8. At After School B 38 - 42
8-1
「で、これが教会の写真というわけね」
綾香の声に記憶から現実へと一気に引き戻された。
「まあな」
短く答えた俺は並べた写真の一枚、壁に埋め込まれたアンティーク書架に視線を向ける。そして昨日から頭に浮かんで消えないひとつの疑問をほとんど無意識に口に出した。
「九条家という華族には医家の流れでもあったんだろうか」
あの医学書の存在から可能性としてはそれが最も適した推論であるような気がする。
「どうなんでしょうか。昨夜、父と祖母に尋ねてみたんですが九条家については二人とも詳しいことは分からないって」
うつむきがちにそう答えた柏木を綾香がフォローする。
「まあ、普通そうだよね。だって百年以上も前のことだもの知ってる人なんていないよ」
確かにそうかもしれない。
けれどあれほど広大な敷地を持ち、城のような邸宅を構えていた華族である。
少なくとも当時この地域ではかなり知られた名家であったはずだ。
おそらく探せば幾許かの記録は残っているだろう。
俺はおもむろに右手を顔の横に掲げ、パチンと指を鳴らした。
すると即座に黒い影が俺の膝下に
「呼んだかい、石破くん」
唐突に響いたその声に綾香は息を呑み顔を引き攣らせて三歩ほど後退った。
また柏木はごく短い悲鳴のあと、大きく目を瞠きその場に呆然と立ち尽くす。
そして俺はその二人の尻目にあえて無表情ですっかりルーチンワークになった断りを入れた。
「影浦、何度も言ってるだろう。恥ずかしいからそうやって傅くのはやめろ。それに同級生なんだから君付けもよしてくれ」
「僕は気にしないよ、石破くん」
そう答えた彼はようやく膝立ちを改め、ゆっくりと立ち上がる。
けれどその背丈はせいぜい俺の肩口までしかない。
ほっそりとした顎に睫毛の長い切長の瞳でおまけに細身、長めのサラサラヘア。
まるで女子生徒のような風貌だ。
俺はその影浦を斜めに見下ろし、こめかみを押さえて捨て台詞を吐いた。
「こっちが気にするんだよ」
まったく頭が痛くなるキャラだ。
首を振ると少し離れた場所から呟きに近い怖じた声が聞こえてくる。
「だ、だれ? いつから居たの?」
振り向くと綾香が棒立ちになったまま訝しげに眉を寄せていた。
仕方がないのでぶっきらぼうに教えてやる。
「ああ、こいつは影浦。オカ研の部員だ。ちなみにお前たちが部室に入る前からこの部屋に居たぞ。見えなかったのか」
「ウソ、気が付かなかった……」
呆然とする綾香と柏木に向け、影浦はまるで上流貴族のように右腕を体の前で払って慇懃に頭を下げる。
「二年 D 組、影浦
「え、同級生なの。それにしては全然、見覚えがないんだけど」
聞く者によっては失礼千万、臍を曲げてもおかしくない発言だ。
けれど影浦はむしろ嬉しそうに笑みを浮かべて何度も肯く。
「僕は普段からできるだけ気配を消しているからね。クラスも違うし分からなくて当然さ。でも僕はキミのことをよく知っているよ、二年 A 組、城崎綾香さん」
「そ、それはどうも」
まあ、自分はおこがましくも学園内ではなかなかの有名人。
知られていても別に不思議はない、とでも思ったのだろうが驚くのはここからだ。
密かにほくそ笑むと奴は本領を発揮した。
「出席番号は12番。少林寺拳法部に所属し、今期生徒会では書記を務めている。有能さは誰もが認めるところで、次期は生徒会長との呼び声も高い。またその人望と人気たるや絶大でこの学園内で知らぬ者はないと云われているから、いまさら僕がひけらかしても詰まらないよね。だからここではちょっとレアな情報を開示しようか。たとえば城崎家では猫を三匹飼っているね。名前はおはぎとボタ、そしてきなこ。おはぎとボタは兄弟でともに黒猫、五歳のオス、去勢済み。きなこは三毛のメス三歳で避妊済み。みんな城崎さんが学校帰りに拾って帰った仔猫だったんだ。かかりつけは隣町の◯◯動物クリニック。えっと、それから妹の名前は春香さん、現在中学二年生。姉に劣らず美人と評判らしいね。バスケ部所属でポジションはセンターガード。それでやっぱり運動神経もいいみたいだ。去年は一年生にしてレギュラーを勝ち取って……」
影浦はそこに開いた手帳でもあるかのように斜め上に視線を漂わせながら、流れるような口調で綾香の個人情報を次々に誦じていく。
しばし後、いきなり眉尻を吊り上げた綾香が無言でツカツカと俺に歩み寄り、小慣れた所作で胸ぐらを捻り上げた。
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