大好きだった、はずなのに

「いい加減にしろ、カリーナ。これ以上の侮辱は許さない」

「侮辱してるのはあなたでしょ? 初恋の人が番だなんて嘘をついて、女を喜ばせて。それが嘘だとわかったとき、どれだけ彼女が傷つくことか」

「もういい、黙れ」

「あなたの番は私。嘘で女を縛るのはもうやめて、私と……」

「黙れと言っている!」


 グレンが声を荒げる。

 彼の声が、本気の怒りをはらんでいたから。

 それまで饒舌に話していたカリーナもびくっとし、流石に言葉を続けられなくなった。


「もうやめろ。……きみに、手をあげたくない」


 カリーナを見据えるグレンの青い瞳に、光は宿っていなかった。

 声も、瞳も、放たれる雰囲気も。全てがひどく暗く、冷たく、けれどたしかな怒気を含んでいた。

 これ以上続けられたら、番であるルイスを侮辱し、傷つけられた怒りを制御しきれないかもしれない。

 番を傷つけられることは、獣人にとってそれほどに許しがたいことなのだ。

 グレンとて、古い付き合いであるカリーナに、手をあげたいなどとは思わない。

 だから、そうなる前にやめて欲しかった。

 グレンは、もう一度カリーナに警告する。


「カリーナ。今すぐここから立ち去れ。俺が、まだ自分を抑え込むことができているうちに」

 

 グレンの言葉は、ただの脅しではない。彼は、本気だ。

 獣人同士とはいえ、グレンは長身で体つきのしっかりした男性で、カリーナは小柄な女性。

 力比べになれば当然グレンが勝つし、放たれる威圧感も段違いだ。


「っ……。今日は、ここまでにしておいてあげるわよ」


 これ以上は、まずい。カリーナも、そう理解した。

 カリーナは、悔しそうに顔を歪めながらも、二人の前から消えた。




「……ごめん、ルイス。きみに、嫌な思いをさせた」


 二人きりになった部屋で、グレンが眉と耳をしゅんと下げる。

 彼から凄まじい威圧感は消え、普段ルイスに向けるような優しい雰囲気に戻っている。

 グレンは、見た目こそ少々ワイルドさがあるのもの、あんなふうに怒鳴ったりすることはほとんどない。

 よっぽどのことがなければ、彼があんな態度をとることないのだ。

 獣人の男である自分の力の強さを自覚しているから、暴力をふるうこともない。

 そんな彼が、このままでは女性に手をあげてしまうのでは、と恐れるぐらいのことが……「よっぽどのこと」が起きてしまった結果の、あの対応だった。


 人間と獣人が共存するこの国においても、獣人は少数派だ。

 腕力も権力も持ち合わせているグレンが暴力を行使すれば、多くの者が恐怖によって彼に支配されるだろう。

 だからこそグレンは、そんなことにはならないよう、自分の力の使い方には細心の注意を払っているのだ。


「ルイス。カリーナはあんなことを言っていたが、俺の番はきみだ。絶対に、嘘じゃない。きみに、そんな嘘をついたりしない」

「……はい」


 グレンはしっかりとルイスに向き合い、彼女の両肩に触れる。

 カリーナは自分こそが真の番などと言っていたが、グレンの番はルイスだ。

 この事実が揺らぐことはない。


「……それに、もしもきみが番じゃなかったとしても、こんな手を使って婚約を結ばせたりしない。そんなことをして、きみを傷つけたくない」


 番だと偽って結婚したあとに、本物を見つけてしまったら……。彼は、ルイスを放り出すことになるのだから。

 ルイスを心底大事に思っている彼が、そんな真似をするはずがないのだ。

 グレンの言葉は全てが真実で、本心で。

 ルイスが番であると判明する前に、自分の恋心を伝えなかったのだって、彼なりの誠意だった。

 

 俯いてしまったルイスを、グレンは優しく抱き寄せる。


「……今日のことは、なにも気にしなくていい。彼女がどうしてあんなことを言い出したのかは、わからないが……。きみが番であるという事実も、俺の気持ちも、変わることはないよ」


 ルイスは、自分を抱きしめるグレンの腕にそっと触れた。

 彼の腕の中は、ルイスにとって世界で一番心地いい場所だ。

 こうして彼と触れ合う時間が、大好きだった。

 そのはず、だったのに――。

 ルイスは、俯いたままぐっと唇を噛んだ。

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