15-6
それは入学式と始業式を終えて数日が経ったある日の放課後のこと。
生徒会室で黙々と雑事に追われていた私は、ふと誰かが歩み寄る気配を感じて斜め後方に顔を向けた。すると艶のある黒髪をボブカットにした清楚な感じの女子生徒がそばに立っていて、私と目が合った彼女はいかにもよそ行きの笑顔を浮かべて軽く頭を下げた。
「城崎先輩ですね。私、1年 A 組の柏木さつきといいます。少々お時間をいただきたいのですがよろしいでしょうか」
その声には清々しいほどためらいも気後れもなかった。
私は反射的に愛想笑いを作ったものの、彼女の瞳に滲む好奇の色に気がつきそこはかとない鬱陶しさに心中を曇らせた。
きっとこの娘も物見遊山のつもりで私を見物に来た輩だろう。
女帝とかいうくだらない渾名のせいで、この学校における私の存在はいつのまにかとんだ客寄せパンダだ。
私はため息を押し殺しながら、それでも務めて明るい声を出した。
「んと、あなたとお話したいのは山々なんだけど今はちょっと取り込み中なの。大事な話でなければ遠慮してもらえると助かる、かな」
こう言えばたいていは引き下がってくれるはず、という確信に近い期待が込められたテンプレ返しだった。けれど思いがけずそれは簡単にいなされてしまった。
「お忙しいところ恐縮です。でも、わりと大切なお話なので引き下がるわけにもいきません」
わずかに作り笑顔が歪んだかもしれない。
「……えっと、なんだろ」
仕方なくそう訊くと彼女はケレン味もなく頷き、静かで落ち着いた声を放った。
「実は新入生に対するあまりにも執拗な下校時の入部勧誘について意見を申し上げたいと思いまして」
内心、とっさに頷けてしまった。
確かにこの学園における新入生への入部勧誘はちょっと常軌を逸していると云わざるを得ない。
全生徒各員がいずれかの部に属さなければならないという理解し難い学園規則が旧態依然と罷り通っているせいで、この機を逃さじと校舎から正門までのそれほど長くない道のりの両側を各部が総員をこぞって埋め尽くし、そのそれぞれが入り乱れて「一年生、一人も撃ち漏らさじ」とキャッチセールス顔負けの強引な勧誘を繰り広げることになるのだ。そして結果、今年もまた校内道路はまるで血刃争奪、阿鼻叫喚の戦場の如き様相を呈していることは私の耳にも入っている。
だから苦情を申し立てに来た柏木さつきの気持ちは十分に理解できるものの、それを踏まえてもまだ彼女の行動に少しばかり疑心を抱いてしまう自分がいた。
「分かったわ。でもそれなら私よりも会長か副会長に直接……」
と言いかけた私はそこでくるりと教室を見回した。
「そっか、今日は進路指導があるとかでまだ三年生は来てないもんね。でもここには他にも役員がたくさんいるのにどうして私に?」
実際、生徒会室には私を含めて六人ほどの人間がいた。
私が陣取っている場所はドアから遠く離れた長机の一角で、入り口に近くにはわりと暇そうに小声で駄弁っている役員もいる。その彼らを通り過ぎてあえて私に話しかけてきたということはやはり興味本位が先に立っているのではないか。
そう疑った私の瞳に怪訝の色が透けて見えたのかもしれない。
彼女はニッコリと挑戦的な笑みを浮かべて私を見据えた。
「城崎さんは次期生徒会長候補の最右翼だとお聞きしました。なのでぜひ一度そのお手並みを拝見したいと思ったのです。それにざっと見たところ、ここには城崎さん以外、的確な裁量を下せる方はお見受けできないと感じまして」
それは忌々しくもハッキリとよく響く伸びやかな声だった。
当然ながら生徒会室の空気は一瞬にして凍りつき、硬い沈黙が立ち込める。
なんと高飛車な……。
呆れた私は思わず顔を存分にしかめて、此れ見よがしに盛大なため息を吐き出したくなった。そして適当にあしらってこの生意気が過ぎる女子生徒を早々に追い返してしまおうと思わないでもなかった。
けれど、なぜだろう。
次いで私の口から溢れ出たのはこんなセリフだった。
「そう、分かった。えっとあなた、柏木さつきさんっていった?」
その質問に彼女は少し肩をすくめて頷く。
「じゃあ、これからサッキィって呼ばせてもらうけどいい?」
そういって私は微笑みを作り直して立ち上がり、さつきに右手を差し出した。
するとさすがに戸惑ったのだろう。彼女は大きな瞳をまんまるに見開いて手を出すかどうか逡巡する素振りを見せた。けれど私はかまわずその手を引き取って両手で包むように握る。
「はい、それじゃまず深呼吸してみようか、サッキィ」
「……あの、えっと、なぜですか?」
さつきの顔から笑みが消えた。
「え、だって少し緊張してるみたいだから」
「緊張? してません、そんなのッ」
彼女はあわてて私の手を振り払い、憤懣に満ちた表情で私を睨んだ。
けれど私はそれを微笑みのまま受け止めて言葉を返す。
「それなら、もう一度この部屋の中をじっくり見渡してみて」
するとさつきは訝しげに眉を寄せ、瞳をぎごちなく左右に振った。
「どう? この中にサッキィの敵はいる?」
「……敵って?」
何を言っているか分からない。
怪訝な顔つきに変わった彼女を見て取り、私は重ねて告げた。
「だよね、敵なんかどこにもいない。ここにいるのは仲間。松東学園生徒会は全校生徒の味方なの。もちろん私も含めてね。だからさ、そんなふうに肩肘張らなくていいんだよ。そうだよね、みんな」
言葉尻を強く張った私がゆったりと周囲を見渡すとその場にいた全員が笑みを浮かべて頷く。
「ほらね、サッキィ」
得意げな顔をさつきへと戻すと彼女はそれでも何か反論したげにひとしきり唇を震えさせ、けれど、やがて観念したようにコクリと頷いた。
そしてふうっとひとつ息を吐き出し、おもむろに右手を差し出してくる。
「さすがは女帝陛下ですね。負けました」
私は彼女の手を痛いぐらいに強く握り、わざとらしく右の口角を引き上げた。
「もう、だから勝ちも負けもないんだって」
「はあ、すみません」
少し緩んださつきの頬を見て、私はすかさず言葉を継ぐ。
「それと断っておくけど女帝呼びは禁止よ。もし口にしたら配下とみなしてこき使うからそのつもりで」
口を尖らせると彼女はそれを見て声を押し殺すようにクツクツと笑った。
「承知しました、陛下」
「あーーーッ! 言ったそばから信じらんない」
「陛下って呼んだんですよ」
「おんなじじゃない。仕事、手伝ってよね」
「いいですよ。でも、その前に勧誘苦情の件もよろしくお願いします、陛下」
「あーーーッ、また言ったな! 覚悟しなさい!」
生徒会室に笑声が溢れた。
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