第8話
久美への風あたりは日に日に強くなり、久美は安田へ話しかけることもできなくなっていた。
「あ~あ、いい気味!」
給湯室でそう言ったのは美穂だった。
「ほんと、そうだよねぇ! 戸田さまさまだよぉ」
文音も同意している。
戸田が来てから久美と安田の間に距離が生まれたのが嬉しいみたいだ。
2人は20分も前から同じことを口にしている。
「私、そろそろ行くね」
澄恵はそう言い、給湯室を後にしたのだった。
☆☆☆
澄恵が仕事に戻ってからも2人は1時間ほど給湯室にこもっていた。
なにを話しているのか、想像しなくてもわかる。
ようやく2人が戻ってきたとき、戸田が立ちあがった。
「みなさん、ちょっと聞いてください」
戸田の声はよく通る。
仕事をしていた社員たちは全員手を休め、戸田に注目した。
「今回、安田くんの企画が進められることになりました」
戸田の横には安田が立っていて、少し照れたように笑っている。
澄恵は目を大きく見開いて口パクで「すごい!」と、言ってしまった。
安田が遅くまで残業していたことを知っているので、心から嬉しいと感じた。
「そこで、同じ安田くんのお手伝いをしてくれるメンバーを2人募りたいと思います」
戸田の言葉に美穂と文音が視線を交わしたのがわかった。
(あ、2人とも立候補するつもりだ)
澄恵はそう思って2人を見つめたが、誰とも視線はぶつからなかった。
あえて澄恵の方を見ないようにしているのだ。
(選ばれるのは2人だけ。ハブられるのは私か……)
澄恵は内心ガッカリした気分になる。
けれど、あの2人なら普通に仕事もできるし、安田も安心だという気持ちになった。
「まずは立候補する人」
戸田の言葉に、まってましたとばかりに美穂と文音が手を上げる。
他にも2、3人が手を上げている。
が、澄恵は手をあげなかった。
きっと自分が上げても選ばれないし、あとから美穂と文音に笑われるのがオチだからだ。
「立候補者はこれだけですか?」
戸田の言葉に反応する社員はいない。
「じゃあこの中から――」
「待ってください」
戸田の言葉を途中で遮ったのは安田だった。
(どうしたんだろう?)
そう思って視線を送ると、バチンッと音がしたかのように安田と視線がぶつかった。
「俺から、福森さんを推薦します」
(え……?)
予想外の言葉に澄恵は目を丸くして硬直してしまった。
「なるほど。福森さんは確かによく仕事をしてくれているわよね。給湯室でおしゃべりをしている2人とは違って」
戸田がチラリと美穂と文音へ視線を向けて言う。
2人は同時に気まずそうにうつむいた。
「私も福森さんが適任だと思います。福森さん、あなたはどうですか?」
「わ、私ですか!?」
突然の展開に全然ついていけない澄恵は、ただオロオロと周囲を見回すばかり。
しかし、こちらへ向けられている視線は期待と、そして少しの妬みの色しかなかった。
「わ、私は……」
(素直に、安田くんと仕事がしたいと思った。企画も面白そうだし、手伝えることがあるなら、私でいいのなら……)
「それじゃ、1人は福森さんで決まりね」
戸田の言葉に澄恵は更に驚いた。
心の中で言ったつもりが、つい言葉にでてしまっていたみたいだ。
澄恵はピンッと背筋を伸ばして「はいっ!」と、返事をしたのだった。
☆☆☆
結局、安田の新しいプロジェクトを手伝うことになったのは澄恵と、もうひとりの男性社員だった。
2人とも仕事熱心で、その姿勢がちゃんと評価された結果だった。
「まぁ、残業頑張りなよ。これからはすっごーく大変だよ?」
落とされてしまった美穂と文音は精一杯の強がりと嫌味を残して帰って行ってしまった。
だけど今の澄恵に2人の嫌みなんてどうでもいいものだった。
安田とともに仕事ができる。
それだけで幸せな気分だ。
「安田くぅん! ここ、わからないんだけどぉ!」
そんな幸せ気分をぶち壊す存在がもう1人。
立候補はしなかったものの、あまりの仕事のできなさ加減に、戸田から残業して覚えることを命令された、久美だった。
どういう形であれ残業できることになった久美は、事あるごとに安田へ質問をしてくる。
安田に質問しにくる度に化粧を直して、香水を振りまくものだから社内は化粧品売り場波の匂いになってきた。
「それはさっきも教えたでしょう」
初歩的な質問を繰り返される安田はうんざりした表情になっている。
さっきから久美に邪魔されてばかりで、プロジェクトの話し合いも進まない。
澄恵はついムッとした表情をそのまま出してしまった。
その瞬間を久美が見て「やだぁ! 福森さんが私を睨んでるぅ!」と、安田の腕を掴んで怖がって見せている。
澄恵は盛大な溜息を吐きだした。
これから安田と打ち合わせをするたびに久美が邪魔してくるのかと思うと、気が重い。
策略的な関係だったとしても、付き合っていた今井が他の部署に飛ばされた(噂では、地下倉庫の整理をやらされているらしい)ばかりだというのに、久美のファイトには呆れてしまう。
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