17-7

 開戦後、私には即座に出国命令が下された。

 アーリア人至上主義を掲げ、近隣国を侵略し始めたこの国に外交官でもない一介の東洋人がのうのうと居座れるはずもなく、それは当然の措置であった。私は素直に従い、教授にその旨を告げて出立の準備を始めた。ただ準備といっても三年以上暮らしたヴォーヌングの部屋には私物などほとんどなく、愛用していた解剖学術書をボストンバッグの底に敷き、洋服と下着、そしてパンを切るナイフを布に包んで放り込むとそれでだいたい終わってしまった。

 そして除籍手続きと形式的な挨拶のために教授室に赴くと、意外にもある人物がそこで私を待ち構えていたのだった。


 ヴェルナー・リンデン博士。


 彼は齢四十にして全国保健局の第三局長を務め、親衛隊S S医師としてナチスドイツの衛生戦略の基盤にも関わっているとされるエリート中のエリートであった。

 ただしその衛生戦略というのは真っ当な疾患の予防に重点を置いたものとはかけ離れていた。

 たとえば重症の結核患者などは家族から引き離された後、狭く暗いジメジメとした檻のような病院に閉じ込められて、薬はおろか食事さえもほとんど与えられずにただ野垂れ死ぬのを待つという悲惨な処遇に置かれていた。あるいは遺伝性疾患の撲滅というスローガンのもと、精神疾患(一般的な生活にほとんど支障がないとしても)を持つ若い女性はほとんど意味を為さない形式的な問診で陽性診断が下されると即座に強制不妊を勧められ、同意しなければ死刑に処されるという政策も取られていた。

 他にも労働力として能わないと判断された国民はユダヤ人かそうでないかを問わずすべからく秘密裏のうちに淘汰される運命にあった。

 そして次々に打ち出されるそういった極端で凄烈な排除保健政策の裏にはその提言者として必ずといって良いほどヴェルナー・リンデン博士の影があるのだと聞いたことがあった。

 また総統アドルフ・ヒトラーの覚えも良く、自宅に招かれて晩餐を共にしたことも一度や二度ではないとの噂で、そんなナチス帝国の重鎮ともいえる人物がこの国から追い出されようとしている一介のアジア人留学生に歩み寄り、にこやかな笑みを浮かべて握手を求めてきたのでさすがに私も意表を突かれ、また恐れ多くもあり表情を固くしながらもおずおずと右手を差し出したのであった。


「私のことは覚えているかな、Herr ヘル九条」

「ええ、もちろんです、Drドクトル リンデン」


 私は予想外にしっかりと握られた手に少しだけ力を加えながらこの若々しい天才と初めて出会った時のことを思い返していた。

 あれは確か数ヶ月前のこと。

 まだ真夏の暑さが厳しい頃、いつものように早朝、地下の解剖室のドアに鍵を差し込んだ私は首を傾げた。


 開いている……。

 もしかして昨日、当番の者が閉め忘れたのだろうか。


 不審に感じながらもドアを引き開けると解剖台の前に白に近いグレーの背広を纏った男の後ろ姿があった。それが教授でないことはその髪と広い肩幅ですぐに分かった。そしてブロンドの髪を整然と綺麗に後ろに流したその男がおもむろに振り返ったその時、私は不覚にも美しいと感じてしまったのである。

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