15-4

「あ、石破さん。お父さんたち大丈夫そうでしたか」


 縦長のアイランドシンクに軽く背もたれて待っていたさつきが二、三歩、駆け寄ってくる。


「ああ、問題ない」


 俺はそう短く答えながら正面に立とうとするさつきから身を躱してシンクを回り込む。そしてバックヤードへと続くドアへと足を向けるとすでに扉の前に雑賀さんと睦月が待っていた。


「こっちもスタンバイします。開けてもらえますか」


 歩み寄りながらそう云うと雑賀さんは頷き、右手でノブを捻った。

 次いでドアが音もなく押し開かれ、その向こうに薄暗い空間が現れる。

 食糧庫だと聞いて棚に挟まれた通路のような部屋だろうと勝手に想像していたが、覗き見るとずいぶん様相が違っていた。

 そこは小さく見積もっても広さは俺たちが居たキッチンダイニングの半分ほどもあり、けれどやはり四方は食糧棚で囲まれ、その中央には無骨で古めかしい木製テーブルがドンと大きく幅を利かせるように置かれていた。

 雑賀さんが睦月の背中を後ろからそっと押すようにして部屋に入り、俺とさつきもそれに続く。

 香辛料の匂いだろうか。

 どこか東南アジアを思わせる少し刺激を纏った香りにおそらくは玉ねぎの匂いも混じって立ち込めている。俺はちょっと鼻をひくつかせてくるりと部屋を見回した。

 テーブルの上にはガラス製の大きな密閉容器が三つ。

 中にはピクルスや梅干しらしきものが入っている。

 食糧棚にはいくつもの段ボール箱が並び、それぞれに玉ねぎ、メークインなどマジックで記されていた。

 天井近くには明かり取りの横細の窓がいくつか並んでいるが、外が曇っているせいでやはり室内は薄暗かった。すると背後でさつきが電灯のスイッチに手を伸ばそうとする気配を感じて俺は手を差し向けそれを制する。

 さつきが不審げに首を傾けたので、明かり取りから漏れる光を奴に感づかれたくはないと小声で伝えると彼女は深く頷いた。

 カイセが従えている霊をセンサー代わりに潜めてこちらの様子を窺っている可能性もある。それこそ杞憂かもしれないが、とにかく出来るだけ万全を期したい。


 勝手口は古めかしい木製の扉だった。

 見たところところどころに大きな瑕があるずいぶんと年季の入った代物のようだったが、その横壁にはモニター付きのドアフォンが取り付けられ、しっかりとしたセキュリティーが施されていることが窺われる。

 カチリという音に目を向けると雑賀さんがドアの鍵を回したところだった。

 そしていつでも良いと云うようにこちらに顔を向けて息を潜め、俺の合図を待っていた。

 よく見ると雑賀さんはいつのまに着替えたのか昨日のゴスロリっぽいものとは趣が違うちょっとポップな感じのメイド服を身に付けていた。

 もしかして屋敷の外でもこの服装で振舞うのだろうかとふと要らぬ心配が頭に浮かび、俺は慌てて首を振り、そのついでに言い添える。


「いえ、まずは俺が外の様子を確認します」


 すると雑賀さんはすぐ小刻みに点頭して立ち位置を入れ替わった。

 ドアノブに手を掛けたまま振り返るとすぐ後ろには雑賀さんがいて、それに続いて群青色のランドセルを背負ってうつむく睦月とモスグリーンのスポーツバッグを肩に掛け緊張した面持ちのさつきが身を寄せていた。

 

「俺が合図をしたらまず雑賀さんから外に出てください」


 雑賀さんがしっかりと顎を落としたのを見て、俺はその背後に目線を移す。


「睦月と柏木はそれに続いてくれ。その順番のまま縦列でガレージまで進む。外は少し霧が出ているが視界を遮るほどではない。ガレージまではゆっくり行っても二分程度と聞いた。悪霊は教会の近くにいるからすぐに気付かれない限りは追いつかれる心配はまずないだろう。けれど油断は禁物だ。何かあれば俺が指示を出すから絶対に自己判断の行動はしないように。それと当たり前だが道中、私語は厳禁。二人とも分かったな」


 その指示に睦月はうつむいたまま曖昧に頷き、さつきは唇を引き絞って顎を下げた。


「じゃあ、行きます」


 俺は真後ろの雑賀さんに目配せをしてからドアノブを回す。

 そして微かに軋音を立てるドアを慎重に押し開くと冷ややかで湿った空気が室内へと流れ込んできた。

 やはり霧が立ち込めている。

 その薄く白んだ視界の奥に薄ぼんやりとした木立が立ち並んでいるのが見えた。

 ガレージはあの向こうにあるのだろう。

 俺は煉瓦を敷き詰めた勝手口周りのデッキに一歩踏み出し注意深く様子を探る。

 けれどやはり周辺におかしな霊気は微塵も感じられない。

 しかし念のため頭の中にも訊いておく。


『大丈夫そうだな、ミシャ』

『そうよな、拍子抜けじゃのう』


 ややガッカリしたその口調に呆れつつも俺はそっと胸を撫で下ろした。

 

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