15-8
勝手口を出た俺たちは示し合わせていた通り縦列となって、木立へと向かう煉瓦敷きの小径を沈黙を保ったまま半ばまできた。
先頭を行く雑賀さんは時折気遣うように後ろを振り返りながらやや足早に進む。
またさつきも首を捻っては何度も背後の睦月を見遣り、足音を忍ばせるようにして雑賀さんに続く。そして睦月はといえば意外にもあまり恐れる様子も見せず、近づいてくる木立の梢枝でも見つめるように飄々と顔を上げ、また左手をズボンのポケットに突っ込んだまま歩みを進めていた。
俺はその睦月の背中でわずかに上下を繰り返す群青色のランドセルを目に映しながら、やや怪訝な面持ちでミシャとのやり取りを頻繁に繰り返していた。
『なあ、本当にまだ動きはないのか』
『ああ、奴め、さすがにあっちの小娘の気配に気づかないはずもないがな。さて、何を企んでおるのか実に興味深いのう』
そう言って含み笑いを添えたミシャに俺は顔をしかめる。
『そんな悠長に興味なんか抱いている場合じゃないだろ。というか、もしかしてカイセの奴、今回は機会を見送るつもりなんじゃないか』
『ふん、どうしてそう思う』
『いや、理由はよく分からないが何か不都合があるとか。こっちも大人数だし、さすがに手を出し辛いのかも』
『フハハ、全くもって貴様らしい馬鹿げた予断じゃな。ワシの存在が知れておればいざ知らず、人間などいくら寄り集まろうと
『なんだよ。じゃあどうして動かないのか説明してくれよ』
思わず口を尖らせるとミシャはさも愉快そうに再び笑声を放った。
『悪霊風情が考えておることなど知るか。ただ、そうはいっても久々の大物には違いない。ワシは存分に楽しませてもらうぞ』
呆れて、ため息が出てしまった。
するとその嘆息が聞こえてしまったのか、睦月が振り返って小声で尋ねる。
「どうしたの、石破さん」
「あ、いや、なんでもない。気にするな」
「そう」
睦月はちょっと訝しげに頷いて、再び前を向いた。
その小さく頼りない背中に背負われてカタカタと音を立てるランドセル。
それをひとしきり見つめていると、道中募らせていた疑念がつい口から出てしまった。
「なあ、睦月。怖くないのか」
すると睦月はもう一度こちらに顔を向け、それからゆるゆると首を振った。
肯定と否定、それがどちらの意を含んだものか判然とせず黙っていると睦月は少し肩をすくめて小声で「怖いに決まってるじゃん」と付け加える。
「そうは見えないがな」
「まあね、あんまりビクビクしてるとこ見られたくないからね」
「そうか、なるほどな」
とりあえず頷いてはみせたものの、空度胸にしては落ち着き過ぎているように思えて俺は密かに首を傾げた。睦月は顔を前に戻し、取り繕うようにランドセルを大きく背負い直す。すると教科書が跳ねた音だろう。ガタンとひときわ大きな音が響いた。
「ねえ、無言行動じゃなかったの」
さつきが口もとに人差し指を押し付けて振り返り、俺を睨んだ。
「ああ、すまん」
そうだった。
自分が言っておきながら、これはとんだ失態だったと反省した。
けれど小径はすでに木立へと差し掛かっている。
教会からここまではざっと見積もっても二百メートル以上はあるだろう。
霊界ならいざ知らず、現世においてはやはり霊体も物理的な法則に従うしかない。
つまりカイセがどれほどの霊力を持っていたとしても、さすがにこの距離を一瞬で詰めることなど不可能というものだ。
ガレージはもう目と鼻の先。おそらくはあと数十秒で到着する。
それに常識的に考えれば、ここはすでにカイセが移動できる縄張り外であるはず。
ならばもはやミッションは成ったようなものだろう。
睦月に語りかけたのは失態に違いなかったが、これでは油断しても仕方がないと自分を庇いたくなった。
俺は眉根に皺を寄せたさつきを片手拝みにして、小声を放った。
「悪かった。まあ、でも大丈夫そうだ。この時点でカイセに動きはな……」
『待て、真咲』
突如、脳内に響いたミシャの鋭い声にゾクリと冷たいものが背筋を貫いた。
俺はさつきに向けた手刀をそのまま額に押し付けて訊く。
『な、なんだ』
『小娘から伝令じゃ。止まれと云うておる』
ようやく動いたか。
緊張がジワリとした波動となって全身に拡がっていく。
俺はすぐに気を引き締め直し、辺りを警戒した。けれどやはり周辺にはカイセはおろか、微かな霊気も感じられなかった。
俺は足を止めることなく、ミシャに念を伝える。
『いや、いまさら動きがあったところでさすがに追い付かれることはないだろう。それよりキヨの方が心配……』
『阿呆めが、聞いておらんかったのか。小娘は止まれと云うてきておるのだ』
一瞬、意味が分からなかった。
止まれ……?
なぜ、止まる必要がある。
警告するなら、むしろ急げと伝えるはず。
そこまで思考が達した刹那、俺は踏み出した右足をようやく地面に張り付かせた。
「みんな、止まってくれッ」
思わず声が上擦った。
次いで全員が足を止め、即座に振り返る。
雑賀さんの顔には不安が、さつきの顔には恐怖が、そして睦月の顔には動揺の色が見て取れた。見回すと辺りにはいつのまにかさっきまでよりずっと濃い霧が立ち込めていて、俺たちを取り囲んでいる木立さえも黒い棒のような影にしか見えなかった。
「あ、あの、どうしたんですか」
雑賀さんが強ばらせた表情で訊いた。
「分かりません。けど、何か想定外のことが起こっているようです」
「そ、想定外ってなんですか」
さつきの問い掛けにも俺はとりあえず首を横に振るしかない。
「現在調査中だ。だが、キヨから動くなと警告が送られてきた」
「でも、ガレージはもうすぐそこなのに」
「ああ、そうだな。しかし警告を無視すれば死地に陥る可能性もある。ここは素直にキヨの指示に従って待機するべきだと思う」
出来るだけ平静を装ってそう答えたものの、実のところ俺の中にも疑心暗鬼がグルグルと渦巻いていた。
キヨ、そっちではいったい何が起こっている。
もしかして別働隊がカイセに襲われているのか。
けれどそれならば伝令は待機であるはずがない。
ならば、なんだ。
なぜ止まらなければならないんだ。
けれどいくら考えてみても彼女の意図がさっぱり分からない。
奥歯をギリと噛み締めるとそのとき、地の底から響かせるようなミシャの窃笑が再び鼓膜の奥に響いた。
『クククッ、なるほどのう。こんなことができるとはさすがのワシも思わなんだ。これは予想以上に面白いことになってきたようじゃのう』
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