第7話

「京野さんと今井上司……?」



安田が唖然として呟く。



確かに、闇夜を切り裂く悲鳴をあげたのは久美のようだ。



久美は仕事着のままで今井にすがりついている。



「やめろよこんなところで」



今井は周囲の視線が気になるようで、小声で久美をたしなめている。



(これって修羅場だよね!?)



思いがけない場面を見てしまった澄恵は咄嗟に視線をそらせた。



昨日は今井の奥さんが会社へ押し掛けてきたというし、2人の関係が終わるのは確実だと思っていた。



でもまさか、こんな場面をみてしまうなんて……。



「行こう」



安田はそう言い、澄恵の手を握り締めて歩き出したのだった。


☆☆☆


翌日。



なんとなく気まずい気分で会社へ来た澄恵は目を見開いた。



昨日の夜あれだけ今井にすがりついていた久美が、今日また安田に媚を売っているのだ。



久美の今井への気持ちがわからなくなる。



結局久美は、自分にとってプラスになりそうな男なら誰でもいいということなんだろう。



澄恵は苛立ちを覚えて自分の椅子を乱暴に引き、勢いよく座った。



3年ほど使っている椅子がギュッ! と悲鳴を上げる。



「ちょっと澄恵。今日はなんだかイライラしてない?」



美穂に言われるが、澄恵は「別に」と短く返事をしてパソコンを立ち上げた。



せっかく昨日のデートで気分が良くなっていたのに、久美のせいで台無しだ。



そう思っていた時だった。



「みんな、ちょっと注目してくれ」



その言葉にパソコンから顔を上げると、普段のこの場にいるはずのない、上層部の1人が入口に立っていた。



自然と背筋が伸びてしまう。



「えぇ~、みんなももう知っているかもしれないけれど、今井くんは今日から他の部署へ異動になった」



上司はみんなから視線を反らして言った。



詳細を説明することができないからだろう。



今井の名前が出た瞬間、さすがに久美は気まずそうな表情を浮かべた。



「で、今井くんの後任になる戸田くんを連れてきた」



その言葉に一瞬久美の目が輝くのがわかった。



きっと、次はどんな男が来たのだろうと期待したのだろう。



でも……次の瞬間久美の顔は曇った。



上司の後ろから姿を見せたのは女性だったのだ。



細身で黒いスーツをピシッと着こなし、長い髪はピッチリと後ろでひとつに束ねられている。



送れ髪ひとつない。



黒ぶちメガネをかけているその人は、見るからに厳しそうだったのだ。



「はじめまして、戸田です」



キッチリ90度のお辞儀をして、社員の顔をひとりひとり確認していく。



その中で久美へと視線が向けられた瞬間、戸田は険しい表情になった。



今井の不倫相手が久美だということは、もう知らされているらしい。



「じゃ、これからよろしく頼むよ」



上司はそう言うと、そそくさと部署を後にしたのだった。


☆☆☆


厳しそう。



戸田さんの第一印象はそれだった。



その印象と寸分たがわず、戸田さんは厳しかった。



ただ、仕事中の多少の私語なら許されたし、普通に仕事をしていれば怒られることはなかった。



その辺を考えると、澄恵からすれば今井のときと何も変化はない。



しかし……。



「あなた、まだこの仕事も覚えてないの? 一体何年働いているの!?」



戸田に叱責されているのはいわずもがな、久美だった。



久美は大きな体を小さくして「ごめんなさい」と呟いている。



「謝る前にちゃんと仕事をしてちょうだい! あなたはなんのために会社へ来ているの!?」



新入社員にまで追い越されてしまう久美の仕事の仕方に、戸田の苛立ちが増すばかり。

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