第6話

「え、あ、ありがとうございます!」



いつもダメ出しばかりされて褒められた経験の少ない澄恵は、オロオロと頭を下げる。



(まさか、安田くんが褒めてくれるなんて……)



「いつも思ってたけど、福森さんって仕事がとても丁寧だよね。一緒に仕事をしていて、安心する」



(嘘……安田くんが、みんなの前で私を褒めてる!)



一瞬にして天にも昇る気持ちになる。



このまま昇天してしまうかと思ったとき、強い妬みの視線を感じて澄恵は我に返った。



視線を向けると久美と美穂と文音の3人がジトッとした、湿った視線をこちらへ向けている。



咄嗟に3人から視線を反らして、デスクへと体を向けた。



私はただ、与えられた仕事をこなしていただけだ。



安田くんによく思われようとか、そんなことを考えて仕事をしてきたわけじゃない。



安田くんが褒めてくれたのは毎日の努力の結果だ。



素直に喜べばいい。



それでも、美穂と文音からにらまれた澄恵は悪いことをした気分になってしまった。



社内に恋愛感情を持ち込むべきじゃないのかも……。



そんな真面目腐ったことを考えたそのときだった。



安田が一枚の付箋を澄恵の机に張り付けた。



そこにはメッセージが書かれている。



《今日、美味しいフレンチを御馳走させてくれないか?》



そのメッセージを見て顔をあげたとき、安田はもう自分の席へ戻っていたのだった。



安田が予約してくれたのは、澄恵が行き損ねたフレンチレストランだった。



おしゃれな雰囲気とは裏腹に、その値段はリーズナブルで3000円でおつりがくるものだった。



そのため店内は満席。



若いカップルや仕事帰りのOLでひしめきあっていた。



「すごい人気店だな」



窓辺の席へ案内されて、安田がキョロキョロと店内を見回す。



「ですよね! ここってなかなか予約も取れなくて、食べられないんですよ!」



澄恵はつい興奮して言う。



「そうだったんだね。じゃあ今日は運が良かったみたいだ。俺が電話を入れたとき、ちょうど予約がキャンセルになったみたいなんだ」



安田の言葉に澄恵はうんうんと何度も頷く。



美穂たちと来る予定だったお店に、まさか安田と来ることになるなんて思ってもいなかった。



澄恵と安田は一番人気だというコース料理を注文した。



「うわっ! おいしそう……」



前菜として運ばれてきたのはコンソメスープだ。



湯気とともにふわりとただよってくる少しパンチのきいた香りが食欲をかき立てる。



一口飲むとスープのぬくもりが食堂を通り、胃まで到達するのがわかる。



お昼から何も食べていなかった胃が、スープを飲むことによって食事をする体制に入った。



次に出てきたのは魚料理。



大きなエビを丸々一匹使った料理で、ホウレンソウやしめじなどが一緒に添えられていて、クリームソテーになっている。



「うん。美味しいね!」



エビを口に入れると新鮮な身がプリプリと歯を押し返してくる。



フランス料理はもちろん絶品だったが、そこには安田と2人きりという素晴らしい彩りも加えられていて、澄恵のワインは進む。



そして2時間後。



2人はフランスレストランを出て、のんびりと夜風に当たっていた。



アルコールで火照った体に、10月の空気が心地いい。



「次はどこへ行こうか?」



今まで仕事の話と料理の感想ばかり言っていた安田が、不意に澄恵の手を握り締めて聞いてきた。



「えっ?」



澄恵は咄嗟には返事ができない。



アルコールで、頭の回転も遅くなっていた。



安田と同じように立ち止まり、少しぼーっとする頭で今の状況を整理する。



(あれ? 今私、安田くんにデートに誘われた?)



その事実を理解している間に「別れるなんて嫌!!」と、悲痛な叫びが夜の街にこだました。



澄恵と安田はハッと息をのんで声がした方へ視線を向ける。

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