8-4

 柏木の瞳がキュッと見開いた。


「ど、どういうことですか」


 話を聞かせて辛い思いをさせるのは心苦しいが、今回の依頼を解決するためには避けては通れないプロセスだ。

 俺は実習台の据えられたスツールに腰を下ろし、二人にも座るように促した。


 確信はまだなにもない。

 そう断ってから俺は柏木の母親の霊について直感したことを彼らに話した。


 彼女が悪霊に匹敵するほどの凄まじい霊気を放っていたこと。

 けれどその気配に怒りや憎しみは含まれておらず、代わりに深い哀しみと強い警戒心を感じたこと。

 そして俺が敵ではないと認識した途端に呆気なく消えていったこと。

 ちなみに後になってミシャに役職放棄を問い糺すと『雑魚に用は無い』と言い捨てたことは当然ながら黙っておいた。


「それが……単純に苦しんでいるということになるのでしょうか。むしろ正気を失っていたのでは」


 ピンと背筋を伸ばして座る柏木は下唇を噛んでそう反論した。

 そう認めるのもやはり辛い事だろう。

 またその言はなかなかに的を射ている。

 正気を失っているか、あるいは誰かに操られている可能性もある。

 けれど俺は柏木の心情を考慮して、その推察には触れない。


「そうかも知れない。けれどあの時、お前が自分から俺のそばに近づいたのを見て彼女は姿を消した。つまり警戒心を解いたんだ」


「だから?」


 眉を寄せた綾香が前のめりに俺を見据える。


「正気かどうかはともかく、母親は柏木や睦月のことをとても心配しているんだろうな。そしておそらくはお前たち姉弟を何かから守ろうとしているんだと思う。昨日は俺がお前たちに危害を加える人間ではないかと疑って警戒していたんだろう。それがいつの頃からか、亡くなってからなのか、最近、たとえば睦月に怪現象が起きるようになってからなのかは不明だ。が、ずっと何かに警戒して気を張りつめ続けることはとても苦しいことだと俺は思う」

 

 二人が無言でこちらを見つめる。

 その真剣な表情にいざなわれるように俺は言葉を続けた。


「だからきちんと話を聞いてあげたいんだ。心残りや心配事があるなら打ち明けて欲しいし、睦月の件で何かを警戒しているなら協力して解決したい。そのためにも今は情報が必要だ。柏木の屋敷で何が起こっているのかを突き止めるために」


 沈黙が訪れた。

 遠く離れたグラウンドから金属バットがボールを打ち返す甲高い音が微かに聞こえる。赤顔した俺は居住まいを正し、咳払いをひとつ。


「ふうん、マーシャもたまにはまともなことを言うのね。ちょっとは精神的に成長したんじゃない」


 なんだよ、それ。

 ニヤついた綾香の顔を俺は睨む。

 すると次いで柏木が立ち上がって鼻を啜った。


「石破先輩、お願いします。母と睦月をどうか助けてやってください」


 そして深々と頭を下げたその挙動に俺は全身をすくめた。


「あ、いや……まあ、やるだけやってみる。ただし成果はあまり期待しないでくれ」


 柏木が泣き笑いのような顔を上げる。

 その肩を綾香がひとしきり抱き締め、それからまた椅子に座らせた。


「じゃあ、母の事についてお話しますね。と云ってもどこから話せば……」


 しばらくして柏木はそう切り出した。

 俺は膝に手を乗せ、一度肯く。


「そうだな、生い立ちとか性格とか生前の趣味とか柏木が憶えている範囲でいい。それとできれば亡くなる前の様子も少し詳しく」

「分かりました」


 そしていざ語り始めたその矢先に柏木が床に置いた鞄の中でスマートフォンがバイブレーションを始めた。

 柏木は「ちょっとすみません」と俺たちに断り、立ち上がると背を向けて教室の後ろに向けて歩き出す。


 しかしその途中、


「え、小雪さん、それどういうことなの」


 足を止めた彼女が不安げな顔で振り返った。

 訝しげな目を遣る俺と綾香。

 するとスマホを耳から離した柏木がやや呆然とした声で呟く。


「睦月が……いなくなったそうです」

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