7-6

 その禍々しさに俺は雑木林で襲ってきた集合霊かもしれないと急襲に備えて半身に身構える。さらに意識を集中させて霊気の発信源を探ると、どうやらそれは花園を縫って樹間へと消える煉瓦敷きの小径の先にあるようだった。

 目を凝らしたが姿は見えない。

 けれど剣呑な気配がパルスを打つようにその暗がりから波となって次々に押し寄せてくる。

 強い敵愾心だ。俺の霊力を察知しているらしく最大級の警戒を向けている。

 不用意に近づけば、研ぎ澄ました霊気を鋭利なサーベルのように実体化させて突き通してくるかもしれない。そんな危険まで想像してしまうほどにそれは不穏な波動である。

 けれど俺はわずかに首を傾げた。

 あの強大な集合霊にしては放たれる怨量が小さ過ぎる。

 それにここまであからさまな敵愾に当てられてなお、ミシャが出てこようとしないのもおかしい。

 

 そもそもこいつは悪霊なのか。


 疑心が浮かんだ。

 打ち寄せる霊気の波。

 悪霊ならばそこに必ず含まれるはずの怒りや恨みの情念がほとんど感じられないことに俺は気づき始めていた。


 ふと視界の隅に柏木を映した俺は少しばかり戸惑う。

 彼女は霊気が発せられている木立に喫驚のまなざしを向け、声もなく一心に何かを見つめているようだった。


 もしかして気がついているのか。

 もしそうだとすればこいつは……。


 俺は再び霊体に意識を集中させて、警戒を解くことなく右足を一歩前に踏み出してみる。するとその接近を制するように樹間の影にぼうっと真っ白な人影が屹立した。


「お母さん……」


 刹那、柏木がぼんやりとした声で呟いた。

 次第に影が形と色を持ち始める。

 それはスリムラインの真っ白なドレスに身を包み、美しく流れるような黒髪を風にたなびかせる女性。

 ほっそりとした輪郭。

 たおやかな表情。

 そして向けられた瞳だけが俺を威圧し射抜くように厳しい色を湛えている。


 なるほど、そういうことか。


 俺はフッと息を吐き、肩の力を抜いた。

 そして柄にもなく微笑みを浮かべて思念を送る。


『安心してください。俺は彼女や睦月くんに危害を与える者ではありません』


 けれど女性、おそらくは柏木の母親に警戒を緩める様子はない。

 険しい目つきで俺を睨み、ともすれば襲い掛かろうとする気配さえ残っている。


『本当です。俺は柏木、いえ、さつきさんに頼まれてここに来ました』


 その科白にゆらりと霊気が蠢くのを感じた。

 俺は機を逃すまいと言葉を重ねる。


『睦月くんの件です。彼を襲っている霊障について俺は調べています』


 剣呑な波動が次第にさざなみのように弱まっていく。

 そして俺は思い切って問いかけてみる。


『あなた、知ってるんじゃありませんか、睦月くんを襲った悪霊の正体を。そしてさっき俺が遭遇したあの集合霊はもしかして……』


「先輩……」


 不意に左手に違和感を感じ、意識が削がれた。

 目を遣るといつのまにか俺に身を寄せた柏木がその左手を握り震えている。


「誰かそこにいるんですか。もしかして私の……」


 その瞬間、俺は張り詰めていた母親の霊気に撓みを感じハッとして目を戻した。

 けれどそのときにはもう霊体はすでにぼんやりとした白影と化し、時せずそれは霧が晴れるように消えてしまった。



 花園を分け入り煉瓦道を進むと程なく手前に三段、幅広の薄い石段がある真っ白な石墓が目に入った。

 その周囲にはやはり目眩くように咲き乱れる可憐な花の絨毯が敷き詰められていて、俺は据えられた小さな飛び石をいくつか踏んで墓前に立った。

  

 横長辺の竿石中央には墨の十字架が大きく掘り込まれ、その左の壁石に名前と没年が刻まれている。


 柏木 由里子  20** 年  7月 30日 没


 そこには確かに五年前の日付が書き記されていた。


 ひとしきり手を合わせてから頭を上げ、俺は呟く。


「そうか、母親の墓がこんなところに」

 

 俺がここに来る前、睦月が供えたものだろうか。

 両側の花立てに一輪ずつ白百合が挿されていた。


「この教会の共同墓地はここから少し離れたところにあるんです。だから私たちが毎日でもお墓参りできるようにって、父が」


 俺は肯き、そして躊躇いがちに訊く。


「ちなみに、お骨はどこに保管しているんだ」


 すると柏木は不思議そうに首を傾け、それからおもむろに墓石の方を指差す。


「母はここにいます。火葬ではなくエンバーミングされて」


 その返答に絶句を余儀なくされた俺に彼女は詰め寄る。


「それより石破さん、さっき私が感じた気配、あれは母だったんじゃないですか」


 柏木の目にその姿ははっきりとは捉えられなかったらしい。

 けれど体をそっと包み込んでくるような気配に目を向けると一瞬、陽炎のような揺らぎが見え、彼女はなぜか母がそこにいるのだと直感したのだという。


 少し迷ったが、俺は結局そっと肯いた。

 すると彼女は唇を引き絞り、俺に背を向けて陽の翳りかけた空を見上げた。

 その姿を見つめ、俺はやはり今回の件に関わるべきではなかったのではないかと昏い後悔を胸に落とした。

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