第4話
明らかにこれから病院へお見舞いへ行く。
という格好ではなかった。
「どのくらい悪いんですか?」
澄恵は給湯室での会話を思い出して、久美にそう聞いてみた。
「う~んそうねぇ? 全治3カ月くらいかしらぁ? 今は私しかおばあちゃんのお様子を見に行くことができないからぁ毎日でも行ってあげたいのよぅ」
久美の言葉に澄恵は今井へと視線を向けた。
すでに帰り仕度を終えている今井は澄恵と視線がぶつかりそうになった瞬間、目をそらせた。
きっと、今日もこれから久美と密会するのだろう。
「ねぇ、お願できるぅ?」
久美はチラチラと今井の方を気にしている。
(2人とも、これからどこへ行くんですか?)
なんて質問ができれば苦労していない。
久美から目をつけられることだってなかっただろう。
澄恵は美穂と文音からの視線を感じながらも、書類を受け取ってしまった。
同時に2人が盛大な溜息を吐きだす音がここまで聞こえてきた。
きっと2人は呆れているに違いない。
「じゃ、よろしくぅ」
久美は相変わらず体をくねらせながら会社を出た。
それに続くように今井も出て行く。
「ちょっと澄恵。どうして断らなかったの?」
美穂が大股にやってきて澄恵を見下ろす。
「今日は仕事量が少なそうだったから……」
そう返事をしながらも、視線は安田へと向かっていた。
安田は今日も残業みたいで、真剣な表情でパソコンを見つめている。
「じゃあ、今日は手伝ってあげるね!」
そう言って澄恵の手から書類を半分持って行ったのは文音だった。
「えっ!?」
澄恵は驚いて文音を見つめる。
(昨日は知らん顔して帰ったのに)
そう思っていると、文音の視線が安田へ向けられていることがわかった。
(あっ……)
その瞬間文音の考えが読めてしまった。
昨日、安田は澄恵の仕事を手伝ってくれた。
それを知った文音は、自分も安田と一緒に残ることを決めたのだ。
自分のためではなかったとわかった瞬間、少しだけ胸の奥がムカムカした。
でも、分担して仕事をすればその分早く帰ることができる。
澄恵はそう思い直した。
「じゃ、私も手伝う!」
美穂が澄恵の分の仕事を手に取る。
自然と澄恵の手元には仕事が残らなくなってしまった。
「わ、私がやるよ?」
咄嗟にそう言うが美穂は笑顔を浮かべた。
「なに言ってるの、昨日澄恵に1人で残業させちゃったんだから、今日は早く帰りなよ」
ポンッと澄恵の背中を叩いて言う美穂。
しかし美穂も文音も仕事そっちのけで安田に話かけている。
普段は簡単に終わらせてしまう作業なのにわざとわからないフリをしているのだ。
澄恵はまたモヤモヤとした気分を抱えたまま、1人で会社を後にしたのだった。
翌日、会社に到着するとなんだか騒がしかった。
どうしたのだろうと澄恵が周囲を見回していると、久美が真っ青になって座っているのが見えた。
いつも会社についてすぐに鏡を取り出して念いりな化粧をするのに、今日は鏡を出してもいない。
「ちょっと聞いてよ澄恵!」
美穂が大慌てでかけてくる。
「どうしたの?」
「今、今井さんが上層部の人間に呼ばれて出て行ったの」
「え……?」
澄恵は眉間にシワを寄せる。
「不倫がバレたんだってぇ」
容赦なく大声で言ったのは文音だった。
文音の言葉に久美がビクリと体を震わせて、縮こまる。
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しかし元々体が大きいため、その存在感を消すことはできていない。
「今井さん、もうこの部署にはいられないんじゃないのぉ?」
更に追い打ちをかける文音に、久美は大きく息を吐きだして鏡を取り出した。
バレたものはどうしようもないから、今度はいつも通りに振舞うつもりらしい。
けれど社内にいる人間の視線は容赦なく久美へと突き刺さる。
そんな中でいつも通り化粧をするのは難しいらしく、久美は何度もアイラインを引き直していた。
「今井さんがいなくなったら、今までどおりってワケにはいかなくなるよね?」
美穂もこれ見よがしに大きな声で言い始めた。
「ちょっと、2人とも……」
さすがに可哀そうだと感じた澄恵が2人をたしなめる。
「なによぉ、一番の被害者は澄恵なんだから、なにか言ってやりなよぉ」
文音に言われて澄恵は黙り込んでしまった。
確かに、久美へ言いたいことは色々ある。
だけど、今この状況で攻めるようなことはできなかった。
これじゃまるでイジメだ。
1人でオロオロしていると、1人の男性社員が慌てた様子で部屋に入ってきた。
「さっき小耳にはさんだんだけどさ、昨日今井さんの奥さんが会社に乗り込んできたって本当か?」
「嘘、そんなことがあったの?」
「らしいぞ? こりゃ今井さんは部署移動確定だなぁ」
コソコソと話しているのが筒抜けだ。
久美の化粧する手は完全に止まってしまっている。
「ってことは、不倫相手が誰かってことも、奥さんにバレてるのかな?」
美穂がニヤニヤと久美を見つめて言う。
「うわやばーい! 慰謝料とか取られたりしてぇ!」
「会社にもいられなくなるかもよ?」
美穂と文音はあからさまの攻撃に、不意に久美が立ちあがった。
(こんな状況じゃ会社にいられないよね)
澄恵はそう思ったのだが……。
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