15. Escape 93 - 101

15-1

 その後、出立の準備に少し時間を取ることになった。

 緊急事態とはいえやはり着の身着のままというわけにはいかない。

 どういうつもりなのか睦月は今日も学校には行くと言って聞かないし、さつきは衣服ぐらいは自分で用意させて欲しいと訴えた。

 それならばと宗佑氏も雑賀さんと共に母親の様子を見ておきたいという。


 ミシャに確かめるとカイセに動きはなく、やはり教会の近くにたたずんだままらしいと聞いて俺は出来るだけ手早く終えるように言添えてから了承した。

 

 とりあえず万が一に備えて俺は睦月の護衛として着いて行くことにした。

 そしてその道すがらこれまでずっと気になっていたことを尋ねる。


「なあ、ちょっと訊きにくいんだが、おばあさんはどういう状態なんだ。この騒ぎでも顔を見せないということは……」

「たぶん石破さんの想像通りだと思うよ。認知症っていうんだっけ。もう何年も前からね」

「そうか。すまん、やはり悪いことを聞いたな」


 階段を登りながら睦月は振り返りもせず首を振る。


「全然。というか僕、生まれてからおばあちゃんとまともに話をしたことなんてないんだ。もともと精神が不安定で部屋から出てこなかったから同じ家に住んでいても会うことさえほとんどなかったからね。だから別に聞かれても特になんとも思わないよ」


 俺はその言葉に背後で頷く。

 なるほど、精神が不安定になったのは宗佑氏の兄が行方不明になったせいだろうと容易に想像がついた。また夫も早くに無くしたことで心の拠り所を失い、結果としてそれが認知症の発症を早めてしまったのかもしれない。


「じゃあ、やはり当時の話を聞くことは無理そうだな」


 一応、確かめてみると睦月は自室のドアを開けながら、俺を一瞥して肩をすくめた。


「たぶんね。だって僕や姉さんが顔を見せても誰だか分からないんだもん。どちら様ですか? なんてね」


 部屋に入ると睦月は机の横に吊ったランドセルを持ち上げて教科書を詰め込み始めた。俺はそれを見るともなく部屋のあちこちに目線を配ってみる。

 改めてあまり子供っぽくない部屋だと感じた。

 小学六年生の部屋なら漫画本やゲーム機がそのあたりに散らばっているのが普通だろうと思う。けれどこの部屋にはそういう浮ついたものがひとつとして見当たらない。まあ、さつきの言からすると携帯でゲームぐらいはしているのかもしれないが、やはり少しばかり殺風景すぎる気がする。

 なんとなく気になった俺は年齢相応のものが何かないかと本棚へと歩み寄ってみた。

 けれどそこにある書籍の背表紙にはやはり男子小学生には似つかわしくないタイトルと著者名ばかりが並んでいた。


 芥川龍之介『蜘蛛の糸』

 恒川光太郎『夜市』

 加門七海『祝山』

 貴志祐介『十三番目の人格 ISORA』

 村上春樹『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』


 ざっと見たところその棚には他にも特に統一感の感じられない内容の小説やノンフィクション作品、そして何冊かの昆虫図鑑が乱雑に立てられ、下の段に目を向けると豪華な装丁の百科事典が隙間なく押し入れられている。


「ずいぶん難しそうな本ばかりだな。それにホラーとか小学生が読むのか」


 そう言って振り返るとすでにランドセルを背負った睦月が曖昧に首を振る。


「全部、読んでるわけじゃないよ。お父さんの書斎にあったのを適当に持ってきただけだし」


 俺がふうんと眉を寄せた。

 すると睦月は左手をズボンのポケットに突っ込んで「もう準備できたんだけど」となぜか不貞腐れたように告げる。


「ああ、すまん」


 謝って振り返るといつのまにかドアの前に鎧武者の霊が立っていた。

 なんとなく道を塞がれたように感じてさらに怪訝に表情を歪めると鎧武者はさも面目ないといった風に身を避けて愛想笑いを返してくる。


「しっかし、どういうわけなんだろうな」


 俺はため息まじりにそう呟いて足を踏み出した。


「なにが?」


 そして正直に答えようとしてすぐに思い止まる。


 この鎧武者はいったいどこからこの屋敷に入り込んだのだろう。


 そんな疑問を睦月に尋ねても真っ当な答えが返ってくるわけでもないし、またパニックになってもらっても困る。

 

「いや、こっちの話だ」


 言葉を濁し、鎧武者のそばをすり抜けるようにして部屋から出るとドアの前でさつきと綾香が並んで立っていた。


「忘れ物はないわね」


 ややぶっきらぼうにさつきが尋ねる。

 そして無言で顎を引いた睦月を見て、なぜか綾香がバスガイドのように手を挙げた。


「それじゃ行きましょう」


 心ならずも頷いた俺は集団の殿しんがりを務めて階下へと降りた。

 途中、片目をすがめて鼓膜の奥に問い掛ける。


『なあ、ミシャ』

『なんじゃ』

『さっきの睦月の話、どう思う』


 するとミシャは髑髏と骨で模られた愛用のおどろおどろしい椅子に腰を掛け、その肘掛けに片肘を突いた。


『ふむ、窓から見えた黒い影とかいう奴のことか』

『ああ、カイセは霊気の強弱を自在に変えられるのかな』


 すると彼女は不気味に頬を引き攣らせてせせら笑った。

  

『多少はできるかもしれんが、そこまでの減り張りは付けられんはずだ。まあ、おそらくは人攫いの常套手段じゃろう』

『なんだよ、それ』

『決まっておる、玩具よ』

『おもちゃ?』


 ミシャが横柄に頷いて見せる。


『そのガキが云うておっただろう。彼奴あやつが何体もの霊を引き連れて歩いておるのを見たと。たぶんそのうちのひとつを玄関先に置いて待ち伏せておったのよ。霊力のない者にはそれが傀儡か母親かなど見分けが付くはずもないからのう』


 俺は顔を思わず目を丸くした。


『とすれば、睦月が母親との再会を望んでいるとカイセは知っている……と云うことになるんじゃ』

『ふむ、まあそういうことになるかのう、ククク』


 ひとしきり不敵な笑声が頭蓋に響いて俺は顔をしかめた。


『……なあ、さすがにちょっとヤバくないか』

『そうじゃのう。さらに面白くなってきたわい』


 まったく……、話が噛み合わないにも程がある。

 そういう点ではミシャと綾香は同類だ。

 呆れた俺は低く唸るようなため息を吐いた。

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