可哀想な子

「お前、自分がなにを言ってるかわかっているのか」


 グレンの声は低くなり、その青い瞳は鋭くカリーナを睨みつける。

 これまで、ルイスが見たことのない表情だった。

 部屋の空気が、ぴんと張り詰める。

 自分に向けられた怒りではないというのに、グレンの隣にいるルイスまで縮こまってしまいそうだった。

 獣人男性であるグレンは、この空間で最も強い生き物だ。

 その彼が怒りを露わにすると、こんなにも迫力があることを、ルイスは初めて知った。


「俺たちのような立場の人間が番を詐称することの意味と、嘘だとわかったときの罰、当然理解しているんだろうな?」

「もちろん、罰があることは知ってるわ。でも、嘘じゃないもの。罰を受けるとしたら、ルイスを番と呼ぶあなたのほうじゃない?」


 獣人による、番宣言。

 その言葉には、大きな力がある。

 獣人同士の番であれば、互いに相手を好きになるため、問題は少ない。

 しかし、相手が人間であった場合。

 グレンとルイスのように、元から両想いでもなかった限り、人間側は苦労することになる。

 あなたが番、自分の唯一の人、だなんてことを、見知らぬ他人やただの知人から突然言われることになるのだ。

 戸惑うのが、当然というものだろう。

 しかも、番に出会ってしまった獣人は、他の者を愛することができなくなってしまうため、無下にもできない。

 その獣人が貴族や王族だった場合、既に恋仲の者がいたとしても、半ば強制的に婚姻を結ばされることだってある。

 それだけの効力を持つだけに、獣人が番を詐称していたと分かった場合、彼らは罰を受けることになる。

 王侯貴族ともなれば、平民よりもその言葉の強制力が強いだけに、さらに厳しい罰則が設けられている。


 グレンの番はルイスだ。彼はそう確信を持っていた。

 嗅覚の発現した獣人である彼には、カリーナが嘘をついていることがわかっている。

 何故カリーナがこんなことを言い出したのか。グレンにはわからなかった。


「……四大公爵家同士で婚姻を結ぶようにでも、誰かに言われたのか?」


 ふと、グレンは気が付く。

 もしかしたらカリーナは、家や国に、グレンを手に入れろと命令されているのかもしれない。

 強制的に婚姻を結ばせたいのなら、獣人に番だと宣言させるのが手っ取り早い。

 既に番を見つけたグレンに対して、「自分が真の番だ」と言ってくる理由など、それぐらいしか思いつかなかった。

 しかし、カリーナはゆるゆると首を横に振る。


「……私はね、半年ぐらい前に、番を見分ける嗅覚が発現したの。でも、近くにはいなかった。あなたの婚約を祝うために西方に向かっているうちに、番の存在を感じるようになって……。あのときは、これまでにない感覚に、ひどく気分が高揚したわ」


 そのときの感覚を思い返しているのだろうか。カリーナは、ほう、とうっとりとした様子だ。

 彼女は、グレンとルイスとは1つ違いの、17歳。

 嗅覚を得る時期としては妥当だ。

 

 グレンとカリーナは、同格の家柄の者として早いうちから交流はあった。

 しかし、領地が離れているため、会う機会はそうそうない。

 幼馴染とも呼べるのかもしれないが、顔を合わせた回数は少ない。そのぐらいの仲だった。

 身分差はあるが、住む場所が近く、長く深い付き合いのあったルイスとは、ちょうど反対のような立場である。

 しばらく会わないうちに、嗅覚を得た。その話そのものは、本当かもしれない。


「アルバーン邸に近づけば近づくほど、その感覚は強くなっていったわ。その時点で、もしかしたら、と思っていたの。そして、あなたを前にして確信した。あなたの番は私よ、グレン」


 なおも主張を変えないカリーナに、グレンは苛立ちを抑えることなく息を吐く。


「……誰かの命令じゃないとしたら、お前は自分の意思で嘘をついていることになる。今この場で撤回するなら、大事にはせず、気の迷いや冗談だった、ということで済ませてやることもできるが……」

「気の迷いでも、冗談でもないわ」


 にこり。カリーナが笑みを浮かべた。

 うさぎのような耳がついた、小柄な獣人。

 彼女が微笑めば、性別問わず人を魅了する。

 しかし、番を見つけた獣人であるグレンが、カリーナの笑顔に心をときめかせることはなかった。

 カリーナが、今度はルイスに視線を向ける。彼女の笑みは、消えていた。


「ねえ、ルイス。あなた、グレンの初恋の人らしいわね。身分差のある幼馴染で……。見たところ、あなたもグレンに恋心を抱いていた。それで合ってる?」

「……はい」


 ルイスの答えに、カリーナは「やっぱりね」と歪に口角を上げた。


「話が見えてきたわ。私の番もひどい男ねえ」

「ひどい、男……?」


 カリーナは、蔑むような視線をルイスに向けていた。


「身分差のある初恋の人を手に入れるために、グレンは嘘をついたのよ。自分の番だと言えば、身分など関係なく、自分のものにできるから。まあ、たまにある話だわ」

「っ……」


 カリーナの言葉は、「そんな話を信じ込まされて、可哀想な子」と続く。

 ルイスは、なにも言えなくなってしまった。

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