15-7

 あの日以来、彼女は私にすっかり懐いてくれるようになった。

 生意気なさつきを突き放さなかったのは私が彼女の中に危うさを感じたからだ。

 いや、むしろ外にと云うべきだろうか。

 

 誰にも舐められてはならない。

 弱みを見せてもいけない。

 そのためには自分の前に立ちはだかりそうな強者を予め打ち倒す必要がある。


 あのとき私の目に映ったさつきはそういう歪なオーラを漲らせた幾重もの鎧を纏う心細げな少女だった。


 でも、その鎧でいったいどんな矜持を守ろうとしているのだろう。 

 

 同時にそんな疑念も生じた。

 彼女が地元の大企業宗家のご令嬢であることは後で知った。

 加えて頭脳明晰、成績もかなり優秀らしく、おまけに容姿まで端麗。

 それに打ち解けて話してみるとさつきは意外と気さくで細やかな心遣いもできた。

 それなのに彼女はその後も依然として自分が認めた人間以外にはつっけんどんな態度を取り続けている。

 そのせいで入学してひと月以上経つというのにクラスには一人として友達と呼べる存在はいないようだ。また規則があるので仕方なく写真部に籍を置いたようだが、どうやらその部室にも一度も顔を出していないらしい。

 ただでさえ身に覚えのないやっかみや陰口も多いはずなのに、なぜ敢えてそんな風に入学早々さらに敵を作るような真似をしているのか。全くもってそれは不自然極まりない話だったが、けれど私はあえてその理由を尋ねなかった。

 訊いたところでさつきは不審げに首を捻るか、あるいはあやふやに誤魔化してしまうに決まっていた。いくら心を許したように思えても彼女がその外殻の全てを脱ぎ去ることはないはずと私は確信していたのだ。

 

 けれど今回のことで私の中にわだかまっていた疑念はほぼ氷解したように思える。

 彼女が幾重もの鎧を纏ってまで大事に守っているもの。

 それはおそらく亡き母親に対する未だ色褪せない愛慕なのではないだろうか。

 そしてもしかすると彼女は母親が生きていた頃のままの家族の形を必死で保存しようとしているのではないか。

 そう考えると、纏った鎧は母親から引き継いだ責務を全うしようとする強い意志の表れなのだろうと容易に想像が付いた。

 つまりさつきはこの家の娘であるよりも母であろうとしているのだろう。

 

 常にしっかりしていなければならない。

 堕落してはならない。

 隙を見せてはいけない。

 そんな風に彼女は矜持で自分を雁字搦めして生きてきたのかもしれない。

 だから学校でも誰とも馴れ合うことなく、敵を作ることをむしろそれが強さだと錯覚しているようにも思える。


 その健気さに痛々しさを感じた。

 同時にそんな彼女がとても愛おしく思えた。

 そして私は決意した。


 この先、どんなことがあっても私はさつきの味方であり続けよう、と。 


 

「駄目だね。父親なんてこういうとき全く役に立たない」


 聞こえてきた自嘲に私はふと我に返った。

 そして急いで目線を横に流して首を振る。


「そんなことないと思いますよ。でも、さつきさんはまだお母さんとの別れを受け入れられてないような気がします」


 するとさつきパパは顎で何か重いものを打ち込むように強く頷いた。


「その通りだと思う。でもそれはさつきだけでなく睦月も、そしてこの私も同じだったのかもしれない……」


 長く苦しげなため息が彼の喉元から放たれた。


「なんて愚かだったんだろうね。私はきっと兄と同じように妻のことも忘れようとしていたんだ。そればかりか記憶が薄れればそれで子供達の心の痛みも自然と消えていくだろうなんて都合の良い解釈をしていたんだと思う。でも考えてみれば適切な手当をしなければ深い傷はやがて膿んで酷くなっていくに決まっている。それが容易く癒えることはないし、たとえ長い時間を掛けて癒えたとしても醜い疵痕となって永久に子供達を苦しめることになるはずだ。そんな当たり前のことさえ理解していなかった私は本当に愚かで駄目な父親だった」


 悔恨を隠さず、歯軋り混じりに落とされた言葉に私は沈黙を保つことしかできなかった。

 いつのまにか霧が深くなっていた。

 道はすでに前庭を降りて、木立まであと少しというところまで来ていた。


「でもこの件に無事決着が付いたら、家族できちんと向かい合うつもりだよ。虫が良すぎるかもしれないが、今からでも遅くないと信じたい。だから城崎さん、それまでさつきのことをよろしく頼む。どうやらあの子はキミと石破くんにだけは心を許しているみたいだから」


 私はちょっと苦笑いで頷いた。


「ええ、分かりました。でもマーシャにはこういう真面目な話はしない方がいいですよ。あいつが怪奇現象以外で役に立ったところなんて見たことないですし」

「そうなのか。じゃあ、城崎さんも苦労しているんじゃないのかな、彼氏がそんな感じだと」

 

 急に素軽くなったさつきパパの言葉に思わず頷きそうになった私は慌てて両手をブンブンと振った。


「かッ、彼氏じゃないですよ。たッ、ただの幼馴染みですからあんなの」

「ふうん、そうなんだ」

 

 そう肩をすくめて意味ありげな微笑みを浮かべたさつきパパに私がさらに大袈裟に否定しようとしたそのとき、前を行くキヨちゃんが唐突に足を止めて呟いた。



『ちょっと待って。……なにかおかしい』

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