11-2

 この屋敷はもともと九条家の別荘として建てられたものだったらしい。

 そしてすぐそばには鹿ノ塚かのつかという名の集落があった。

 いや、正確にはもちろん最初にその集落があって、そこに九条家が屋敷を構えた、つまりそういうことだろうけど、とにかく鹿ノ塚とこの屋敷は隣接していた。


 集落には古くからの言い伝えがいくつかあってね。

 そのひとつが牛鬼伝説だった。

 牛鬼というのは毒を吐き、人間を喰い殺す蜘蛛に似た悪鬼で浜辺を歩く者を襲うというが、日本各地、海に近い場所には似たような伝承がいくつもある。

 とにかくこの辺りの人は子供の躾の一環としてその牛鬼の話を上手く使っていたようだ。

 ほら、よくあるだろう。

 早く寝ないとオバケが出る。

 悪い子は鬼が来て連れて行かれる。

 つまりそういう単なる子供騙しに過ぎなかったけれど……。


 柏木氏はそこで少し間を取り、何か苦いものでも飲み込むような表情を浮かべた。


「ここではその牛鬼伝説が現実のものとなってしまったんだ」


 俺はやおら腕を組み直し、やや上目遣いに彼を見つめて訊く。


「つまり子供が拐われるようになった、と」


 柏木氏が曖昧に肯く。


「最初はそうとは考えられていなかったかもしれないね。ここには若瀬川という大きな河川もあるし海も近い。不慮の事故や遭難で子供がいなくなるという悲劇はざらにあったと思う。だから当初、鹿ノ塚の人たちは人の手による仕業だと考えていなかったんじゃないかな」


 確かにと俺は得心し、そして再び推察を投げかけた。


「でも、そのうちに怪しまれるようになった」


 柏木氏が軽く顎をさすった。


「そうだね。なぜなら消えた子供が一人や二人ではなかったからだ。さすがに神隠しでは済まない。それにいくつか目撃情報も出てきた」

「目撃情報?」


 それまで黙って話を聞いていた綾香が怪訝な声を挟む。


「うん、子供たちがいなくなる前には必ず正体不明の男が集落で目撃されていたんだ。そしてどうやらその男が九条家の者だということも」

「じゃあ、それで警察が動いて……」


 綾香がそう云うと柏木氏はすぐに首を横に振った。


「いや、そう単純に事は進まなかったみたいだ。なにせ九条家は由緒正しい華族だからね。それに無尽蔵とも云われた巨万の富を後ろ盾に政治家や警察組織にも顔が効いたんだろう」

「つまりそんな状況証拠ぐらいは簡単に揉み消せた、というわけですか」


 彼は渋い表情を俺に向けた。


「おそらく。そしてその後も何人かの子供が消えた」

「ひどい。犯人の身元が分かっているのに放っておくなんて」


 怒気を孕んだ綾香の台詞は至極正当だったが、俺は腑に落ちてしまった。

 権力者による犯罪隠蔽など過去も現代もなく世の常だ。

 理性的に捉えればさほど珍しいことでもない。

 けれどそれによって子供たちが犠牲になったこと、そして彼らの家族の心情を慮ればやはりやるせなかった。


 柏木氏がため息を吐き、そして付け加える。


「ちなみに連れ去られた子供のほとんどが幼い少年だったらしい。どうやら犯人はそういう偏執の持ち主だったみたいだね。そしていつの頃からか集落の人たちはその犯人らしき男のことを陰でこう呼ぶようになった……」


 ―――― 九条の鬼、と。


 脳裏にコウジロウの悲惨な姿が甦り、俺は唾を呑みこんだ。

 しばし間を置き、綾香が訊く。


「それでどうなったんですか」


 柏木氏はテーブルの上に両肘を着き、組み合わせた拳を口もとに当てた。


「経緯はよく分からないけれど、しばらくして被疑者の男が自殺したと聞いている」

「自殺……?」


 意外な顛末に俺は呟くようにその言葉を落とした。


「戦時中のことだったようだ。男はこの屋敷のどこかで首を吊って死んだらしい」

「この屋敷で……」


 声に振り向くと聞き耳を立てていたらしい柏木さつきが父親に不安げな視線を向けていた。敷地内でかつて自死した人間がいたなど、柏木氏もできることなら子供たちの耳に入れたくはなかったはずだ。けれどあえてこの場でそれを明かしたということはきっとそれだけの覚悟があってのことだろう。

 彼は険しい表情で娘にひとつ肯くと、低いトーンで再び話を継いだ。


「それでさすがに警察も重い腰を上げたらしい。けれど、家宅捜索をしてもどういうわけか連れ去られた子供たちはおろか、誘拐の証拠となるようなものも一切出てこなかったというんだ。まあ、その報告が真っ当なものかどうかは疑わしいところだけれど。でも、とにかくそれからは鹿ノ塚の子供たちが消えてしまうことはなくなった。だからやはりその九条家の男が犯人だったんだろうということで一連の事件はうやむやにされたんだ」

「そんな……」


 綾香の非難めいた声が響き、そこに柏木氏が沈んだ言葉を添える。


「戦時中だったとはいえ本当に身につまされる話だよ。子供たちの親や家族にとってそれがいかほどの心痛だったかと思うとね」


 俺は同情を込めてひとつ深く肯いた。

 そしてさらなる情報開示を促すべく、前のめりに体を傾ける。

 すると柏木氏はその俺を見て取り、それから険しい顔つきで言葉を続けた。


「でも、それで終わればまだマシだったのかも知れない」


 そして覚悟を決めるように目を閉じて細く長い息を吐いた。


「ここから先はもっと恐ろしい話になる」


 柏木氏はそこでいったん言葉を切ると俺と綾香に目を配った。

 それから不意に睦月へと視線をやり、悔いを示すように下唇を噛んだ。

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