第19話 酔いどれエルフと居酒屋さんごっこ

 セラさんは犬神さんの部屋に居候になってから疑問に思っていた事があった。数えきれない程の酒が並ぶリカーラックだとか、数十本入るワインセラーだとか、日本酒用の冷蔵庫かあるとか、大量に消費するお酒を置いて置く為に隣の部屋も借りているとか、明らかに一般人から逸脱したお酒に対する行動はもはや犬神さんだからという事で決着がついているのだが……

 

「犬神さん、前々から気になっている事があるんだが」

「あぁ? くだらねぇ事なら答えないが一応聞いてやる。なんだ?」

「カクテルを作る道具とかはまぁ、分かるのだが、提灯とか暖簾とか綺麗にしまってあるじゃないか? あれってなんなんだ?」

 

 そう、まるで大衆居酒屋にでもありそうな備品が綺麗に仕舞われているのだ。それを偶然見つけたセラさんは一体それらはなんなのか? 気になっていた。

 

「あー、あれな。居酒屋ごっこする為」

「え? 今、なんて?」

「だから居酒屋ごっこする為」

 

 ごっこ遊びとは、小さい男の子の子供が憧れのヒーローに扮したり、女の子がおままごとやらで疑似家族を演じたりするあれらである。

 普段、絶対そういうことをしなさそうな犬神さんが平然と言ってのけたのでセラさんは腰を抜かした。


「ひぇぇええええええ!」

 

 それはかつて勇者達と旅をしていた時、死霊達しかいないかつての王国だった死霊都市に迷い込んだ時ほどのゲシュタルト崩壊を受けた。

 

「なんだ? 居酒屋ごっこしたいのか? チッ、しゃーねぇーな。んじゃ、そうだな……ちょっと今からメモる物買ってこいよ」

 

 そう言って犬神さんはセラさんにメモと一万円札を渡した。

 

 ・明太子

 ・卵

 ・生のイワシ

 ・豆腐

 ・枝豆

 ・牛のバラ肉

 

 意味も分からずセラさんは近所のスーパーを回って犬神さんに言われた材料を買って部屋に戻った時、

 

 ガチャリ。

 扉を開けるとふわりとした布が……

 

「暖簾だ!」

 

 そしてキッチンに向かうと、

 

「いらっしゃい!」

「!!!!!!!」

 

 そこには半被を着た犬神さんの姿、そしてAIスピーカーからは音楽系ラジオが流れ、室内の照度は少し暗め、提灯のついた部屋のカウンターキッチンの中から犬神さんはセラさん相手にそう言った。

 

「こ、これ犬神さん。言われてた物」

「うぃ。最初の酒はなんにする?」

「????????」

 

 黒板にビール、焼酎、日本酒、ウィスキー。そしてそれらの割り方も細かく記載されている。セラさんはとりあえず……

 

「じゃ、じゃあビールをください」

「はいよー」

 

 しゅぽっと王冠を抜いた瓶の麒麟ラガービール。小さめのビールグラスに最初の一杯目を犬神さんが注いでくれる。

 

「はい、お通し」

「あ、ありがとう」

 

 ナスの揚げ浸し。セラさんが買い物に行っている間に作ってくれていたんだろう。セラさんは未だ状況が分からずナスの揚げ浸しをパクリと食べ、そしてビールをごくり……

 

「美味しい! 犬神さん美味しいよ!」

「そう? 良かったよ。でおつまみどうする?」

 

 頬杖をついてそう言う犬神さん、今日の犬神さんはなんだか優しい。いや、そもそも犬神さんは優しいのだ。犬神さんを怒らせるのはセラさんが毎度毎度お酒でやらかすからであり、今の犬神さんが本来の犬神さんなのだが……セラさんはファアアアアと嬉しい気持ちになり、

 

「枝豆、イワシ明太、湯豆腐、肉じゃが。最高だ」

「しめはお茶漬けやラーメンもあるからな?」

「じゃ、じゃあ枝豆とイワシ明太を……というか犬神さんも一緒に飲もう!」

 

 そう言ってセラさんはビールの瓶を犬神さんに向けるので犬神さんはグラスを取り出して「じゃあ遠慮なく」とセラさんからビールを注いでもらう。

 

「おい、セラ乾杯」

「犬神さん乾杯だ! これは……すごく楽しいぞ!」

「ふっ。だろ?」

 

 カチンとグラスを合わせて二人はビールを飲む。犬神さんは目を瞑りビールの味を楽しんでいる。そして茹で上がった枝豆の入ったお皿をトンと置く。その間に犬神さんはイワシ明太の調理に入った。

 

「いただきまーす! んまい! 枝豆とビールはヒュドラ夫婦のようだな!」

「なんだ? おしどり夫婦的な意味か?」

「まぁ、そうだな。格言は大抵私たち叡智の種族エルフが考え人々に教えて回ったからな」

「それ今すぐに辞めた方がいいな。お前達珍民族が作る言葉はあんまりうまくなさそうだ。ちなみに実際のオシドリはそんなに中むずまじくない」

 

 身も蓋もない事を言いながら次のおつまみイワシ明太をスキレットに入れて出してくれる。そしてセラさんのビールがなくなった事を見て犬神さんは、

 

「酒のお代わりは?」

「……じゃあ日本酒を」

「はいよ、本日の日本酒は宮城県の浦霞は“だて正夢 特別純米酒 浦霞“同じ名前の“だて正夢“を使ったこれも微妙に滑ってる感あるけど美味い酒だ」

 

 居酒屋のように日本酒グラスを升の中に置いたもっきり。これでもかというくらいそそいでくれる。升の中も表面張力で保っているその状態でセラさんはグラスに触れようとしたが……

 

「お客さーん。それじゃあ溢れるんで、マス酒の方からすすんなさいな」

 

 と犬神さんに言われるので行儀が悪いが升のお酒をするる。香りが鼻から抜けて、味わいが広がる。

 

「うわぁ! 犬神さん、美味しいぞ!」

「チェーン居酒屋だと東北の酒といえば八海山とか越乃寒梅とか万人受けするのが出てくるけど、居酒屋ごっこだとその時々で面白い酒が出て来んのがいいところだな」

「……犬神さん、このごっこ遊びはいつも一人でしてたのか?」

「いや、従姉妹にバーテンダーが一人いてな。そいつが来る時とか、妹が上京して遊びにきた時とかに酒は出さないけどそれっぽい事をな。俺が凝り性だから気がつけばこんな風になった」

 

 犬神さんはグラスに“だて正夢“を注ぐとグイッと飲み干し、横からセラさんのイワシ面体をつつく。店主が客のつまみを勝手に食べてくるのはごっこ遊びだからなんだろう。

 しかし……犬神さんの作ったイワシ明太。

 

「美味しすぎるぞ犬神さん! いや、普段のご飯も美味しいけどな」

「そう? まぁ酒飲みって突き詰めていくとおつまみ作りの名人になるからな」

 

 イワシ明太が半分くらい無くなるあたりで、犬神さんはセラさんが注文していないのに、小鍋で湯豆腐の準備を始めた。薬味の用意も実に手際がいい。

 

「どうせ全品食うだろ?」

「うん、湯豆腐も肉じゃがも大好きだからな! 犬神さん、日本酒お代わり!」

「よしきた!」

 

 イワシ明太を食べ終わると、交換で肉じゃがの入った鉢が置かれる。その足で犬神さんはイワシ面体の皿を洗う。実に手際がいい。

 

「もっと早く言ってくれれば昆布締めとかも作ったんだけどな」

 

 しゃこしゃこと犬神さんは卵を三つ割ってかき混ぜる。だし巻き卵も作るつもりらしい。余った明太子を入れて明太だし巻きだ。

 

 んっんっんと犬神さんは日本酒を飲み干すとふぅと熱い息を吐く。そして二杯目。そんな姿にセラさんは、

 

「犬神さんは今まで私が出会ってきた全ての存在の中で一番酒が強いぞ」

「そうか? 学生時代の飲みサークルの中だと中の中くらいだったけどな」

 

 犬神さんをして中の中、時々犬神さんが懐かしそうに語るその学生時代のサークル。お酒好きによるお酒好きの為だけのサークル。

 サークルのモットーは酒で人に迷惑をかけない。だったそうだ。未だにそのサークルの仲間だと言う人から珍しいお酒が届いたり、犬神さんも珍しい酒を送ったり良い関係は続いているらしい。

 

 そして……セラさんからすると、

 

「化け物の巣窟か何かだったのか……」

「まぁ、そもそも酒の量を競って強い弱いとか言ってる内は酒を楽しめてないんだよ。この一杯を楽しむ事に意味があんだよ。安酒だろうと、高級酒だろうとな?」

 

 そんな話をしている間にも二杯、三杯とグイグイ日本酒を飲んでいる犬神さん、時折自分の作った肉じゃがを食べて「まぁまぁだな」とセラさん的には100点の肉じゃがをそう評価する。

 

「おっ、湯豆腐もういけるから気をつけて食べな。ほい、あとだし巻き。当店の本日のおつまみは以上だな」

 

 普通のお豆腐のはずが犬神さんの作る出汁の中で煮られると料亭の湯豆腐に早替わりする。セラさんはもみじおろしにポン酢を入れて……

 

「ハフハフ……う、うまーい! この湯豆腐は最高だぞ!」

「おぉ。そりゃよかった。どれどれ」

 

 フーフーと冷ましてパクリ。すかさず二人は“だて正夢“をクイッと飲み干す。ほっこりとする。同じような食感のだし巻き卵を時々食べてやはり日本酒で流す。

 

「こんな素晴らしい居酒屋、周辺探してもないぞ」

「まぁ、子供のごっこ遊びを大人なら本気で楽しめるからな。それができるよになった年って事なんだろうな」

 

 頬杖をついて犬神さんが珍しくセラさんに微笑んだ。そんな普段は目つき悪く、いつもメンチをきり、何か可哀想な生き物でも見るような犬神さんがそんな優しいとセラさんは妙に意識してしまう。

 

「本当に、今日の犬神さんは優しいぞ」

「あぁ、お前がよそで迷惑かけないだけで俺の心労が減るからな」

 

 ニコニコと笑いながら犬神さんはそう言った。今までそこまで犬神さんに迷惑をかけていたのかと猛省するセラさんに犬神さんは、

 

「まだいけるなら、〆食うか? お茶漬け、ラーメン、なんならその湯豆腐の残り出汁でおじやもいいかもな」

 

 セラさんの脳内でおじやが100%美味しいと判断している。うんとセラさんが頷くので、犬神さんは残った豆腐を潰してお酒、ポン酢、冷飯を入れると溶き卵にチーズを入れて煮込む。

 チーズリゾット風湯豆腐おじやの完成である。軽くブラックペッパーをかけてトンとセラさんの手元に置かれる。

 

「食べる前から分かる。これ、絶対うまいやつだ」

「だろうな。俺も分かるわ」

 

 本日の〆を前に二人でいただきます。パクパクと食べ進めるセラさん、ゆっくりとフーフーと冷まして食べる犬神さん。

 

「おいしー!」

「うん、うまいな」

 

 と二人はおじやを食べおわり、ほっと一息。なんだか大人になってもごっこ遊びをしている犬神さんが妙に愛らしく思えてくるセラさん。いや、これは珍しく優しい犬神さんの一面を見た為そう思っていて、これからもセラさんが迷惑をかけなければ割と定期的に見れたハズだったのだが……

 

 おおよそ二十一時間後の翌日、チェーンの居酒屋の飲み放題で元を取ろうとして泥酔するまで飲んでぶっ倒れ、犬神さんに連絡がいき、当然ブチギレられ、セラさんが優しい犬神さんを見る機会は再び失われたのだった。

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