながら、掌に感じたゾンビの温もりをただ思い出していた。


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