7. In the Church 32 - 37
7-1
「ごめんねー。着替えてたら遅くなっちゃった」
振り返ると雑賀さんが括った金髪を揺らして駆け寄ってくるところだった。
『どうして雑賀さんがここに』という疑問と『なるほど、さっきの通話相手は彼女だったのか』という得心が同時に
その上で軽く会釈をして視線を戻そうとしたが、刹那遅れて瞳が捉えた雑賀さんの姿に意表を突かれ思わず二度見をして、俺はそのまま身じろぎもせず瞠目する。
「わざわざ着替えなくても良かったのに、小雪さん」
「そういうわけにもねえ。神聖なる教会にメイド服で立ち入るわけにはいかないでしょ、立場的に」
苦笑いを浮かべた雑賀さんは詰め襟カラーが目立つ黒の礼服に身を包んでいた。
そしてその首からはネックレスがぶら下がり、胸もとにはゴールドの十字架が揺れている。
「あの、もしかして……」
ようやく絞り出した俺の声に雑賀さんはニンマリとした笑顔を浮かべた。
「ええ、この教会で牧師を務めている雑賀小雪と申します。どうぞお見知りおきを」
芝居じみたセリフに続けて悪戯っぽく舌を出した彼女はクスクス笑いながら俺の肩を二つ三つ叩いた。
傍では柏木も口もとに手を充てて笑声を押し殺している。
どうやら物笑いの種にされてしまったらしいと気づき、ムッツリと眉を寄せると雑賀さんが「ごめん、ごめん」と片手で俺を拝んだ。
雑賀さんが牧師兼ホームヘルパーとしてやってきたのは一年ほど前、昨年の春頃のことだったらしい。
「大学で神学を専攻して牧師の免許は取ったんだけど、じゃあすんなり教会で牧師やりますってことにはやっぱりならないのね。私の場合は実家が教会とか親が神職というわけでもなかったから」
雑賀さんに教えてもらいながら聖水で手を清め、祭壇に向けて形ばかりの祈りを捧げた後、勧められて教会中程にある長椅子に腰を掛けた。
雑賀さんは通路を挟んで俺の向かいに座り、柏木はひとつ後ろの長椅子の端に陣取る。
「大学卒業後は普通にOLしてたのよ。でもやっぱり夢を諦めたくなくて。だからしょっちゅう牧師募集をネット検索してたなあ。まあ、結婚式とか短期アルバイト的なのは結構あるんだけど、私がやりたいのはそういうのじゃなくて、もっとこう本格的に人助けというか『
そう明かした雑賀さんはそのときの感情を思い出したのかパッと表情をほころばせ、同時に首からぶら下げた十字架を摘み上げて額に充てた。
「それまでは隣町の牧師さんが礼拝に来てくれていたんですけど、高齢で体調を崩されてしまって。困っていたところに小雪さんが来てくれたんです」
そう柏木が添え、再び雑賀さんが語りを継ぐ。
「本当に神の啓示としか思えなかったわ。牧師とホームヘルパーを同時に募集してるなんてまさに私のために誂えられた天職だと感じたの」
けれど俺にはその真意がつかめず、わずかに首を傾けると雑賀さんは得たりとばかりに人差し指を立てて見せた。
「下世話な話になるけどイエス様にはちょっと耳を閉じていてもらいましょうか」
そしてその指先で小さく十字を切る。
「石破くん、牧師の収入ってどこから入ると思う?」
俺は答えを求めて祭壇に視線を流し、顎を軽く撫でた。
「それは、たぶん……お布施とか」
「ピンポン! 正解。『謝儀』というんだけど、つまり信徒が捧げた献金から捻出されるわけね。じゃあ次の質問。一般的に牧師の年収ってどれくらいでしょうか?」
俺は再び首を傾げるしかない。
すると間を置かず雑賀さんが答えを明かす。
「えっとね、正確じゃないかもだけど、だいたい350万円ぐらいみたい。まあ、それぐらいあれば生活できないこともないかな。でもそれはあくまでも信徒がそこそこ着いてくれている教会の場合ね。ここは礼拝を捧げてくれる信徒はその半分もいないから、つまり牧師職だけでは食べていけないわけ」
ようやく話が飲み込めた。
要するにホームヘルパーの職なくしては雑賀さんの生活が成り立たないということだろう。さらに単純に考えれば、住み込みということで住居費まで浮く計算になる。
俺がひとつ大きく肯くと彼女は次いで「それにさ」とニヤリと唇端を持ち上げた。
「毎日メイド服が着られるなんてもうホント最高!」
感極まった雑賀さんはそこで再び胸のクロスをつかみ、白く明るい天井に恍惚とした顔を向けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます