12-3
※ 作中に少し残酷な表現が含まれますのでご注意くださいませ。
尋常小学校六年生の冬、父親に連れられて東京湾の干潟に鴨撃ちに行った。
葦の茂みに身を伏せ、同行の猟師が犬を放つと干潟で貝や小蟹などを啄んでいた鴨が一斉に飛び立つ。その空の一部を覆う鳥の群れに向けて父が鉄砲を撃ち放つとずっと遠くの海面に一羽二羽ヒラヒラと旋回しながら鴨が堕ちていくのが見えた。
そのあとで猟師が小舟を出してそれを回収してくる。
胸や腹に弾が命中してすでに絶命しているものもあれば、撃ち折られた片翼を地面に着けて不安げな眼差しで人間を見上げている者もいた。
そういう鴨は、けれど猟師が持つ小型のナイフによって頸を切られて死んでいった。そしてすぐに腹を裂かれて内臓が取り出された。
そうしないと肉の味が落ちるのだと猟師は笑って言った。
私はその鴨たちが捌かれる様子を興味深く眺めていた。
ナイフが喉元に充てられると、どの鴨も瞳の奥に一瞬だけ仄かな光を浮かべるように私には感じられた。鳥如きが死生の見極めなどするはずもないとは分かっているのに、放たれるその光にはやはり幾許かの恐怖と覚悟のようなものが含まれているように思えた。
そして次の瞬間、切り裂かれた頸から血液がほと走るとその仄かな光が消えていく。まるで傾けた如雨露から水が流れ出していくように。
あまりにも熱心に見つめていたせいだろう。
やがて父が「お前もやってみろ」と言った。
私は一瞬怯んだが、けれどすぐに肯いた。
ナイフを受け取ると、猟師は折れた翼から血を流している鴨を私の目前に差し出した。
「坊っちゃん、気をつけてくださいよ。指を切っちまわないように」
私は無言で肯いた。
そして猟師のやり方を真似て鴨の喉下をつかみ、思い切ってその頸側に刃筋を走らせた。吹き出した血が腕や顔に飛び散った。
肌に触れたその液体は温かくどろりとした熱を持っていた。
心臓が早鐘のように鳴っていた。
だらりと弛緩していく鴨がなぜかとても愛おしく感じられて、どくどくと血液が溢れ出すその切り口に私は何度も頬ずりをした。
「おいよせ、何をしている。汚いだろう」
声にハッと我に返り、振り向くと父が蔑むような目で私を見ていた。
猟師が慌てて私から鴨を引き剥がして、オロオロした様子でそばに置いていた布切れを差し出した。
それを受け取り、頬を拭うと赤黒い血液がべったりと着いた。
見ると私の右手にはまだ鴨の血液が滴るナイフが残されていた。
次いで私は猟師に引き取られた鴨を見遣り、それから腹も割いてみたいと告げたがそれは許されなかった。
その後の記憶はない。
けれどそれとき私ははっきりと自覚したと思う。
自分が生温かな血液の感触や生命が失われる瞬間に魅了されているということを。
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