13-4

「おはよう……ございます、でいいのかな」

「ああ、もう夜明けだから問題ない。それより気分は大丈夫か」


 儀礼的にそうは訊いてみたが、睦月はいかにも具合が悪そうに顔をしかめている。


「……うん、昨日よりはマシかな。まだかなり頭、痛いけど」

「ま、仕方ないだろうな。初めての場合、霊界酔いが覚めるにはだいたい丸一日はかかる」


 その返答に睦月は眉間に皺を寄せて「マジで」と小声でぼやくと、それからおもむろに枕元にある姉の寝顔に目線を落とした。


「……心配かけちゃったな」


 その呟きにはそこはかとない悔いのような感情が伴っているように思えた。


「睦月のせいじゃないだろう」

「そうかな……ううん、僕のせいだよ、きっと」


 俺は首を傾げた。そして素直にその疑念を口にする。


「どうしてそう思う?」


 けれどその答えはいつまで経っても返ってこなかった。

 睦月はずっとうつむいて姉の顔を見つめていた。

 その沈黙になんとなく居た堪れなさを感じた俺は顔を上げ、キッチンの方へ目を向けてみる。すると窓から差し込む光がアンティークな食器棚や古式めいたグリル、あるいは業務的ともいえるほど大きな銀色の冷蔵庫などを薄ぼんやりと照らし出していて、それはそれでやはりどこか気詰まりな光景だった。


「あのさ、石破さん」


 不意に響いたくぐもった声に再び目を戻すと、思いがけず睦月の真剣な表情がこちらに向けられていた。


「なんだ」


 素っ気ない俺の口調に睦月はどうしてだろう、一瞬歯を食いしばるような顔つきになる。


「あのキヨって女の子のことだけど」


 なるほど、そのことか。

 

「キヨと話したのか」


 そう尋ねると睦月は戸惑い気味に肯いた。


「あの子、僕を守ってあげるって。弟みたいにはさせないって」

「そうか」

「でもね、その後でちょっと気になることも言ってたんだ」


 俺はわずかに首を傾けてその先を促した。

 

「あのね、これは頼まれたことでもあるからって」

「頼まれた? 誰に?」


 その疑問符に睦月は難しい顔を作ってゆるゆると横に振る。


「教えてくれなかった。というか僕、すぐに気を失ったみたいでその後のことは全然憶えてないんだよ」

「……なるほどな」


 まあ、そうかもしれないと得心した。

 意識があるまま霊界に連れ行ってパニックを起こされても困る。

 あっちで闇雲に逃げ惑って迷子にでもなったら、それを見つけ出すのは至難の技となる。聡いキヨのことだ。そんな厄介ごとを未然に防ぐために睦月の意識を奪っておいたのだろう。

 けれど確かに頼まれたと打ち明けた彼女の言葉は気になる。

 なぜならそれはあの悪霊と共闘できる存在が他にもあるということに他ならないからだ。事ここに至ってはなんとなく想像もつくが、次に彼女とコンタクトが取れれば確認しておきたいと俺は頭の中のToDoリストにそれを書き込む。


「でさ、僕、思ったんだけど、もしかしてそれって僕の……お、お母さんだったりしないかな」


 刹那、睦月の顔に照れのような歪みが一瞬現れて消えた。

 俺はその変化を見て取り、しばし考えてからやはり素っ気ない返答を口にする。


「さあな、分からん」

「そ、そう。……でもさ、その可能性もある……のかな?」


 恥ずかしげな表情を見せまいとしたのだろう。睦月の顔はさらにうつむいた。 

 その様子にいっそなおざりな事は言えないと思った。

 教会の裏、あの天国のような花畑に建つ墓石。

 そこに現れたさつきと睦月の母親の霊。

 あのとき彼女が見せた険しい表情を思い返しながら俺は答えた。


「可能性はあるだろう。けれど確信は持てない」


 するとその途端、睦月がむくりと頭を持ち上げた。


「でも、石破さんはおととい僕のお母さんに会ったんだよね。お姉ちゃんが教えてくれたよ。お墓のところに現れたんだって。お姉ちゃんも気配が分かったって」

「ああ、その通りだ」


 肯くとあどけなさの残る少年の顔がくしゃりと歪んだ。


「どうしてなのかな」

「ん? なにがだ」

「どうしてお母さんは僕に姿を見せてくれないのかな」


 今にも泣き出しそうなその表情に俺は肩をすくめるしかない。


「どうしてってそれは……」

「分かってる」


 その言葉とともに硬く引きつれていた彼の顔がフッと緩んだ。


「ごめん、分かってるんだ。きっとお母さん、僕のことがあまり好きじゃないんだよね。だってお母さんが生きてるとき、僕、全然いい子じゃなかったから。お姉ちゃんみたいにいろいろしてあげられなかったからね。仕方がないよね」


 その自嘲と微笑みにはこれまでに俺が目の当たりにしたどの哀しみよりも深く複雑な感情が込められているように思えた。


「いや、そんなことは……」

「う、うう〜ん。なんなのもお、さっきからうるさいんですけど〜」

 

 突如、直下から聞こえてきたそのぼんやりした声に俺は眉根に皺を寄せる。


「あれ? どうしてマーシャの顔が真上にあるの?」

「……あのな、それは俺が聞きたい」


 綾香は寝ぼけ眼をひとしきり俺に向けていたが、そのうちに「ま、いっか」とむにゃむにゃ呟き俺の股間に顔を埋めようとした。


「い、いや、良くねえよ。おい、起きろ。そしてすぐさま顔を上げろ」


 しがみついてくる綾香の頭を持ち上げるべくその肩をつかんだところであくび混じりの声が聞こえてきた。


「あ、石破先輩、起きてたんですか。おはよーございます」


 目を向けると睦月のそばで柏木が身を起こしていた。

 彼女はやや表情をこわばらせ、それからニヤリと笑う。


「あ……朝から石破先輩と城崎先輩が戯れついてる」

「戯れついてねえ! って、いや違う、これはな……」


 動揺で思わず声が上擦ってしまった。


「おはようございます。あらまあ、仲のよろしいこと、うふふ」


 瞠いた目を向けると雑賀さんが意味ありげな微笑みを浮かべてリクライニングチェアから立ち上がろうとするところだった。


「ち、ちがッ」

「ああ、なるほど。やっぱりキミたちはそういう仲なんだね」


 落ち着いた声の出所に目線を流すと柏木宗佑氏もまた俺に笑みを向けていた。


「んん〜、そういう仲ってなにぃ?」


 下腹部で響いたその寝言に俺はもうこの場から消え去ってしまいたいと思った。

 するとさらに追い打ちを掛ける者が俺の内側にもいる。


『なるほどのう。そういうことなら早いところ子を孕ましてしまえ。貴様で血脈を絶やすわけにはいかんからのう』


 いや、もう、どうでもいい……。


 久しぶりに泣きたくなったが、ふと目を向けると睦月の顔からあの寂しげな微笑が消えていたので少しだけホッとした。

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