13-3
綾香はといえば、危ないから部外者のお前は帰れというのにあいつは何だかんだと理由をつけてここに留まって夕食を平らげ、しかもトイレのお供をしろだとか、柏木に借りた部屋着に着替えるから後ろを向いていろだとか、じゃあ別の部屋で着替えろよと言ったら、それならついでにシャワーを浴びたいからバスルームまで着いて来いだとか、挙げ句の果てには林間学校みたいで楽しいなどと場にそぐわないにも程がある発言を繰り返して皆の失笑を買っていた。
その能天気さにため息をついた俺はふと尋ねてしまう。
「前から聞きたかったんだが、お前、本当に学年トップクラスの優等生なのか」
雑賀さんに付き添ってもらって本当にシャワーを浴び、白いスウェットに着替えて来やがった綾香にそう問うと彼女は途端に腕組みをして俺を睨め付けた。
「どういう意味よ、それ」
「いや普通、勉強できる奴っていうのはもうちょっと思慮深いもんだろ」
「思慮深いじゃない、私」
自信満々な返答に思わず膝が崩れそうになった。
女帝が聞いて呆れる。
これならお転婆姫がいいところだ。
まあ、けれどその明るさに救われたところもあったかもしれない。
霊界酔いで具合が悪そうな睦月もちょっと頬を緩めていたし、かくいう俺もその能天気さに文句を並べながらも緊張が和らぐのを感じていた。
で、その能天気な穀潰しはどこにいる。
確かこのソファの反対側の肘当てを枕に俺に足を向けて眠っていたはずだが。
と、俺はそこで不意に下半身にのし掛かる重量感にようやく気がついた。
おい、ちょっと待て。
もしやこれは……、嫌な予感しかしないんだが。
恐るおそる目線を下げた俺は刹那、漏れそうになった悲鳴を辛うじて喉元に押し返した。
案の定、公序良俗に反する光景が真下にあった。
綾香は学生服ズボンのままの俺の太腿、というか下腹部を枕代わりにスヤスヤと寝息を立てていたのだ。
しかもその右腕がソファと俺の腰の隙間に差し込まれてほとんど抱き付くような姿勢になっている。
こいつ、いつのまに頭の向きを変えたんだ。
というか寝ぼけていたにしてもなんでこうなる。
焦って何度か身を捩らせてみる。
けれどその体勢は一種の押さえ込みのような形となっていてほとんどズラすことも出来ず、綾香を起こさずに体を引き抜くなどという芸当は到底不可能だと早々に諦めた。
次いで俺はため息を吐き、下腹部に横向きに乗るその寝顔をもう一度見遣った。そして寒そうに体を丸めて眠る綾香をひとしきり眺め、それからずり落ちそうになっていたブランケットを直して肩口まで掛けてやる。
まあ、寝てる分には可愛い奴なんだがな。
不意にこれまでのことが思い出された。
それは俺が
つまり小学三年生のあの夏以降のことだ。
それまでの引っ込み思案で気弱だった俺の性格はミシャの妖気に影響されたせいで自覚できるほどに一変した。
無論、明るくなったわけでも、垢抜けたわけでもない。
どちらかといえばその逆だ。
つまり俺は物事にことごとく無関心になった。
自分自身に関わりのないことはテレビで報道される大事件や友達との会話に必須のアニメやゲームの情報、あるいはしばしば耳元で囁かれる噂話や中傷などその一切に対してほとんど興味を持てなくなってしまったのだ。
自然、友達やクラスメイトとの交流が煩わしくなり、たとえば誰かに話しかけられても必要最小限の受け答えしかできなくなった。それで比較的仲の良かった友人たちも徐々に俺から離れていき、二学期を終える頃には誰も俺に寄り付かなくなっていた。
けれど綾香は違った。
わざわざ昼休みに教室にやってきては俺の机に腰を掛けて、飼い始めた猫の話や流行っている漫画の話なんかを独り話していた。
また俺の周りで起こる、というかミシャのせいで首を突っ込まざるを得ない怪現象を目の当たりにしてほとんどの者が俺を忌避するようになっても、彼女だけは気味が悪いと震えながら俺から遠去かることはなかった。
綾香の寝顔を見つめて今更ながら不思議に思った。
こんな風にこいつを俺に付き纏わせる原動力とはいったいなんなのだろうか。
決して幼馴染みの
無口で無愛想な俺を相手にしたところで面白いことなど何もないはずだし、加えて歩く怪談と陰口を囁かれるほど奇々怪々な現象に事欠かない(いや、別に巻き起こしているわけではないのだが)俺にそんなあやふやな誼があるからといってわざわざ近寄る必要もない。
その他大勢の人間たちと同様に遠巻きに眺めておけば良い話だ。
さらに云えば、綾香にとって俺は無駄な存在だろうと思う。
いや、無駄どころか害悪になるといっても過言ではない気さえする。
客観的に見て、こんな薄気味の悪い陰キャに拘っていては女帝とも称される威厳とアイドル並みの人気に瑕が付くかもしれないとむしろ俺の方が心配してしまう。
そもそも綾香はなぜ松東学園に進学したのだろう。
こいつの成績ならもっと上の私立を狙えただろうに。
もしかして俺が受験すると聞いて、それで……。
その憶測に俺は明け方に相応しくない加減でブンブンと頭を振った。
まさか、んなわけあるか。
そして叫び出してしまいたいほどの自嘲を俺は頭を掻いてやり過ごす。
するとその気配に目を覚ましてしまったのだろうか。
薄闇の中、俺の数メートル先に敷かれた布団から小柄な上半身がむくりと起き上がった。
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