12-4
最初の解剖実習で死体の皮膚にメス刃を走らせたとき、その感触に私は思わず恍惚としてしまった。献体は老婆だった。また死因は心臓病を悪化させての病死であったが私にそんなことはどうでも良かった。
この死体は私の物だ。
もちろん実際にはそういう所有権が与えられたわけではなかったが、それでもこの身体をメスや剪刀で切り裂いても誰にも咎められない。そう考えるだけで私は言いようのない優越感に襲われた。
鴨猟以来、身体の構造というものに私はすっかり魅了されてしまっていた。
同時にそれは死というものに対する興味でもあったように思う。
切られた首から吹き出す血液とともに鴨の命が失われて死がのっそりと姿を現す。
その衝撃的な光景は私の網膜にしっかりと焼きついていて、いつまでも鮮明に思い返すことができた。またその記憶には使用人に踏み潰されたネズミの死骸も付録されていて、しばしば現れては私の胸をときめかせた。
屋敷の近くに小さな養鶏場があった。
中学生になると私は身元が割れないようにわざわざ見窄らしい服を調達してそこに足を運ぶようになった
「ヒヨコを分けて欲しい」
最初、そう持ち掛けると養鶏場の主人は訝しげな顔をした。
子供が買いに来るのはたいてい卵だ。あるいは親の使いで締めた鶏を所望する者もあったが、ヒヨコが欲しいという子供は珍しかったのだろう。
「何に使うんだい」
そう訊かれて私は育ててみたいのだと答えた。
「育てる?」
「うん、育てれば卵を産んでくれるから」
主人は笑った。
「坊主、そういうことならお断りだ」
それから、それじゃこっちの商売が上がったりだとブツブツ文句を付け加えた。
予想通りの返答に私は握っていた右手を差し出した。
「三羽でいいよ。それにオスだったとしても文句は言わないから」
続けておもむろに手のひらを開くと主人はそこに現れた十圓札に目を丸くした。
当時は小学校教師の初任給が五十圓ほどだったので、ヒヨコ三羽にそれは破格という言葉でも足りなかっただろう。主人は唸り、そして私の顔と手のひらの十圓札をひとしきり矯めつ眇めつ勿体ぶってからようやく肯いた。
私は三羽のヒヨコを頭陀袋に隠してこっそり自分の部屋に持ち帰り、あらかじめ用意していた竹製の籠に移し替えた。
米糠を与えるとヒヨコたちはそれを無感情な様子でいつまでも啄み続けた。
夜、私は暗闇で眠っていた一羽のヒヨコを選んでつかみ出し、逃れようとするその小さな体を左手の拳で優しく握った。そしてランプの灯る机の上でその頸をひと息に刃物で切った。
ヒヨコはすぐに絶命した。
その切り口から流れ出した血液は鴨よりもずっと少なく、命が失われていく時間もほんのわずかだったけれど、それでも拳の中でぐったりと力を失っていくその感触に私はやはり得体の知れない高揚感を覚えた。
それは背筋にピリピリとした電流が走り、身体中の熱が下腹部に集まっていくような感覚。それが潰えると次に切ないような愛おしいような感情がどこかから泡のようにフツフツと浮き上がってきた。
そして最後に痙攣のような身震いがやってきて、その終焉に縋り付くように私は指の間からわずかに滴った赤黒い血液にそっと唇を寄せた。
私は一晩に一羽ずつと決めてその快楽を味わった。
死骸は毎朝、裏庭の灌木の下に捨てた。
次の日には無くなっていたからきっと猫かイタチの腹に収まってしまったのだろう。
その後も私は怪しまれない程度の頻度で養鶏場に通った。
十圓札を差し出すたびに主人は不審げな表情を浮かべたが、上手く育たないのだと言い訳をすると気の毒そうな嘲笑を浮かべてヒヨコを譲ってくれた。
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