Encounter 102 - 116

16-1

 見つめる先 ――――

 俺たちの視線が捉えていたのは濃霧とともに取り囲んでいた鬱蒼とした木立ではなく、十字架を携えた三角屋根の教会だった。

 唖然として声も出ない。

 けれどそのあろうはずもない光景を目の当たりにした瞬間、俺は息を呑むのと同時に自らの浅薄と油断を深く悔いた。

 キヨからのアラートを受け取った時点でなぜこれを見破れなかったのか。

 ずいと呼ばれるこの術のことを俺はよく知っていたはずなのに。


 隧とは地中をくりぬいた道、つまりトンネルのことだ。

 また霊術においては現世から霊界へ穴を開けることを指す。

 たとえば昨日、キヨが睦月を隠すために使った手法もこれに当たるし、霊体や妖怪にとっては人を惑わせるための常套手段でもある。

 つまりカイセはその術を駆使することにより現世から霊界へ、霊界から現世へと二つの穴を開け、布を手繰り寄せるようにその双方の穴を繋ぎ合わせたに違いなかった。要するにワームホールを介した空間転移ワープと同じ原理だ。そして濃霧は隧の周辺に生ずる空間の歪みをごまかすためのカムフラージュだったというわけか。

 単純な罠だ。

 それに気付けなかった俺はやはり愚かだった、けれど……。


 バカな、隧と隧を繋ぎ合わせるだと――――。

 どれだけ強い霊力を持ってすればそんなことが可能なのか。

 おそらくはミシャでも無理だろう。

 そんな突拍子のない力技を予見できるはずがない。


 内心、自身をそう庇おうとして俺は顔をしかめ、次いで教会の前に立ちはだかる巨大な悪霊を睨みつけた。

 やはり睦月の言に虚飾はなかったようだ。

 すなわちカイセの身の丈は優に三メートルを超えている。いったいどれほどの怨毒を残してこの世を去れば霊体がこれほどの大きさに膨れ上がるというのか。

 それを考えるだけでも悍ましさに凍りつく心地がするというものだが、俺が真の狂気を感じたのは巨躯そのものにではなく、そこに幾重にも渦を巻いてまとわりつく無数の蛇のような真っ黒な霊気に対してだった。

 それらはよく見ると溶けたタールのようなドロリとした身体を持つ無数の霊体の集まりであり、そのところどころに生身の人間のままの顔や手足が突き出すように見え隠れしていた。

 俺は普段、どれほど奇怪な姿の霊と遭遇してもたいして驚きはしない。

 けれどこれは残酷過ぎて、さすがに俺も思わず目を背けたくなった。

 カイセが身に纏う数多の霊体。

 それらは見たところ全て年端もいかない子供たちの霊であった。

 彼らは皆、苦痛と絶望に塗れた表情で目から大粒の涙を滴らせ、大きな口を開け、あるいは歯を食いしばったまま声として形とならない怨嗟を上げ続けていた。

 それはまさしく地獄絵のような光景だった。

 俺は眉間に深い皺を寄せゴクリと唾を飲み込む。

 すると刹那、キヨの記憶の中に見た哀れなコウジロウの姿がまざまざと甦り、胸に杭が穿たれたような痛みが襲った。

 

 許せない。


 彼らは全てコウジロウと同様、カイセに命を弄ばれた被害者たちだろう。

 しかも奴は殺した後も子供たちの魂を拘束し続け、あまつさえ装飾品のように身につけて愉しんでいるのだ。

 悪霊とはいえここまで残忍な仕打ちをするとは……。

 俺は痛みを堪えるように拳を胸に当て、ゆっくりと膝立ちになる。

 そしてもう一度視線を持ち上げ、いっそう眦に力を込めてカイセの顔を睨みつけた。

 奴はキヨの記憶の中で見たほぼそのままの顔立ちをしていた。

 すなわち生真面目そうな四角い輪郭の中央に西洋人のような鷲鼻が聳え立ち、その下にこざっぱりとした口髭と血の気の乏しい薄い唇を従えていた。またややこけた頬を歪ませてそこはかとない不穏さを読み取らせる不気味な笑みを浮かべている。

 しかしながらポマードで固めたオールバックはマジシャンが使うような余興じみたシルクハットで覆い隠され、また細く鋭利な刃物を思わせる眉の下にあった冷酷な瞳は消え去り、今はただ底無し井戸のような真っ黒な眼窩が二つポッカリと口を開けて並んでいた。けれどその単なる穴に似た無機質な視線から放たれる底知れない威圧感に気圧されて俺は立ち上がることさえままならない。


「えっ、私たちどうしてここに……」


 そのとき傍らでさつきが恐々と呟いた。


「罠だ。カイセの術中に嵌ってしまったらしい」


 俺は視線を前に向けたままそう答える。

 するとさつきは「そんな……」と絶句し、続けて雑賀さんが呻くような悲鳴を漏らした。カイセはその俺たちを睥睨し片頬を微かに吊り上げた。


『ようこそ、私の狩場へ』


 その声は聞く者の魂魄まで震え上がらせてしまうような冷酷なテノールだった。

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