7-5
その後、キッチンやトイレの床面、あるいは階段の上がり框まで念入りに調べてみたが床下に入り込めるような隙間は見つけられなかった。
そこで次に俺たちは外周を調査するべく教会の外に出ると、すでに太陽がずいぶんと西に傾いていた。夕刻とまではいかないが空は少しばかり色彩を落とし、夜を迎える準備をし始めていた。
風も少し出てきたようで周囲の木立が時折サワサワと音を立てる。
雑賀さんは睦月が気になるし、外観についてはあまり役に立ちそうにないからと邸宅の方に戻って行った。
そうして俺はまた柏木と二人きりになった。
ともに教会の周囲をひと通り巡ってみたが、目ぼしい収穫はなかった。
分かったのは煉瓦造りの洋館には日本家屋のように床下に空間を作るという概念がないこと。
鳥瞰すれば教会は少々バランスを欠いた L 字型をしているということ。
サロンの窓から覗き見えた信者用の駐車場はおよそ数十台も停められそうなかなり広いものであったこと。
そしてその駐車場から続くアスファルト道の先に遠目にも寂れた正門よりかずっと実用的で幅の広い通用門があったということ。
それぐらいのもので、教会にはあの妖しい医学書に取り憑いた情念の残滓以外、他にはなにもなかった。
けれどそうすると雑賀さんが聴いたという不可思議な音はなんだったのか。
霊の仕業であるとすれば、それはどこから発せられた音だったのか。
俺は少しだけ悔いていた。
やはりサロンの二階も調査しておくべきだったかもしれない。
たとえ床下からの音だと雑賀さんが感じたとしても、高い吹き抜けになっている教会部分では音が反響してそう錯覚してしまった可能性もあるだろう。
ならばもう一度、中に戻って調べるべきではないのか。
そう思案し始めたが俺はそこで柏木に見つからないようにゆるゆる首を振る。
いや、やはり今日はやめておくことにしよう。
明日できることは今日やらない。
誰が言ったか知らないが、なかなか便利で魅力的な格言だ。
とはいえもちろん面倒は今日中に済ませておくに越したことはないのだが、俺には帰ってからもまだやるべき仕事が残っている。
いついかなる時も優先順位というのものを考えて行動しなければならない。
俺は普段は意識することさえ稀なその戒律を胸に刻み、そして柏木に尋ねた。
「で、睦月が最初に霊体と遭遇したというのはどこだ」
柏木はいつのまにか散水ホースを伸ばしてきて教会の花壇に水遣りを始めていた。
「あ、そういえばそれを調べるために教会に来たんでしたね。すっかり忘れてました」
こいつ、しっかりしているようで実はなかなかの天然系素材だったか。
苦笑いでホースを片付け始めた彼女の背中に俺は軽いため息を漏らした。
案内されたのは建物の裏手。
教会内部から見るとサロンのキッチン側の奥から数十メートル木立を分け入った場所。その明るみに足を踏み入れた俺は視界に広がった光景に思わずハッと息を呑んだ。
それは
そこに教会の玄関周りを覆っていたような白や薄紅、薄紫の可憐な花を咲かせるアンダーカヴァーグラスが一面に敷かれ、頭上から差し込んでくる木漏れ日がそれらに繊細な陰影を付けて照らし揺らしている。
その幻想的とも云える景観にまるで美しい姫が戯れる花畑のようだとそぐわない感想を抱いた自分に俺は小さく舌打ちをした。
「ここは前庭でもないのにずいぶんと手入れが行き届いている」
代わりにそんな詰まらない所感を述べて振り返ると柏木がコクと肯いた。
「たしか庭仕事は柏木、お前の仕事だったな」
彼女は少し間をおいて、けれど首を横に振った。
「いえ、ここは概ね小雪さんと信者の方達が……それと睦月も」
「弟くんも?」
言外に何故と問うたつもりだったがしばらく待っても返答はない。
彼女は目線を落とし、足下に咲く花々をただ眺めているばかりだ。
まあ、いい。
次いで俺は霊的センサーの感度を上げてみたが、やはり無駄骨だった。
もちろん相手が悪霊であれば、わざわざそんなことをせずとも気配は察知できる。
ではどうして。
自問。
単純に彼女の沈黙を持て余したからだろう。
やはりらしくないとやるせなくなる。
憂さ晴らしのように片目を瞑ってミシャを探すと、彼女はタルトタタンの件で拗ねているのか憮然と唇を尖らせて首を横に振り、そのまま無言で消えてしまった。
俺は無為を持て余し、曖昧に浮かんでいた不審を意識で模る。
鞭を振り、複数の霊を奴隷のように引き連れて歩く黒き巨人。
本当にこんな静謐な場所に
その疑念に俺は肩をすくめ、あらためて辺りを見回す。
そしてふと考えてしまう。
もしかするとやはり睦月は嘘をついているのかもしれない。
俺の除霊譚に耳を傾け、素直に賞賛してくれた彼を疑いたくはなかったが、可能性のひとつとして省くわけにはいかなかった。
だとしたら、なんのために嘘を……。
そしてそう考えると今度は時期を同じくして始まったという雑賀さんの霊聴にも疑問が生じる矛盾に行き着く。
全てが混沌としている。
頭を掻きむしりたくなった。
するとそのときだった。
甲高い金属音のように鋭利な霊気が俺の眉間を唐突に突き刺した。
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