13-2
彼女は睦月とさつきの向こう、二つ向かい合わせたリクライニングチェアの左側の方で眠っていた。
律儀な人だと思う。
ホームヘルパーと牧師を兼ねている彼女も、睦月が戻ってくるまでは失踪に責任を感じて憔悴しきっていた。
加えてその直後に俺と綾香を含めた全員分の夕食を用意して(ちなみに昨夜は鶏胸肉のソテーに黒オリーブのソースを掛けたものと大皿に盛ったペペロンチーノ、サーモンのイタリアンサラダ、それにパセリを振りかけたミネストローネ、そして食後に手作りのガトーショコラという豪華過ぎるメニューだった)、さらにその後この屋敷のどこか別室にいるという柏木の祖母の世話まで済ましてきていた。
おそらく彼女にとって想像もしていなかったいろいろなことがたった数時間のうち立て続けに起こり、それを理解しようとするだけでも大変で相当に疲れているはずなのに自室で休むことなく今もメイド服のままここで眠っている。
もちろん恐怖や不安、心細さもあるだろう。
けれどそれだけが理由ではないように思える。
なんとなくだが俺の目には彼女もまた単なるヘルパーとしてではなく睦月の母親としての役割を担おうとしているように見えたのだ。
出会って一日かそこらでそんな感覚を持つのは烏滸がましい気もする。
けれどそう感じたのは確かだ。
そしてそのような印象を持ってしまった最大の理由は柏木の言動によるものだったかもしれない。
それは睦月の失踪を知って駆けつけた玄関先でのあの一幕。
柏木が雑賀さんに向けた詰問と眼差しは少しばかり厳しすぎるように感じた。
なんというかまるで孫のことで嫁を問い糺す姑を連想させたのだ。
その様子を目の当たりにして昨日は仲の良い姉妹のように見えたのにと俺は少しばかり怪訝な表情を作った。
けれどいま考えてみれば、柏木が雑賀さんを睦月の母親代わりとして認めているからこそあんな風に詰ってしまったのではないかと思える。
考えすぎだろうか。
俺は矢庭にフッと息を吐き、次いで肩をすくめた。
我ながらバカバカしいことだ。
俺に課せられた役割は睦月をつけ狙い、はたまたキヨの弟を弄ぶ悪霊を見つけ出して始末することだ。それだけでもずいぶん荷が重いと感じているのに柏木家の家庭事情にまで憶測を伸ばそうとしている自分は全くもって僭越に過ぎる。
今考えるべきは、雑賀さんと足裏を向かい合わせてチェアで眠る柏木宗佑氏の語った過去についてだろう。
あの話をすべからく信じるならば、この屋敷には戦後まもない頃から当の悪霊が棲みついていたということになる。そしてその正体はキヨの記憶世界で見たあのカイセという名の猟奇的殺人鬼であるに違いないが現世だけでは飽き足らず、冥界においてまでこんな鬼畜の所業を為し続けているとなると、もはやこれをただの悪霊と括ることが難しい。
いったい奴はどのようにしてここまで凶悪で強大なる力を手に入れたのだろうか。
頭の中に尋ねてみるとミシャはガトーショコラに舌鼓を打ちながらこう答えた。
『ふむ、そのような者もたまに居るが、どれほど膨大な怨恨や悔い、未練を残して死したとしても人に与えられた霊力だけではまず事足りんな。おそらくは魔羅のうちの何者かが後ろ盾になっておるのだろうよ』
『魔羅、つまり悪魔か。誰だ、そいつは』
『知らぬわ。魔羅など神仏と同じで捨てるほど居るのじゃからの。まあ、とはいえ我と互角に打ち合える者はそうは居らんがな、ふひひ。おい、ところで貴様、さっきから匙が止まっておるぞ。下らぬことを訊く前に余っておるガトーショコタンとやらをほれ、一息に頬張るのじゃ』
いきなりアニメに一家言物申す女性タレントのニックネームが出てきて、その緊張感の無さに閉口しつつ、俺は仕方なくその口にガトーショコラを押し込んだ。
しかしながらカイセの背後から悪魔が手を貸しているとなれば確かにその凶悪さや執拗さが肯ける話にもなるし、また同時に蒲生鉄心斎が絡む理由も納得がいく。
おそらく奴の先代が施したのは魔封じの緘印だろう。
しかもあれだけの霊力を持つ怪異を封じたとなればかなり強力なものだったと推察する。けれど裏を返せば千年超の歴史を誇る隷鬼党の加持祈祷を持ってしてもカイセを退散させることは及ばず、緘印しかできなかったということを意味している。
ならばその悪魔の力量は少なくともミシャと同等、あるいはそれを凌ぐということになるのではないだろうか。
浮かんだ不吉な推測に俺は力なく未だはっきりとしない頭をフルフルと振った。
そして鼾まじりの寝息を吐く柏木宗佑氏を目に留めながらぼんやりと考える。
そういえば綾香はどこにいるのだろう。
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