07_啓蟄

「駄目!その女性の中から、邪悪な気配を感じる!」

 

 明日野は、菊屋かおるの中のただならぬ気配を感じて、叫ぶ。


「えっ!?」


 明日野の言葉に、一瞬、理性が戻る。


「駄目、私は、あなたとキスしていないといけないの」


 菊屋は、浦野の耳元に静かな声で囁く。


 こんなの初めてだ。彼女らしくないかもしれない。僕を見つめる彼女の目は、虚ろで心此処にあらずという状態だ。普通じゃない。


「かおる、何か変だぞ!?」


 浦野は、彼女から距離を取り叫ぶが、構わず菊屋は唇を近づけると、キスをする。その様子を見て、明日野は顔をひきつられせてドン引きした表情を浮かべる。


 理性がどこかに飛んでしまいそうだ。う、何だ。変な感じだ。あれ、菊屋の口から何かが僕の口の中に入ってくる。


 浦野は、菊屋にキスをされながら、奇妙な違和感を覚える。


「う、うううう!!!」

 

 思わず、声にならない声が漏れる。


 入ってくる。何かが、菊屋の口から僕の口の中に移動してくる。何だ、舌。いや、そんな生ぬるいものじゃない。今まで感じたことのないこの感じ。あえて、例えるとしたら、長細い虫が、僕の口の中に這いずってくる感覚だ。


「ぐ、ぐぐぐぐ!?」


 虫が浦野の口から、ガサガサと音を立てながら徐々に身体の内部に入っていく。


 聞こえる。外からじゃない。中から、虫が蠢く音が聞こえる。あっ、あぁあああああああ!!!


 浦野は、虫の蠢く音と内部に虫が這いずる感覚に、気が動転し倒れ込むと、喉元を両手を抑えて左右に転がる。


「何が起こってるの……」


 明日野は、浦野の異変に呆然とする。彼女の問いに答えるように、菊屋は微笑みを浮かべ呟いた。


「浦野くんの中の怨虫は育ってる。あとは、刺激を与えるだけ」

 

 菊屋は、悶絶する浦野を眺め、ほくそ笑んでいるように見える。


 性格の悪い女。彼女の言葉からするに、浦野という少年の中には怨虫がいて、その怨虫を刺激することで何かをしようとしているようね。


 黙って、苦しんでいる様子を見てられない。やっと、ムカデの怨虫の毒が抜けてきて、身体をそれなりに動かせるようになってきた。


 菊屋は、蝶々型の怨虫を大きな鎌の形に変形させると、ぎゅっと握りしめる。


 菊屋は、振り向かずに背後で浦野を助けに行こうとする明日野に告げる。


「大人しくしておいたほうがいいわよ。死にたくなければね」


 菊屋の言葉はたった一言であったが、明日野の身体に力が戦慄を走らせるには十分だった。彼女の言葉は単なる脅しではない。下手に動けば、本当に殺される。菊屋の放つ、なんとも言えない殺気と声色が明日野にそう思わせた。


 明日野の鎌を握る手は小刻みに震えている。圧倒的な実力差を感じつつも、深呼吸し、集中力を高める。


「あなたが、なんといようとも、私はその子を助け出す!」


 明日野は、まっすぐ菊屋の方を見て叫んだ。すると、背中を向けていた菊屋がやっと振り向くと言った。


「へえ、面白いじゃない。その度胸だけは褒めてあげる。でも、手遅れみたいよ」


 菊屋がそういったと同時に、浦野の頭からグチュグチュという音が鳴り響き、血液が勢いよく飛び散った。そして、夜空に向かって巨大な何かが飛び出る。


「ようやく、始まる。怨虫の゙時代が……」

 

 菊屋は、痙攣する浦野の身体には見向きもせず夜空に咲く巨大な何かを見て呟いた。

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