14-4
「ん? なんだ」
「なんだじゃありませんよ。どうしたんですか、急にぼんやりして」
「ああ、すまん。ちょっと考え事をしていた」
言い訳をすると綾香が即座にツッコミを入れる。
「なに、お昼ご飯のこと考えてたの?」
「あのな、お前と一緒にすんじゃねえよ」
「はあ? それはこっちのセリフ。私なんかもう夕飯のことを考えてたんだから」
「いや、他に考えることあるだろ。というか少しは空気読んで発言しろ」
「なによ、えらそうに。変態に空気読めとか言われたくないわよ」
「なんだと、誰が変態だ。せめて変人に言い直せ」
見かねたさつきがようやく仲裁に入った。
「もう、二人ともいい加減にしてください。それより石破さん、悪霊がまだこの建物内に入っていないことは分かりましたけど、睦月が悪霊に会おうとしたって話。あれってどういう意味なんですか」
ああ、そうだった。
綾香のペースに引き摺られて危うく重要な論点から離れてしまうところだったとひとしきり頭を掻いて反省する。そしてひとつわざとらしい咳払いをしてから、ずっと項垂れたままの睦月へとおもむろに視線を向けた。
「すまない。話がいくぶん逸れてしまったが、あのとき睦月は恐怖以外、つまり別の感情か意図を持って玄関へ向かおうとしていたということになる。そこで改めて訊きたいんだが睦月、もしかしてお前はカイセに会いに行こうとしたんじゃないのか」
少々猜疑を強めた俺の目線の先で睦月がゆっくりと顔を上げる。
その面持ちは神妙ではあるものの唇の端がわずかに歪み、それがどことなく諦観の気配に見て取れた。ひょっとするといずれは知られると覚悟していたのかもしれない。睦月は小さなため息を漏らした後、次いで淡々とした口調で明かした。
「うん、そうだよ。さすがは石破さんだね」
「お褒めにあずかり光栄だ。けれどそれより今は真相を聞きたいものだな」
すると睦月が語り出す前にさつきが声を荒げた。
「本当なの、睦月ッ! どうしてそんなことしたの!」
「さっちゃん、落ち着いて」
勢い込んで立ち上がろうとするさつきの肩を綾香が柔らかく押さえる。
「ふふ、どうしてって……」
その嘲笑めいた呟きに今度は宗佑氏が威圧感を秘めた静かな声を放った。
「睦月、どういうことかきちんと説明しなさい」
すると彼はニットパーカーの襟元をゆっくりと正し、それから再びうつむいた。
しばらく沈黙が続いた。誰もが彼が発する次の言葉を無言で待った。
するとかなり間を置いてからようやくボソボソとした声が睦月から漏れ出てきた。
「…………お母さんだと思ったんだよ」
そしてためらいがちに訥々と事の顛末を打ち明け始める。
昨日の午後、ベッドで眠っていた睦月は不意に訪れた胸騒ぎに目を覚ましたのだという。
目を開けるとカーテンが閉められた部屋は薄明るく、静寂そのものだった。
体調が悪いせいかもしれないと思った。
あるいは悪い夢でも見ていたのかもしれない。
けれどひとしきり天井をぼんやり見つめていても、不穏な胸騒ぎがそこはかとなく続いているように感じられた。またそうしているうちに睦月は自分の耳が連続した微かな音を聞き取っていることに気がついた。
最初、それはザラザラとした耳障りな雑音にしか聞こえなかったが、我慢して耳をそば立てていると時間とともに少しずつクリアになり、やがて誰かの囁き声として聞き取れるようになった。
そしてさらに耳を澄ますとその声がどうやら窓の外から聞こえてくることに気がついた。
そこで睦月は軽い目眩に苛まれながらもベッドから身を起こし、窓際に寄ってカーテンを少しだけ手繰った。
するとガラスを隔てた窓外、部屋の左下にある玄関前アプローチに小さな黒い影がたたずんでいるのが見えた。一瞬、例の悪霊がまた現れたのかと身を強張らせたが、一見してどうやらそれとは様相が違っている。
その黒い影はようやく目にとらえられるほどに存在感が希薄で、また迫力も躍動感も皆無だった。それは本当に弱々しく、儚く、そして惨めなほど心細げな黒い影であるように感じられた。
刹那、睦月にはそれが母親の霊であるとしか思えなくなった。
昨日、姉が墓の近くで感じたという母親の霊魂。
それが自分に会いに来てくれたのだと。
気がついたときには睦月は部屋を出て廊下を走り、階段を二段飛ばしに駆け降りていた。そして最後の三段を跳び、屈伸の体勢から再び玄関に向けて駆け出そうとしたその瞬間、目の前に着物姿の少女が立ちはだかった。
『行っては駄目。アレはあんたが想う人じゃないの』
『……誰?』
睦月は足を止め、儚げに透き通ったキヨを見つめた。
『誰でもいい。私は弟の二の舞を見たくないだけ』
『……弟?』
『私があんたを守ってあげる。絶対に弟みたいにはさせない』
そしてその後の記憶はない。
終始うつむいて話し終えた睦月はひとつ大きく息を吐いた。
そして顔を上げると少し肩をすくめて、寂しげな目線で自分に向けられた顔を見回した。
「ふふ、やっぱバカだよね、僕。お母さんが会いに来ることなんてないって分かってたのにさ」
その自嘲に誰もが押し黙ったままに固まっていた。
そしてしばらくして沈黙をようやく打ち破ったのはやはりさつきだった。
「睦月はどうしてそんな風に思うの」
それはやや興奮気味だったこれまでのさつきとは打って変わり、とても落ち着いて静かな声だった。
「なにが?」
抑揚のない声で訊き返した睦月にさつきは逆にゆっくりと深い声色でもう一度問う。
「だからお母さんが睦月に会いに来ないって、どうしてそう思うの」
「はあ? どうしてってそんなの意味がないからに決まってるじゃん。生きてる時になんにもしてあげられなかった僕にどうして会いに来ようなんて思うのさ。鬱陶しいだけだった子供にどうして会いに来る必要があるのさ。そんなの分かってたはずなのに僕がバカだったよ。そのせいでみんなに迷惑かけてさ。謝るよ。ほんっとごめんなさい。ね、これでいいでしょ?」
ひねた笑声を忍ばせた矢継ぎ早のその返答に表情を消したさつきがおもむろに席を立つ。そして睦月に向き直り、なんの言葉もなくその頬を平手で打った。
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