11-3

 深まっていく話の剣呑さとは裏腹にキッチンからは何かを炒める音と香ばしい匂いが流れてくる。視線を送るとフライパンを手にした雑賀さんと目が合った。すると彼女は柔らかな笑みを浮かべたが、その瞳にはやはり憂いの気配が色濃く残っているように見えた。


「九条の鬼と呼ばれた人物が死んでからほとんど間を置かずして、この屋敷は売りに出されたらしい。まあ、立件されなかったとはいえ誘拐犯の噂が立った身内は言ってみれば由緒ある九条家にとって面汚しもいいところだっただろうからね。おそらく蜥蜴とかげの尻尾の如く男と屋敷を切り捨てて、事件そのものをなかったことにしようとしたんだと思う」


 心を落ち着けようとしたのだろうか。

 柏木氏はそこでおもむろに目の前のカップを持ち上げてコーヒーを啜った。

 誘われるように俺も手を伸ばしかけたが、途中でミシャが焼きプリンのシュプレヒコールを始めたので仕方なくスプーンを手に取り、お望み通りにひと匙だけ掬って口に入れる。

 

 おおッ、これは!

 こんがり焼き目とカラメルが絶妙に合い、しかもすっきりとした甘さのプリンがクリーミーに舌の上でとろけていくではないか。


 思わずこぼれ落ちそうになったその感嘆符を俺はプリンとともになんとか呑み下し、慌ててコーヒーカップを口元に運ぶとふたたび柏木氏の重苦しく声が低く響いてくる。


「でもね、凶行はまだ終わったわけではなかったんだ」

「え、犯人の男は死んだはずじゃ」


 そう訊いた綾香に彼は肯いた。


「そう、男は間違いなく死亡していた。警察関係者を含めた多くの人間によってそれは確認されている。それなのに空き家になっていたはずのこの屋敷ではその後も子供たちが犠牲になり続けていたというんだ」


 それを聞いた綾香が不可解極まりないといった風に首を傾げると柏木氏はその疑念にまたひとつ肯き、メガネを押し上げてから「ところで」と前置きをした。


「太平洋戦争によって産み出された戦争孤児は12万人以上に昇ると云われる。その多くは親類などに引き取られたはずだが、もちろん全員だった訳ではない。それに戦争末期や終戦直後は児童保護シェルターも皆無だったから誰の庇護も受けられない子供たちも相当数いたんだ。そしてその不幸な彼らの中には飢えや冬の寒さから逃れるために都会から地方へと流れる者も少なくなかったようだ」


 俺は説明の意図を汲み取り、先手の相槌を打つ。


「なるほど。どこかからこの地に流れ着いた子供が空き家となっていた屋敷に住み着いたんですね」

「ああ、信者の息子さんが失踪した際、警察に赴いた祖父がこっそり耳打ちされたそうだ。それによると当時七人ほどの少年少女がこの屋敷に無断で入り込んで暮らしていたという。そしてある冬の日に少女が半狂乱で警察署に駆け込んできたそうだ。彼女は慄きながらこう告げたらしい。一緒にいた仲間はすべて男児だったが、数日おきにひとりずつ消えていき、気がつくと自分ひとりになっていた。どうやらあの屋敷には得体の知れない人攫いが棲んでいる、とね」

「つまり、惨劇は繰り返された……」


 そう呟いて沈痛な面持ちを浮かべた俺に柏木氏はゆっくりと肯いた。


「ちなみにこのことは鹿ノ塚の人たちには伏せられたままだったようだ。たぶん警察は動揺した住人が騒ぎ出すことを恐れたんだろう」


 そして彼が短いため息を吐くとその矢庭、綾香が立ち上がり、首を振りながら胸の前に両手をかざした。

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