5-7

「もしかすると、祟り神か……」


「え、タタリガミ……ってなんか聞いたことがある。なんだっけ」


 綾香の言葉に俺は振り返り、窓を背にして答えた。


「それはたぶんかの有名なアニメ映画で見知ったんだろうな」


 柏木が相槌を打つ。


「あれでしょう。狂った猪の神様が襲ってきたりするあの名作ですよね」

「あ、そうか。あれかあ」


 綾香はそう言って顎に指をひとつ当て、宙空に目線を漂わせる。


「でもそんな恐ろしい神様をどうして祀ったりするわけ。逆に祓っておかなきゃ」


 俺は即座に首を横に振った。


「無理だ。邪悪過ぎて祓えない」


 その言葉に二人は訝しげな表情で首を傾げる。


 この国には古来より祟り神信仰が根強く残っており、その歴史を紐解けばおそらくは平安時代にまで遡る。

 中でも有名な祟り神といえば菅原道真、平将門、崇徳天皇が挙げられるだろう。

 彼らが三大怨霊と呼ばれる所以。

 それは三人が共に不遇な最期を遂げ、その後に常識では説明のつかないような災いが立て続けに起こったことから人々がそれを祟りとして恐れたことに起因している。


 もちろん当時の人たちもまずはその怨霊を祓おうとしたに違いないが、ことごとくが不備に終わり、災いもまた止まることがなかった。

 そこで窮した人々は祓うのではなく、崇め奉ることで怨霊の怒りを鎮めたのだ。

 畏れ敬い、絢爛な形と成したそれらは菅原道真を祀る各地の天満宮、平将門を供養した神田明神、崇徳天皇を奉じた白峯神宮となって現在も手厚く奉じられている。

 つまり祟り神は物騒が過ぎた故に祓うことが敵わず、拝められることで辛うじて鎮魂しているいわば蓋をした火山のようなものだ。

 そしてもしその蓋が取り除かれたとすれば……。


 そこまで推測を明かした俺に柏木が恐るおそる問う。


「あの石祠が崩れてしまったことで蓋が無くなり、封じていた祟り神が出てきた。そういうことですか」


 俺は肯きかけ、けれど思い返して首を振る。


「仮説のひとつに過ぎない。それにそうだとすればまた矛盾点がいくつも浮かび上がってしまうしな」

「矛盾点ってなによ」


 そう訊いた綾香に俺は肩をすくめた。


「まあ、いろいろだ。だが今は上手く説明できない」


 それ以上は答えようがなかった。

 説明しようとすればミシャの存在を匂わせることになってしまう。

 綾香はともかく柏木に知られるわけにはいかない。


「なによ、偉そうにもったいぶっちゃって。分からないなら正直に頭を下げなさい」


 横柄な雑言に思わず綾香を睨みつけた。


「なんで俺がここでお前に頭を下げんとならんのだ」

「ふん、私に詫びを入れる事案には事欠かないはずよ。あ、思い出した。そういえばマーシャ、この前はよくも約束破ってくれたわね」

「約束、なんだそれは。最近、お前とそんな厄介なものを交わした覚えはないぞ」

「忘れたとは云わせないわよ。五月四日みどりの日、買い物に出掛けるから予定を空けておくように言っておいたはずなのに、迎えに行ったらどこかに出掛けたっていうじゃないの。おかげで帰り道、紙袋が重くてものすごく指が痛かったんだからね。どうしてくれるのよ。あー、思い出したらまた指が痺れてきたわ」


 早口でそう捲し立てた綾香がわざとらしく両手をプラプラと振った。


 なんだよ、やっぱり荷物持ち要員だったんじゃないか。


 バカバカしくて返すその文句も引っ込んだ。

 とはいえ黙っていると言い分を認めてしまうことになりかねない。


「あのな、前日にLINEで一方的に命令してきたアレを約束というならお前、やっぱり日本語を勉強しなおせ。それに俺は完拒否のスタンプを送ったはずだ」


 すると綾香はこちらに右足を一歩踏み出して反論する。


「アレのどこが拒否なのよ。寝そべった猫がプラカード掲げてOKしてたわ」

「こら、節穴。そのプラカードには盛大にバツ印が記されていただろうが」

「いいえ、OKでしたッ。なんなら『仰せのままに』だったわ」

「おい、んなわけないだろう」


「もう二人とも、いい加減にしてくださいッ!」

 

 柏木に叱責され、俺たちは互いに睨み合ったまま渋々と矛を納めた。

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