14-3

「だって考えてもみろよ。この建物に掛けられた緘印が完璧ならどうしてキヨや鎧武者の霊が内部に存在できるんだ。凶悪な霊だけを防いで善霊はフリーパス? いくら隷鬼党の秘術でもそれは不可能だろう。まあ百歩譲って出来たとしても、そんなしちめんどくさい術を掛ける必要がどこにあった? 全くもって俺には理解不能だな」


 綾香一人を相手に論じているつもりだったが、ふと見渡すと全員が俺を見つめて聞き入っている。少しばかり居心地の悪さを覚えた俺は、けれど一同の沈黙を肯定として取ってさらに続けた。


「つまり、その上で最も辻褄が合う推論は鉄心斎が施した緘印が解け掛けているんじゃないかということに他ならない。喩えればそれはヒビの入ったガラス箱のようなものだ。どこか弱い部分を見極めてちょっと叩けばいとも簡単に破れてしまうだろう。強力な霊力を持つカイセなら容易いことだ。だからこうして警戒を保っているんだ」


 言い終えるとしばらくの間、緊張感に満ちた沈黙が立ち込めた。

 さすがに綾香も口を開かない。けれど俺に論破されたのが屈辱だったのかその顔には不安と悔しさも混じって見えた。

 雑賀さんとさつきは同じように呆然として虚な目を俺を見つめていた。

 睦月はやはり下を向いたままでその表情は窺い知れない。

 そしてやがて宗佑氏がためらいつつも口を開いた。


「石破くん、結界はキミにも見えないのか」

「ええ、残念ながら。霊気の希薄さでなんとなくは分かりますが」

「……それならすでに入り込んでいるという可能性もあるんじゃないか」


 優秀な経営者は常に最悪の状況に備えているものだと何かで読んだ気がする。

 けれど今のところそれは杞憂に過ぎない。


「いえ、それはないと思います」


 小刻みに首を横に振ると彼はさらに言い募った。


「しかしキミはまだそのカイセとかいう霊と直接対峙したわけじゃない。それなのにどうしてそう言い切れるんだ」


 俺はひとつ顎を軽く落とす。


「ご指摘はごもっともです。けれどこれまでの話を総合して考えればカイセはとんでもなくおびただしい霊気を纏っていることは間違いありません。それに結界が破られればそれなりの衝撃があるはずですし、俺の霊感センサーがそれらを感じ取れないはずがありません」


 霊感センサーとはつまりミシャのことだが当然それは明かせない。


「しかしこの屋敷は広い。いくらキミでもその隅々まで察知できるのだろうか」

「まあ、できるはずです。またホールにはキヨもいますから何か不審な気配があればすぐに知らせてくるでしょう」

「……そんなものなのか」

「ええ、そんなものなのです。無論、信じがたいとは思いますけどそれについては安心していただいて大丈夫です」


 ここでミシャの存在も打ち明けられればさらに信憑性が高まるのだろうが、そういうわけにもいかない。なにせこいつのことは人間はもとより霊体にも知られてはいけないことになっている。

 それなのに俺がダイブしている最中にはいろいろとしでかしているようでいまいち釈然としないが。


『なんだ。いきなりおかしな目つきを向けてきおって』


 網膜の裏、ミシャが口をへの字にして現れた。

 言いたい文句は山ほどあるけれど、まあ、今は捨て置くことにする。


『いや、別に。ところで何か動きはないか』

『特にない。しかし時折、ここから離れた場所で強い霊気が立ち昇る気配がある』

『カイセか』

『ふむ、どんよりと濁ったヘドロのような霊気よ。まず奴に違いない』

『どこだ』

『そうよな。おそらく教会のあたりだが遠すぎて正確な位置まではつかめんな』


 ミシャの報告に洞察を巡らせる。

 現状、俺の中に生じている最大の疑問はということだ。奴はおそらくこの建物の緘印に綻びが生じていることに気がついているはず。そしてキヨもそれを察知しているからこそ、危険を承知で睦月を霊界に避難させるという緊急措置を施したのだろう。

 しかしそれなら奴はなぜすぐにでも結界をこじ開けようとしないのか。

 少なくとも昨日は玄関先をうろついていたはずなのに、そうしなくなった理由はなんだ。


 もしかしてミシャの存在に気がついて警戒している、とか。

 

 浮かべた憶測に彼女はいかにもバカバカしいといった顔でせせら笑った。


『クククッ、あるかよ。貴様が依代いしに触らぬ限り、何人なんぴとたりともワシの神気を悟ることはできぬ。知っておろうが』

『……だよな』


 俺は絡まったままの思考にひとつため息をつく。


『しかしカイセが意味もなく躊躇するとは思えない。それにあからさまに気配を消していないのも気になる。これまでのように屋敷の外に出た睦月を狙うならどこかに身を潜めて機会を窺っている方が確実だろう。そう考えるとやはり何か罠があるんじゃないかと疑いたくなるな』

『まあ、そうかもしれんがワシにはどうでも良いことよ。何を企んでいようがぶっ潰してしまえば関係ないからのう、クフフ……』


 ミシャの不敵な笑声が頭蓋に響いて俺は顔をしかめた。

 確かにミシャは万夫不当の大蛇神おろちがみには違いない。そのことはこれまでに対峙したほとんどの怪異が手も足も出ずに降伏したことで立証されている。無論その力量に微塵として疑いもないが、それでも不用意に戦いを挑んで想定外の落とし穴を踏む可能性は出来るだけ除いておきたい。

 それにミシャがなんと言おうとカイセの非合理な行動に俺はそこはかとない不安を感じる。もしかするとキヨの記憶の中に見た奴の悍ましさがそうさせているだけかもしれないが、俺が持つ危機感知センサーがそればかりではないと声高に告げているように思えた。

 けれどその懸念の正体がなんなのか、いくら考えても判然としない。

 あと少しで解を導き出せそうな予感はある。

 そして何かとても重要なことを見落としているような懸念が微かに浮かぶ。

 けれど今はあまり考察に耽っている時間もない。

 それに見方を変えれば状況はむしろ好都合だともいえる。

 奴が逡巡している間に手を打つことができるのだ。

 この機を逃す手はない。


『とりあえず睦月をここから逃す。ミシャ、異論はないな』

『ふむ、かまわん。邪魔者が少なければその分気兼ねなく暴れられるというものじゃ』

 

 物騒なセリフに眉をひそめるとそのとき鼓膜が別の声を拾った。


「……バさん、聞いていますか石破さん」


 我に返ると立ち上がったさつきがテーブル越しに片手を突き出して俺の顔の前でひらひらと振っていた。


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