もしも私が

 あの一件以降もルイスは花嫁修業を受けているが、前ほど身が入らない。

 グレンを信じる気持ちが揺らいでしまった今、厳しい教育に耐え、折れずに精一杯取り組むほどの熱量がないのだ。

 グレンの母もルイスの揺らぎには気が付いているが、教育を疎かにすることはできず。

 これまで通りに指導を続けながらも、内心は息子の番を心配していた。


「今日はここで一度終わりにしましょう。休憩してらっしゃい」

「……はい」

「……ルイス。たしかに不安よね。私も最初は、夫の言うことが信じられなかったわ。……でも、グレンはそんな嘘をつくような男じゃない。どうか、信じてあげて」


 グレンの母が、そっとルイスの手を握る。

 彼女も、突然、獣人に「あなたは自分の番だ」と言われた人だ。

 カリーナが現れた今、ルイスの心が不安定になっていることをよくわかっている。

 もしかしたら、この家で一番、今のルイスの気持ちを理解できる人かもしれない。

 義母となる人の寄り添いに、涙が出そうになった。


 なんとかこらえると、休憩時間を得たルイスはそっと屋敷を抜け出す。

 使用人もつけずに、公爵邸の庭を散策する。

 お屋敷にいるときは、誰かがそばにいることが多い。

 だから、なるべく表面上だけでも取り繕うようにしていた。

 一人になったルイスは、庭の奥へと進んでいき、他の人に見つからないよう、生垣の陰に隠れる。

 しゃがみこむと、ぽつり、ぽつり、と彼女の瞳から落ちたしずくが、地面を濡らした。


「グレン……さまっ……」


 カリーナは、まだアルバーン領に滞在している。

 彼女の実家であるオールステット公爵家をはじめとした有力な貴族に、「グレンの真の番は自分。ルイスとの婚約を解消させて、自分と婚姻を結びなおすべきだ」と手紙を出しているとかで、ちょっとした騒ぎになっているようだ。

 王家にも手紙を出したという話まである。


 アルバーン家の面々はグレンを信じているし、ルイスのことも次期当主の婚約者として扱ってくれている。

 だが、外へ出ればどうだろう。

 きっと皆、ひそひそと話しながら、ルイスに視線を向ける。

 ルイスを気遣っているのか、今のところ、この騒動があってから社交の場に出ることは求められていないが……。

 それだって、限度があるだろう。

 いずれルイスは、好奇の目にさらされる。

 四大公爵家の娘であるカリーナの主張が通れば、グレンの婚約者は彼女になり、偽物のレッテルを張られたルイスはなにもかも失うだろう。


 あらゆる不安と恐怖が、ルイスに襲い掛かっていた。

 それになにより、彼女が嫌だったのは。


「……グレン様のこと、信じられないなんて」


 きみこそが俺の番だ、というグレンの言葉を、信じきれない自分だった。

 あれは、15歳ぐらいのころだったか。

 彼は以前、こんなことを言ったことがある。


――自分が獣人じゃなかったら、って。思うことがあるんだ。


 ルイスは、苦しそうに紡がれた彼の言葉を思い返していた。

 今度は、ルイスが似たようなことを考えている。


「私が人間じゃなくて、獣人だったら」


 ルイスのほうからも、グレンが己の番か否かの判断ができた。

 自分こそが彼の番であると、胸を張ることができた。

 でも、ルイスは人間だから。

 番を見分ける嗅覚などない。グレンとカリーナ、どちらが本当のことを言っているのか、わからない。

 どうして、自分たちは違う種族として生まれてしまったのだろう。

 悲しくて、たまらなくて。やるせなくて。

 ルイスの緑の瞳からは、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちていく。

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