18-12

「どういうことなの。すでに睦月くんが身体を奪われてるって」


 大股で白味かかった敷石を踏んで先を行く鉄心斎を小走りで追いすがりながら綾香は尋ねた。すると彼は振り向きもせず答えを放り返してくる。


「そのままの意味よ。乗っ取られちゃったのねえ」

「誰に? 悪霊はマーシャが相手にしているはずよね」

「さあ、それはアタシにも分かんなぁい。でも調べてみたら先代の日誌にこう書いてあったわ。『童に祟りなす亡者、それを使役する邪鬼、是、キシモヒツをもって緘する』ってね。だから邪鬼の方なんじゃないの、たぶんだけど」


 そう他人事のように話した鉄心斎は静けさに満ちた林の中をズンズンと前に突き進んでいく。


「童に祟りなす亡者とはカイセとかいう巨人の悪霊に違いないが、それを使役する邪鬼……とはいったいどういう存在なのか……」


 綾香の背後で眉間に深い皺を寄せた宗佑氏が自問を呟く。

 

「ま、見当は付いてるのよねえ。だって巨大化した悪霊を隷属させられるほどの怪異なんて限られるもの」

「え、それってなんなの」


 すかさず綾香が問うと彼は下唇を指で押し上げるような素振りを見せる。


「そうねえ、なにって言われても種はごまんとあるからひとつに絞れないんだけどさあ、でもまあアンタたちに馴染みのある言葉で説明するなら、百々とどのつまりは……」


 もったいぶった口調を続けた鉄心斎はそこで足を止めないまま不意に振り返った。


「悪魔かな」


 そう短く告げた端正な顔に不敵な笑みが浮かんでいた。

 綾香が呆けたように口を開けた時には鉄心斎はすでに首を戻し、挑むような大股で先へと進んでいる。


 道が二手に分かれた。

 鉄心斎は迷うことなく左手、教会の方に向かって伸びていく小径を選び、巨体に似合わない軽やかで柔軟な足取りを踏んでいく。

 

 悪魔など神話とライトノベルとホラー映画の中だけにあるくだらない作り話だと綾香は思っていた。だからそんな想像上の存在がいきなり出てきたことに困惑してしまった。無意識に半開きの口許から嘲笑を隠したような声がこぼれ落ちる。


「あ、悪魔……。まさかそんなの本当に……」

「そりゃあ、いるわよ。アタシもこれまでに何体か地獄に送り返したことあるし」


 鉄心斎はさも当然といった風に振り返りもせず言い切り、そしてさらに澱みなく言葉を続けた。


「悪魔は悪霊や妖魔を統べる存在よ。たとえば、そこの経営者さんに分かりやすいように人事で喩えれば部長や専務級の管理職みたいなものかしら。だからそれなりに強大な力を持っているから面倒なのよねえ」


 まるでゴミ集積所にたかるカラスでも追い払いに行くような口調とともに大男の肩がコミカルにすくむ。するとそのとき宗佑氏が綾香を追い越し、そして鉄心斎に追い縋った。


「し、しかし、どうしてそんなものがこの屋敷に。それになぜ、睦月を狙うんだ」

「えー、そんなのさっき来たばっかのアタシに分かるわけないじゃない。バカなの」


 鉄心斎が振り向き、にべもなく含み笑いでそう返した。

 けれど不意に思い出したように「あ、でも」とすぐに続ける。


「ちょっと矛盾はあるのよ、確かに」

「矛盾?」


 おうむ返しに綾香が訊くと鉄心斎は視線を右に流して軽く頷いた。


「うん、悪魔ってさ、依代の肉体から離れた状態だとそんなに長く存在を保てないんだよね。それに魔力だってあっという間に枯渇するしさあ。うーん、謎だね」


 ひとしきり考えを巡らせたけれど、綾香の中で彼の言う矛盾と謎が上手く噛み合わない。


「えっと……それってつまり?」

「あれ? お嬢ちゃん、もしかして頭の回転スローペース系?」

「はあぁ?」


 思いがけない悪態に頬を引き攣らせた綾香を鉄心斎は後ろ目を流してニヤついた。


「あはは、冗談よお。目くじらなんて立てちゃって、怖い怖い、うふ」 

「あのねッ、今は話を茶化してる状況じゃないでしょうが!」


 再び宗佑氏を追い越した綾香は前を行く大男の後頭部を睨み上げる。


「はいはい、分かった。分かりました。もお、おこりんぼさんは嫌われるわよお。でもまあ、そうね。じゃあ、逆に質問するわ。先代の日誌には亡者と邪鬼をキシモヒツという術で封印したと記されていた。ま、この記述自体、ツッコミどころ満載で笑っちゃいそうなんだけどこの際、他は百歩譲って目を瞑るとしましょうか。で、アンタたちに考えてもらいたいのはこの一点。『先代に封印された邪鬼、つまり悪魔はそのとき何を依代にしていたのか』ということ。それが謎解きの足掛かりになるかもしれないからさ」


 綾香は首を傾げた。

 そんなこと急に聞かれても分かるはずもない。

 ただ、鉄心斎が情報を求めていることだけは理解できる。


 キャラといい、その発言といい全く野放図なおネエだが、さつきパパが評したように鉄心斎の実力は計り知れないものがあるのだろう。綾香にもそれはなんとなく雰囲気で察せられる。

 とにかく身のこなしにそつがない。

 隙だらけに見えて、少林寺拳法二段を取得している自分が背後から襲い掛かってもあっという間に組み伏せられてしまいそうな空気感に満ちている。おそらく武闘家としても相当の実力を持ち合わせているはずだ。また心技体のバランスに少しでも歪が生じれば、とてもこういう自然な立ち居振る舞いはできない。

 だとすればこの男、案外、慎重な性格と思考の持ち主なのかもしれない。


 綾香がそう値踏みをする鉄心斎の分厚い肩の向こう、樹葉のかげに教会の尖塔が見え隠れしている。同時に底無し沼に呑み込まれていくような不穏な気配が次第に濃さを増していく。


 そのとき不意に呻きに似た呟き声が聞こえてきた。


「ま、まさか……それじゃ、もしかして……」


 綾香が目を向けると背後で立ち止まった宗佑氏が真っ青な顔をして立ち尽くしていた。


 **********


 皆様、いつも拙作にお付き合いくださり、ありがとうございます。

 

 こちらの章はひとまずここまでとなります。

 次回は睦月の話を一話挟み、それから再びカイセの章に戻ります。


 アウシュビッツ収容所の場面から始まるので、また暗黒章になること請け合いですがあまり引っ張らずに進めて行きたいと考えています。


 『あの方』がどういう存在なのか。そしてどういう経緯でカイセとともにこの地にたどり着き、また鉄心斎に封印されてしまったのか。


 本心をいえば暗黒章は省いてすぐにでもミシャ&鉄心斎タッグ vs 『あの方』の華々しい戦いを描きたいところですが、そこを説明しないとお話として不完全になってしまいますので仕方がありません。


 ちょっと気合いを入れて頑張りますので、よろしければ皆様、どうかこれからもお付き合いくださいませ。

 よろしくお願い申し上げます。

          

     那智 風太郎

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る