14. Breakfast 88 - 92

14-1

「消耗戦……になるのでしょうか」


 正面から放たれた柏木の言葉に俺は「ああ」と短く頷き、手にしていたクロワッサンを千切って口に放り込んだ。そして緩慢に咀嚼しながら「このままではな」と付け足す。

 それから俺は柏木の左隣にいる睦月へとちらり目線を流す。

 霊界酔いはまだ多分に残っているみたいだが、それでも腹は減ったらしい。

 睦月は時折頭痛に顔をしかめながらも俺と同様、片手にクロワッサンを摘み、もう一方の手で細長いグラスを持ち上げてフレッシュジュースをちびちびと飲んでいた。

 まあ、この様子なら昼頃までにはあらかた具合は良くなるだろう。

 密かに胸を撫で下ろすと睦月のさらに左隣に座る宗佑氏が陶器のボウルからトングでサラダを取り分けながら微かに眉根に皺を寄せる。


「確かにこの状況では相手の出方を窺うしかないみたいだね。しかしずっとここでこうやって警戒体勢を張っているわけにもいかないだろう。キミたちには学校もあるんだし」


 再び頷こうとすると俺の右隣の綾香が突如立ち上がって敬礼し、場にそぐわない快活な声を張り上げた。


「ご安心ください! この石破真咲、たとえ出席日数が足りなくなったとしても全身全霊を持って睦月くんをお守りする所存であります!」

「おい、人を勝手に留年させんな」


 クレームとともに斜め下から睨み上げたが綾香はその俺を一瞥ともせずフフンと鼻を鳴らして腕組みを作った。


 そして、なんで自慢げなんだよ。


 口を尖らせ、コンソメスープのカップを持ち上げると腰を下ろす綾香の向こうから朗らかな声が聞こえてくる。


「わあ、さすがは石破くん。頼もしいですね」


 そこで俺はとりあえずカップから唇を離し、冷静に忠告を向ける。


「雑賀さん、無理に相手しなくていいですよ。こいつバカだから図に乗りますし」

ふぁあはあ? ふぁれはふぁふぁよ、ふぁれは誰がバカよ、誰が


 肩口を見遣るとこめかみに青筋を立てて、頬をリスのように膨らませた綾香の顔があった。その左手には半分になったクロワッサン、右手には齧りかけの粗挽きソーセージを突き刺したフォーク。

 一瞬でどんだけ詰め込んでんだと思ったがそれにはあえてツッコミを入れない。

 けれど行儀が悪いにも程がある。

 こればかりは言わずにはいられない。

 

「食うか、文句言うかどっちかにしろ」

「ふぁっれほろふおわっはんほいひいんふぁほん」

「だからなに言ってっか分かんねえんだよ。飲み込んでから喋れって」


 するとそのコントじみたやりとりに睦月がクスクスと笑う。

 次いで柏木がやや呆れたように肩をすくめた。

 

「お二人って、ほんっと仲いいんですね」

「おい柏木、お前ちょっとマジで眼科で視力検査してもらえ」

「ほうよ、ふぁっふぁん。ひいひょういんひょうはいひへあへるはら」

「城崎先輩、今なんと?」

「ふぁはらぁ……」

「あぁもお、ややこしいからお前は食い終わるまで黙ってろ!」


 まったく、当初はシリアスな話し合いの場にしようと考えていた朝食の席が綾香のせいで存分に賑やかされてしまった。しかし逆にそのおかげで皆の心に多少の余裕が生まれたらしく、朝食後に開いたミーティングはやや前向きで楽観的な雰囲気になった。


「やっぱり睦月は当分この家から離れていた方がいいと思います」


 柏木がそう切り出すとほぼ全員がそれぞれに頷いた。 


「まあ、それが一番妥当な対処法だろうな。ただ一応、確認しておきたいんだがここから離れれば悪霊は睦月に手出しできない、という認識でいいのかな、石破くん」


 宗佑氏にそう問われた俺はやや間を置いて顎を引く。


「ええ、奴は睦月くんに取り憑いているわけではありませんから、敷地外に出てしまえば大丈夫です」


 その見解に一同はホッとした顔を見合わせ、互いに頷き合った。


「だったらたしか会社の社員寮にいくつか空き部屋がある。総務に掛け合えば大丈夫なはずだ。あそこならさつきや睦月の学校にも近い」


 その発言に雑賀さんが軽く右手を掲げた。


「では必要なものは私があとでまとめてそちらに届けます」

「そうしてくれると助かる。それと……」


 そこで微かに言い淀んだ宗佑氏に彼女はすかさず明るい口調を被せる。


「大奥様のことですね、分かっています。お屋敷のことは私にお任せください」

「すまない。本当は小雪さんにも避難してもらいたいんだが」


 すると雑賀さんはにこやかに微笑んで首を横に振った。


「いえ、私のことはご心配には及びません。悪霊が狙っているのは子供だけのようですし、それに私には教会の仕事もありますから」


 その言葉に宗佑氏が頭を下げる。

 すると不意に遠慮気味にくぐもった声が聞こえてきた。


「でもさ……」


 そこで反論のセリフを口にしたのは意外にも睦月だった。


「でも、僕がいなくなったら悪霊も出てこなくなるんじゃないかな。だったら僕がここに居た方が……」

「なに言ってるのよ。それじゃあんたが囮になって悪霊を誘き寄せようっていうの。だめ、そんな危険なこと絶対にさせられない」


 ことさらに強い口調で柏木がその主張を却下した。

 けれどそれで姉への反発心が芽生えてしまったのか、睦月はさらに反論する。


「危険って云うけどさ、昨日だって僕、悪霊に直接襲われたわけじゃないじゃん。霊界ってところに連れて行ったのもキヨっていう女の子だし、たいして危なかったわけじゃ……」


 バンッ!

 柏木がテーブルに平手を打ちつけた音だった。


「睦月、昨日みんなにどれだけ心配かけたか分かってんの」

「そんなこと言われても、こっちだって好きで連れ去られたわけじゃ」


 するとさつきは威丈高に立ち上がり睦月を見下ろした。


「元はといえばあんたがすぐに相談しなかったからじゃない。こんな大変な状況になる前に……」


 夜叉のように寄せられた眉根の下、その目蓋から今にも溢れそうな涙。

 怒らせた肩と握り締めた拳が震えている。


「まあまあ、さっちゃん落ち着いて」


 その様子を見て綾香が席が立ち、さつきの背後からその肩を優しく抱いた。

 そして次いで睦月に穏やかな顔を向ける。


「でも睦月くん、私もお姉さんの意見に賛成だよ。だってこれ以上、きみを危ない目に合わせられないもん。それに睦月くんが囮にならなくても大丈夫。真咲お兄ちゃんがきっとなんとかしてくれるからさ」


 ま、真咲お兄ちゃん……。


「ね、マーシャ。そうだよね」


 突発性さぶいぼ症候群に襲われた俺は両腕で自分の肩を抱きしめながら辛うじてコクコクと頷いた。

 そしてしばしその気後れをなんとか耐えて口を開く。


「ま、まあ、俺も基本的にお前がここから離れる案には賛成だ。ただ、その前にちょっと確認しておきたいことがある」


 睦月がこちらに胡乱げな目を向けた。


「……なに?」


 俺はその目線をしっかりと捉え、そしてずっと抱いていた疑念をようやく口にした。


「お前、もしかして昨日、悪霊のもとに行こうとしたんじゃないか」

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