第4話アンデッドな日々のはじまり
まるで漫画だ。今俺の目の前で起きた出来事は漫画とか創作物の世界でしか有り得ない光景だった。
「ほら! 言った通りでしょう?!」
乙成は自信あり気に治った腕を俺に見せてくる。もっとよく見ろと言わんばかりに、ピョンピョン飛び跳ねながら腕を突き出してくる乙成をなだめすかして、とりあえずベンチに二人並んで座った。
「確かに綺麗さっぱり傷がない……てか、なんで声で消えんの? この長髪の諸葛孔明みたいなのは何?」
「諸葛孔明じゃなくて
「てん……はい?」
「天網恢恢乙女綺譚です! コンセプトは、この世界で君と紡ぐ物語。悠久シリーズと呼ばれる恋愛シミュレーションRPGの三作目にして名作、リリースから三年半も経つのに今だに超人気で、アニメも二期が始まるところなんですよ?! 私が好きなのは数あるキャラの中でも特に人気のあるキャラで、さるかに合戦の蟹こと、兜々良蟹麿! あ、言ってなかったですね、このゲームって、日本昔話をモチーフにした作品で、他にも桃太郎とか一寸法師とか、有名どころのキャラもいっぱい出てくるんです! 蟹麿はまろ様ってファンから呼ばれてて、彼のキャラクターボイスを担当した
「いや長い長い長い!!! 急に饒舌じゃん! そんなキャラだったっけ?!」
これはあれか? オタク特有の、好きな事を語る時やたら早口で饒舌になるやつか? 何、天網恢恢乙女綺譚って。タイトル尖り過ぎだろ。その手前に言ってたエターナルディライトもなんかダサいし。
第一、日本昔話が舞台の乙女ゲームってなんだよ。今時のオタクは推せればなんでも良いのか?
俺はそんな事を考えながら、ふと素朴な疑問が浮かんだ。
「てか、そのゲームのキャラと俺に何の関係が?」
「よくぞ聞いてくれました!」
乙成はそう言うと、勢いよく立ち上がり、胸を張りながら自信あり気に話し出した。
「そのまろ様の声と、前田さんの声がそっくりなんです! 理屈は分かりませんが、その声を聞いた事で私の身体が浄化されたんです! ゾンビ化を解く方法は、愛する人の、生の声だったんですよ!!」
「ほうほう、なるほど。って、え? じゃあ俺が君のゾンビ化を解く為に協力しないといけないの?」
「……」 ニッコリ
「……」
乙成は無言でにこやかに笑っている。危機感を感じた俺はこの場から逃げようと走り出した。
「あぁ! 待って下さい!! なんで逃げるんですかぁ!!!」
「知らん! 俺は知らんぞ! 絶対に協力なんてせん!」
乙成は、扉に手をかけて出て行こうとする俺の背広の裾を掴んで引き止めた。意外と力が強くて中々逃れられない。乙成が諦めるのが先か、俺の背広が駄目になる方が先か、考える間もなく俺は立ち止まって乙成の手を振りほどくと、しわくちゃになった裾を直した。
「はなせっ! 大体さっきの台詞だって何なんだよ?! あんなちょっと恥ずかしい事をこれからじゃんじゃん言わされるんだろ? 絶対無理」
「あれはサンプルボイスの一つです! 他にも数パターンあって……じゃなくて、お願いします! こんな事頼むのなんておかしい事は分かってるんです! 前田さんは私がどうなっても良いって言うんですか?!」
うぅ……。正直なんでも良いが、そう言われると弱い。それに、最初に興味を持って近付いたのは俺の方だ。
乙成の目が、俺を真っ直ぐ捉えている。相手がゾンビだからなのだろうか、こうも真剣に見つめられるとこれ以上断るのが申し訳なくなってくる。
「分かったよ……」
「良かった!! やっぱり前田さんなら協力してくれるって信じていました! じゃあ、これ」
俺の手に、大量の本やらDVDが入った紙袋を持たせると、乙成は今までにないほどの満面の笑顔で俺の方を見た。
「まろ様の事をよく知っていただきたいので、これをお家で見て勉強してください!」
「は?! 何でそうなる?! 大体、DVDって……重いしいいよ、サブスクとかで見れないの?」
その時、何処からともなくピキッという音が聞こえた。
「は? 何いってんすか。サブスクで見れるのはほんの一部……本家大元のゲームはもちろん、ファンブックに、収録の小話やら制作秘話、脚本家のインタビュー記事を私個人でまとめたファイル……どれもまろ様を知る上で必要な事です。前田さん、あなたやる気あんすか?」
急に乙成の態度が変わった。どうやら地雷を引いてしまったらしい。明らかに苛ついた乙成は顔にめちゃくちゃ影入っているし、このワンシーンはまさにホラー映画の一幕だ。忘れかけていたがこいつは今ゾンビだった。
「その見た目で凄まないで怖い! わ、分かったって……はぁ……なんで俺がこんな目に」
こうして俺は、無趣味、無個性の張りのない二十四歳の日々から一転して、アンデッドな女の子に乙女ゲームの蟹男の真似を披露してやる日々が始まったのだ。
******
次の日。
俺は前日に乙成から託された宿題に目を通して、早くも心を打ち砕かれた。そして、成り行きとはいえ、こんなお願い事を引き受けた自分の優しさに、腹立たしくもやるせない気持ちになっていた。
「いやぁ、本当に前田さんが引き受けてくれて助かりましたぁ。もう本当にこのまま一生ゾンビだったらどうしようって思っていた所だったんです」
俺はすっかり乙成に懐かれてしまった様だ。朝、駅でバッタリ会うなり、乙成のマシンガントークの餌食になった。
「昨日ちゃんとお勉強してくれたんですね! もう本当に名作なんですよ! ストーリー性もあってバトル要素もあるし! しかもアニメ版とゲーム版ではシナリオが違うので二度美味しいんです! ゲーム版は恋愛ルート有りの、プレイヤー目線でストーリーが進むのに対して、アニメ版は各キャラ達同士の友情や関係性がより色濃く描かれているんですよ! その中でもまろ様はやっぱり別格……! 冷静沈着、頭脳明晰、変わり者のサディストで、ちょっと天然! さるかに合戦の猿こと、
「……いや、多分一生これ以上見る事ないから」
「うぉーい! 前田ぁ!」
乙成のマシンガントークの途中で、前から滝口さんが歩いて来るのが見えた。滝口さんは俺達に気付いて、カバンをブンブン振りながら大声で俺の名を呼んでいる。
「おはようっす、滝口さん」
「あっれー? 二人で仲良く出社かよ? ってことは、昨日の話し合いは上手くイッたんだな?!」
「あ、いや、そういうんじゃなくって……」
横に目をやると、さっきまでの元気は何処にいったのやら、乙成は黙って俯いていた。
「ん? なんか元気ないな、乙成。まぁいいや、それよか前田〜聞いてくれよ! 昨日また合コンでぇ……」
執務室間までの道すがら、滝口さんが例によって例の如くいつもの下世話な話題を朝からかましている間も、乙成はずっと下を向いたまま俺達と一緒にエレベーターに乗っていた。
そう言えば、俺が知ってる乙成もこんなイメージだ。いつも下を向いて誰とも話さない。たまに口を開いたかと思えば酷く弱々しく、とても世間話なんか出来る様なタイプじゃない。
もしかして、自分でも、人と話す事が凄く苦手なのを分かってて、それでも乙成は俺に頼んできたんじゃないか?
多少強引だったのも、止まらないマシンガントークも、少しでも俺とコミュニケーションを取ろうと思って……?
俺は、隣で縮こまりながらも蟹男のキーホルダーを大事そうに握り締めている乙成を見た。
……まぁ、そんな訳ないか。
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