11-4

 「ちょ、ちょっと待ってください。やっぱりおかしいです。だって犯人は死んでたんですよね。それなのに……」


 綾香の反論に対して俺は思い付いていた推測を口に出した。


「もしかすると復活の儀式を行った可能性があるかもしれない」


 綾香が振り向き、訝しげに眉根を寄せる。


「儀式? なによそれ」

「奴がサタニズム信奉者だったとすればあり得る」

「サタ……なに?」

「サタニズムだ。ディアボリズムとも云われる。いわゆる悪魔崇拝のことだ」

「……悪魔?」


 まあ、理解できなくて当然だ。

 ますます訳が分からなくなったというような綾香を横目に俺はコーヒーカップをソーサーに戻した。


「多くの人たちが神を主とした宗教を信仰しているのと同じように、ごく少数ながら同様に悪魔を崇め奉る人間がいる。俺も詳しくは知らないが、神と相反、あるいは敵対するその教えは利己的で破滅的な欲望を持ち続けることを推奨しているようだ。また信者たちにはいくつかの邪悪な儀式も連綿と伝えられているらしく、そのひとつにして最大のものが復活の儀式だと云われる」


 視線を流すと綾香は未だ腑に落ちない顔つきでこちらを見つめていた。

 俺は少し間を取って尋ねてみる。


「綾香、エクソシストって聞いたことあるか」

「うん、映画なんかもあるし。たしか悪魔祓いのことだよね」


 肯いて見せる。


「そうだ。エクソシスムとは悪魔に取り憑かれた人からその悪魔を追い出すこと。そしてエクソシストはそれを行う人を指す。つまり逆説的に言えば悪魔という存在はいつだって肉体に取り入る隙を窺っているということになるな。じゃあもし、悪魔に取り憑かれたいと願っている者がいたとしたらどうなると思う」

「え、そんな人いるわけ……」


 綾香はそこでハッとした表情になり口を噤んだ。


「悪魔信仰をする人たちは自分の肉体を悪魔に捧げることを厭わない。むしろ進んでそうしようとするだろう。しかしながら強欲な彼らはこう考える。どうせ宿らせるならできるだけ上位の悪魔を降ろしたいと。なぜなら雑魚であればエクソシストや陰陽師に易々と祓われてしまうが、強大な力を持つ悪魔と同化すれば誰にも邪魔されずに自分の欲望の限りを尽くすことができるからだ。その結果として最上級の悪魔を降臨させる黒魔術セレモニー、つまり復活の儀式が産み出されてしまった」


 解釈を啓き終えるとその場に沈黙が立ち込めた。

 綾香は懐疑的な表情を残したまま椅子に腰を下ろし、しばらくしてその重い空気を掻き分けるように柏木氏が口を開く。


「けれど石破くん、仮にその説が正しいとして死んで肉体を失った男がどうやって悪魔的な存在をこの世に留めることができたのだろうか」

「ええ、確かに。悪魔は常に顕在化を求めています。だから普通は依代となった肉体が滅べば取り憑いていた悪魔は地獄へと送り返されてしまうはず。しかしそうはならなかった。もしかすると奴は肉体以外の何かを依代にしたのかもしれませんし、復活の儀式以外の方法を用いた可能性も否定できません」


 俺は口もとを片手で覆い、それからテーブルの端に視線を落とした。

 

 とすればやはり悪魔降臨は無理線なのかもしれない。

 けれど死んでからも実体を保ち、自分の欲望のままに生き人を弄ぶ方法など他にあるだろうか。

 ミシャに尋ねるも彼女は「知らん。それよりもっとプリンを寄越せ」と素っ気なく答えるばかり。仕方なくさらにひとしきり考察を重ねてみたがやはりそれ以外には納得のいく方法は思い浮かばず、俺は未練を断ち切るように顔を上げて柏木氏を見遣った。


「申し訳ありませんが、これはあくまでも推測です。もしかすると俺が知らないだけで悪魔など召喚しなくとも悪霊が実体を持ち続ける方法が他にあるのかもしれません。ですからこの話はひとまず置いておくことにしましょう。それより俺が知りたいのはその後のことです」

「その後……というと」


 柏木氏のおずおずと伺うような口調に思わず苦笑で頬が歪んだ。


「ここまできてそれを隠すおつもりですか。この屋敷に悪霊が棲み着き、子供を拐っていた。霊感があり、またキヨの記憶を見てきた俺にとっては信じるに足る恐ろしい話です。けれどこれまで教えていただいた経緯はすべて過去の伝聞に過ぎません。普通そんなものはタチの悪い怪談だと切り捨てられて当たり前でしょう。ところが睦月くんが消えたと知らされたあなたは警察に連絡することもなく、娘が通う高校の先輩というだけの俺を頼みの綱とした。どう考えても不自然ですよ。もしかして教会に通う信者の息子さんがここで消えた後、なにか身内に関わる事件があったんじゃないですか」


 彼は俺の言葉を聞き終えると目を伏せ、呻きに似た低い音を喉元から発した。

 そしてしばらくして柏木氏は肩が迫り上がるほどに大きく息を吸い込み、それから姿勢を正して俺を真正面に見据えた。


「できればこの話は子供たちに教えたくはないんだ。知ればここに住むことさえ不安に感じるだろうからね」

「……パパ」


 いつのまにかテーブルの傍らに柏木の立ち姿があった。

 ソファにずっと体を持たせかけていた所為か、ブレザーの襟は少しばかり歪み、スカートには薄らと皺が寄っていた。

 彼女はやつれた表情で下唇を噛み、それから無理やりに淡く微笑んで見せた。


「私なら大丈夫だよ。睦月を危険に晒すことに比べたら、それ以上に不安なことなんてないもの。だから全部話して。お願い、パパ」

「さつき……」


 メガネの奥で柏木氏の瞳が憂えたように色を失う。

 そして彼はまたひとつ大きな息をつき、おもむろに過去の悲劇を語り始めた。

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