6-3
「あ、いや、なんでもない」
気恥ずかしさを隠すようにその石階段を駆け上がると、柏木は俺を待ち侘びたかのような表情で幅広の両開き扉の片方を大きく開け放った。
そして誘われるまま屋内へと足を踏み入れた俺はそこで不覚にも唖然として立ち尽くしてしまう。
実は期待していたのだ。
おそらくは幾重にも続くアーチ状の天井や両側に気高く屹立する壁。
至るところに嵌められた様々な色合いの美しいステンドグラス。
あるいは立ち並ぶ太い円柱に精密かつ大胆に刻まれた宗教彫刻。
イエスキリストの磔刑を模した目を瞠るほど大きな十字架。
天井まで無数の金色管を伸ばすパイプオルガンなどなど。
およそ俺が想像したそんな荘厳極まる教会のイメージは、ほんの一瞥で無惨に払拭されてしまった。
実際に俺が目にしていたのは整然と列を成す濃い飴色の長椅子。
その中央を真っ直ぐに貫き敷かれた深い燕脂色の絨毯。
そして正面奥にある白布で覆われた祭壇とそこに置かれた黒い十字架。
ただそれだけであった。
俺は落胆を押し殺し、できるだけ抑揚のない声で短い感想を口にする。
「ずいぶんシンプルだな」
すると背後で柏木がうなずく気配があった。
「ええ、プロテスタントですからね」
そして俺の傍をすり抜けた彼女はそのまま数歩足を進めて振り返り笑みを浮かべる。
「先輩はたぶんカトリック教会の内装を想像していたんでしょう」
どうやら見透かされていたようだ。
仕方なく俺はその失態を認めて肯く。
「無理もありません。たいていの人は教会といえばヨーロッパにある大聖堂のような内装を思い浮かべますから」
いつだったか授業で聞いたルターによる宗教改革をようやく思い出した俺は自分の迂闊さを軽く呪った。
そういえばプロテスタントでは聖画像などの偶像崇拝を禁じているのだったか。
ならばキリスト磔刑像や宗教画を描いたステンドグラスがないのも当然だろう。
「プロテスタントは信仰心と聖書によって救われる教えです。だから教会自体にはあまり重きを置いてないんですよ」
そのちょっと言い訳じみて聞こえる柏木の口調に俺はどうにもいたたまれなくなり、柄にもなく慰めのような言葉が口から出てしまった。
「いや、ここもなかなか悪くないと思うぞ。たとえば天窓からの豊富な日差しが漆喰壁に反射してすこぶる明るい。これなら落ち込んだ気分も晴れそうだ」
「まあ、夏は猛烈に暑いですけどね」
そうだろうな。
「この長椅子の色具合もいいな。どっしりと味がある」
「古いだけです」
まあ、そうかも。
「もしかしてあの十字架は名匠が作ったものじゃないか。遠目にも品格を感じる」
「そうですか? この前ネットで買ったんですけどね」
…………。
横目に睨むと柏木はペロリと舌を出した。
「でも、ありがとうございます、石破先輩。母も喜んでいると思いますよ」
「は? どうしてお前の母親が出てきた」
そう尋ねると彼女は不意に微笑みを天井に向けた。
「ここは十年前、母の意見を主に取り入れて改築したんです。それまでは暗めのゴシック様式の屋内だったんですが。ゴシック建築、知ってますか」
訊かれて俺は中学の修学旅行で訪れた長崎の大浦天主堂の記憶を引っ張り出した。
「そういえば、たしかに薄暗かった」
柏木が肯首する。
「でしょう。でも足元は暗くても天井に向かうほど明るくなっていたと思いますが」
「そうだったかな」
俺は小首を傾げた。
もう二年も前のことだ。あまりはっきりとは憶えていない。
思い出そうと腕組みをすると彼女はクスリと笑う。
「そのはずです。ゴシック建築というのは要するに人の目を上向けるためのもの。天に在する神イエスキリストへと目線を誘うことこそ目的なのです。暗い場所にいれば明るい方に目を向けるのは本能的なものでしょう」
へえ、なるほどな。知らなかった。勉強になったよ。
相槌を打ちたい衝動が俺の場合、素直に出てこない。
「まあ慣例に倣えばそのままでも良かったんでしょうけど、母は石破さんと同じようなことを言ってたみたいですよ」
その言葉に訝しげな目線を向けると柏木は少し寂しそうな顔をした。
「薄暗いのは良くない。それでは信者の心まで暗くなってしまうからって」
俺はどう答えていいのか分からず
けれど内心では深く肯いていた。
慣例を廃し、望ましい形に改める。
言葉にするのは簡単だが、実際に成すことは案外難しい。
かなり聡明な人だったようだと心の奥で真剣に認めるとその心意を勘取ったように柏木が明るい声を出した。
「でも、見てください。色調の暗い床や長椅子、中央通路に敷かれた燕脂色の絨毯。壁も立ち上がるほどに明るく白くなるグラデーションが施されています。室内全体は明るくても目線はより明るい上に向かうように。これも母のアイデアだったそうですよ。信者さんにも好評で、特に子供たちは喜んでいます。昔は暗い室内を怖がって入り口で泣き始める子供も多かったようですから。というか、私がそうだったんですけどね」
言い終えて少し照れる柏木から俺は素早く目を逸らした。
いや、ちょっとよろしくない。
彼女はあくまでも取引相手だ。
余計な感情は後々弱みとなる可能性がある。
俺はこめかみに指を当て、いましがた柏木が見せたコケティッシュな残像を消去することに努めた。
「どうかしましたか、先輩」
「いや、別に」
下を向いて咳払いをひとつ。
そのとき背後に開け放したままの入り口から小気味よいリズムの足音が聞こえてきた。
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