17-6

 『水晶の夜』を境にして解剖学教室に運び込まれる遺体は精神遅滞者や肉体的不具者のものから徐々にユダヤ人のそれへと切り替わっていった。また辛うじて人道性を保っていたように思われた実験内容も少しずつその質を変貌させていくことになった。

 それまで安楽死実験に使われる薬物は麻酔薬の試作品のようなものが主であったが、ユダヤ人の解剖体に付された報告書の薬物欄には尋常ではない物質の名がしばしば書き込まれていた。

 たとえば静脈に大量の空気を注入された遺体があった。

 空気塞栓により脳内血管に多量のガスを充したその中年女性の死因はそれによる脳ヘルニアであると考えられた。

 またある種のシアン化合物が使用された遺体もあった。

 それは神経系の毒物であり、身体中の筋組織に激しく痙攣したことを示す傾向が見て取れた。

 他にも砒素化合物を塗られて全身の表皮が膨れ上がったものや一酸化炭素の吸引により窒息状態で死亡した遺体も多くあった。

 おそらくそれらは毒ガス実験に供されたものであり、その後に行われる大量虐殺のための予備試験だったのだろうと思われる。

 

 同時に秘匿されていた我々研究グループの存在も次第に公知されていった。そしてそれに連れ他の主要な医学大学でも同様の研究が盛んに行われるようになったらしく、解剖学や病理学の分野における論文が短期間のうちに著しく増大した。けれどその実験内容には思わず首を捻りたくなるようなものも散見された。


 たとえば帝王切開で取り出した生後三ヶ月の未熟児を別の母体の子宮に移植して保育できるかどうかを調べた実験があった。予想通りそれは不成功に帰結していたが論文にはその死亡胎児の解剖結果に加え、移植された子宮、および元の母胎子宮までも解剖され所見が述べられていた。つまりおそらく三人の人間がこの実験に供されたことにより命を絶やしたと容易に想像できた。


 作為的に尿管を結紮された水腎症モデルの作成実験もあった。

 左右一方の尿管を結紮された者と両側を閉じられた者が二週間ほどでどのような状態に陥るかが詳細に調べられ、そして実験終了後に全員が解剖体として供されていた。

 その実験に供された人間は六名で二十代の男女、三名ずつ。

 普通ならラットやマウス、あるいは犬や猫などの動物で充分に事足りる実験だったし、そもそも水腎症という古典的な病態に対していまさら病理学的研究を行なっても、そこから医学的発展が得られるはずなどなかった。多少でも医学に心得のある者ならばそんなことは議論するまでもない自明の理であった。


 要するにナチ党の病理医や解剖医にとってユダヤ人はもはや安価な実験動物と成り果てていたのだ。

 いくつかの論文に目を通した後、私はわずかに眉根を寄せた。

 

 この国は私とは全く異質の狂い方をしている。

 

 それが当時の私が抱いた率直な感想であり、またなし崩しのうちにその片棒を担がされている状況に少しばかり困惑と憤懣を覚えた。とはいえ、当然ながらその感情の出所は人種差別や残虐な行いに対する怒りや嫌厭ではなく、ましてや間違ってもユダヤ人への同情や哀悼などではなかった。

 では何かと問われれば、けれど上手く説明ができない。

 ただ強いていえば『浪費に対する嫌悪』が最も近しいものではなかったかと思う。

 

 勿体無い。

 

 おそらく端的で云えばそういうことだった。


 なんとなればその論文を書いた連中に面と向かって嫌味のひとつでも言ってやりたいと私は思っていたかもしれない。


「彼らを殺すとき、生が死へと転じるとき、君たちはその妖艶と美をきちんと堪能できたのか」


 詰まるところ、それはやはり遺体をぞんざいに扱う同僚たちに向ける厭いと同種の感情であったように思う。同時に死体を切り刻むだけの自分がそんな高尚な発言をする資格などないと自戒もしていた。重ねてこうも自問した。


 はたしてもし自分に数人の生きたユダヤ人が与えられたとして、私は彼らの命を有意義に使うことができるのだろうか。


 いくら考えてみてもよく分からなかった。

 云うまでもなく私は別に医学の発展に貢献したいわけではなく、そもそも医師になった理由さえ極めて不道徳なものであり、私の抱く矜持など俯瞰してみればナチ党が進めている人種絶滅政策となんら変わるところのないものだった。


 つまり人を殺したいと云うその一点で私と彼らは全くの同種であったわけだ。


 釈然としないが、そう分類されても言い逃れはできない。

 そんな気がしていた。

 喩えて云えば狩猟と牧畜。

 突き詰めればどちらの目的も殺して食うことなのである。

 

 当時の私はそのような解釈に葛藤を覚えつつも、特にそれに抗うことなく淡々と与えられた職務を遂行していた。

 また皮肉にも各地で行われるようになったそれらの人体実験の結果や考察は軍事的暴発を目の前に控えた祖国日本にとって頗る有益な情報となっていたようで、それにより私の留学期限は当初の二年から大幅に伸ばされることになった。


 そしてそれから時を置かず、ついにナチスドイツはポーランドへと侵攻し、第二次世界大戦の火蓋が切って落とされた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る