5-5

 石畳の小径から外れ、鬱蒼とした木立の奥に分け入ると不意に眩い日差しに晒されて俺は思わず手庇を掲げた。

 現れたのは直径およそ十メートルばかりの落ち葉が敷き詰められたサークル。

 目を眇めて見上げると丸く切り取られた青空の端に初夏の太陽がキラついている。

 次いで目線を下げ、おそらくは人為的に樹木が間引かれたその空間を見渡した。

 あれが地縛霊だとすればこの付近に憑代となる物があるかもしれない。

 あるいは物陰にジッと息を潜めて俺たちの動向を窺っている可能性もある。

 俺は警戒を怠ることなくその不可思議なサークルの中心へと数歩足を進めてみる。

 けれど邪悪な気配は微塵も感じられない。

 それどころかむしろ静謐とした清らかな空気が辺りを取り包んでいるようにさえ思えて俺は訝しさに眉を寄せた。

 むしろここにはよこしまな怪異を弾く斥力が働いているようだ。

 こんな場所にあの凄まじい霊気を放つ怨霊が居たのか。

 軽く目蓋を閉じて問うと網膜の裏でミシャも首を傾げた。


「確かに妙だな。ここは一種の聖域だ。幽体が立ち入れば一気に霊力を削がれてしまう。だが微かながら残り香がある。やはり彼奴あやつはここに居ったようだ。だが何故にわざわざこのような所に潜んでおったのか。ふむ、それに……」


 ミシャの紅瞳に妖しい光が揺らいだ。


「おかしな霊気の残穢も混じっておる」

「残穢?」

「ああ、しかし邪悪な者ではないな。これは……おびえか」


 鼻を嗅ぐ素振りのミシャをしばし黙って見つめていると、そのうち不意に彼女は肩をすくめた。


「ふん、希薄すぎてよう分からん。それにさっきの菓子の風味が邪魔をしておる」

「は?」

「タルトタタンじゃったか。初めて喰うたがあれは美味であったのう。真咲、土産に包めと後であのメイドに申しつけておけ」


 俺はガックリと肩を落として呟く。


「嫌だ、恥ずかしい」

「ええではないか。なんならワシの呪言を使うても良いぞ。そうすればあのメイドはタルトタタンを作り続ける傀儡となっ……」


 俺は目蓋を開いてミシャとの通信を強制終了した。


 まったく、邪神オロチガミのくせに甘党とは笑止千万。

 前任のはこであった祖母の苦笑いが目にみえるようだ。


 俺はひとつため息を落とし、それから振り返って木立の奥に手招きを向ける。

 すると背中を丸め、首をすくめた柏木が一眼レフを胸元に抱えて白樺の樹幹からおずおずと姿を現した。


「だ、大丈夫ですか」

「問題ない」


 肯いてやったが紺色のスキニーデニムを履いた柏木の脚はその場にとどまっている。


「ほ、本当に」

「悪霊はいない。安心しろ」


 再び肯いたが、淡いベージュのサマーセーターに引っ掛けた白のロングブラウスを樹幹に押し付けたまま動かない柏木。


「あの、嘘ついてないですよね」


 くどい。

 ちょっとムカついた。


「ああ、だが待てよ。お前の背後になにか悍ましい気配を感じるぞ」

「ひいいーッ!」

 

 樹幹の陰から飛び出した柏木が倒けつ転びつ俺の背中に回り込んでしがみつく。


「おい、離れろ」

「い、嫌です。早く退治してください」

「冗談だ。なにも居ない」

「…………ジョーダン?」


 脇腹から覗き出した顔に肯首してやると柏木は微笑みながらゆっくりと身を離し、次いでひと呼吸おいて俺の背中に強烈な張り手を喰らわせた。

 

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