8-2

「どういうことよ」

「何がだ」


 思った通りの展開にヘラリと嗤うと綾香は奥歯を噛み潰さんばかりのものすごい形相で襟元から睨みつけてくる。


「あんたしかいないでしょうが。幼馴染みとはいえ私の家庭のことまでベラベラ喋るんじゃないわよ」


 俺はニヤけたままブンブンと首を横に振った。


「ふん、俺じゃない。諜報は影浦の趣味だ」

「そんなわけないでしょう。猫や妹の名前までどうやって調べるっていうのよ」

「さあ、知らんな。というか妹はともかく、そもそもお前んの猫の名前や年齢まで俺が憶えていると思うか」

「何回もカワイイ動画送ってるでしょうが。名前ぐらい憶えておきなさいよ」

「あのな……」


 論点が怪しくなってきた俺たちの問答に影浦がくつくつと笑声を漏らす。


「石破くんの言う通りさ。出所がすぐバレるような情報源は使わないよ。僕の信条から外れるからね」


 眉に唾を付けたような表情になった綾香に彼はまるで欧米人のように肩をすくめ、次に向き直り呆気に取られて立ち尽くす柏木に標的に定めた。


「それからキミは1年 C 組、出席番号9番の柏木さつきさん。もちろん柏木コーポレーションのご令嬢ということは周知だからね。そのあたりの基本的なセレブ情報はやっぱり明かしても詰まらない。柏木さんについては、うーんと……何がいいかな。えーと、あ、そういえばたしかキミ、中学二年のとき同級生の男子を若瀬川の土手から突き落としちゃったんだよね」


「がッ……‼︎」


 がッ? 

 その破滅的な声、どこから出した、柏木。

 目を向けると彼女はいかにも信じられないと云う風に口に手を当て、おそらく呼吸も忘れ、そしてありえないほどに瞠目していた。


「ほ、本当なのサッキィ」


 目を丸くした綾香の声さえ聞こえないのか柏木は微動だにせず凍りついている。

 その背後で影浦はやおら自慢げに腕組みをした。


「本当さ、僕が調べたところによると突き落とされた彼は幸い肘と膝を擦りむいただけの軽傷で済んだらしい。でもね、被害者はむしろ柏木さんの方だったと僕は思うよ。だって時間帯はもうほとんど視界も効かない夕暮れだったんだ。薄暗い土手をひとり歩く中二女子にいきなり大声を出しながら走り寄れば暴漢だと勘違いされても仕方がない。自業自得さ。でもまあ、とはいえ彼に悪気はなかったんだ。ただ告白しようとしただけでね」


「告白……?」


 綾香が不審な目つきで影浦を見遣る。

 すると彼は腕組みを解いて再び肩をすくめた。


「うん、そうなんだ。彼は一年生の頃から柏木さんに想いを寄せていたらしいよ。おそらくずっと告白する機会を窺ってたんだろう。シャイだったんだね。一途でもあった。そして勇気を振り絞ったんだろうね。でもさ、それにしても時と場所は選ばなくちゃ。まあ、とはいえ中二男子のやることさ。仕方がない。若気の至りだよ」


 そう話してうすら笑いを浮かべた影浦にようやく柏木が息も絶えだえに口を開く。


「どど、どうしてそんなことまで……。も、もしかして、ストーカーの方ですか」


 おい、それを云うならせめてスパイか興信所にしておいてやれ。

 そう思ったが興醒めになりそうなのであえて喉から出すのはやめておく。

 すると代わりに影浦がチッチと軽く舌を弾き、それから右手の人差し指をメトロノームのように左右に振った。


「甘く見てもらっちゃいけない。こう見えても将来の目標として警視庁公安部参事官を目指しているんだ。一人や二人の個人情報の集積で満足していてはいけない。僕は将来のための鍛錬として常日頃から複数人にターゲットを定めて情報収集に努めている。そしてその積み重ねによって、たとえばこの松東学園内の主要人物についてはほとんど網羅できていると自負しているよ。もちろん教師や役員も含めてね、フフフフフ……」


 そう矜持を明かした影浦は人差し指を収めた右手で、ほとんど両眼を覆い隠す長髪をサラリと掻き分けてみせた。その彼に二人は互いに震える体を寄せ合い慄くような目線を向けている。

 なかなか面白い構図だがいつまでも茶番に付き合っている暇はない。

 俺はそこでもう一度指を鳴らした。

 すると影浦は再びサッと俺の膝下に傅き、下命を待つ。


「お前のその諜報能力を見込んでひとつ仕事を頼みたいんだが」

「ハッ、仰せのままに」


 怪しげな笑みで見上げてくる影浦に俺はため息を漏らしながら一枚のメモ用紙を渡した。すると彼は紙片を一瞥するなり立ち上がり、俺の耳元で囁く。


「報告は明日でいいかな。それと報酬は……」

「ああ、分かっている。いつもの奴だろ」


 その返答にほくそ笑んだ影浦は颯のようにその場から姿を消した。

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