5-3

「ところで柏木、お前は屋敷がいつ頃からあるのか知らないと言ってたな」


 すると彼女は顎に指を当てて少しばかり考える間を持つと、それから首をひねりながら訥々と答えた。


「そうですね。戦後、事業に成功した私の曽祖父が買い取ったと聞いています。でもそれ以前のことは調べてみないと……」

「そうか、では教えてやろう」


 俺は広げた資料のうちの一枚を指し示す。


「これは大正五年の古地図だ。凸型に囲われたこの場所。ここが初期の柏木邸だと思う。それとこっちは明治三十八年に作られた同じ場所の地図だが囲い線はなく、代わりに小さな家屋がいくつか散らばっているばかりだ。だからあの洋館は明治後期から大正初期の間に建てられたものだと推測できる」


 その解答に柏木は曖昧にうなずいた。


「我が家ながら歴史を感じさせるとは思ってましたけどそんなに古くからあったんですね」

「ああ、保存状態も良さそうだし、有形文化財に指定されてもおかしくないレベルの代物だな」

「そういえば、そんな話を聞いたことがあります。なんでも県知事からの打診をまだ住居として使っているからと父が断ったとか」

「おー、さすが柏木家。まさしくセレブリティ物件」


 柏木の言葉に綾香が感嘆の声を上げた。


「そんないいものじゃないですよ。ただ古いだけで使い勝手は良くないし、掃除は大変だし、しょっちゅう修繕しなければいけないし、それになんか薄気味悪いし。でも石破先輩、それを調べているということは洋館がなにか睦月の件に関係しているんでしょうか」


 俺は喉の奥で微かに唸り、「分からん」と短く言い捨てた。


「あんたね、分からんてことはないでしょうが」


 眉根を寄せた綾香に俺は欧米人のように両の手のひらを上向けた。


「まだ分からんと言う意味だ。それにどんなことでも調べておくのが俺の流儀だ」

「ふふん、そんな悠長なこと言ってて大丈夫なのぉ。期限は金曜日、今日を含めてあと四日しかないんだけどさぁ」


 口もとに拳を当てて悪役令嬢のように含み笑いをする綾香に俺は表情を変えず、なけなしの虚勢を張ってみせる。


「ふん、それだけあれば充分だ。なんなら釣りをくれてやる」

「ほほう、ずいぶん強気ね、マーシャ。でも残念、焦りが顔に出てるわよ」

「なにッ……」


 思わず顔を擦った俺に綾香は冷ややかな嘲笑を浮かべ、再び地図に顔を寄せる。


「でも、こんなものよく見つけたわね」

「ああ、昼休みに図書館の地域歴史コーナーで見つけてコピーしてきた。ここまで古い地図はデカい公立図書館あたりにしか蔵書していないと思って期待はしていなかったんだが」


 自分の功を労うように首を回し鳴らすと綾香が振り向いて訊いた。


「九条?」


 たしかに囲いの中には楷書体で九条と記されている。


「苗字からしてたぶん公家出身だろうな。ネットで調べてみると当時のセレブたちの間ではイギリスやドイツの建築家にああいった洋館を建てさせるのが一種のステイタスだったみたいだ」

「ふうん。そういわれるとなんかタワマンの上層階で白いバスローブでワイン片手にしているおっさんのイメージが湧いてきた」


 綾香のボソボソとした呟きに柏木が表情を曇らせる。


「城崎先輩、ひどいです」


「あ、ごめん、違うって。サッキィじゃなくてさ、この九条という貴族が、よ」


 泣き真似をする柏木の頭を困り顔で撫でる綾香。

 そのくだらない寸劇にうんざりした俺は頃合いを見てふたたび指を紙面に向けた。


「なあ柏木。これを見て、他になにか気がつくことはないか」


 すると彼女はしばらく黙って古地図を睨んでいたが、やがて不審げな顔になる。


「あの、なんかこれってちょっと狭くないですか」


 俺は正答を得た教師のように腕組みをしてうなずいてみせた。


「その通り。地図が不鮮明で分かり辛いが、いまの柏木邸よりもずっと敷地面積が狭い。ざっと見ておよそ半分程度だろう」


 そう明かすと柏木は得意気に相槌を打ち、なだらかに曲がりながら地図を横断する一本のラインを指でなぞった。


「そうですよね。敷地からさほど離れていないはずのこの若瀬川がずいぶん遠いところを流れていますからね」

「さすがはサッキィ。イェィ!」


 綾香が片手を掲げ、柏木がそれを叩く。

 そのハイタッチにしばし冷笑を向けた俺は別の地図を指し示した。


「そしてこっちは昭和初期の地図だが、このときはもう今と変わらない敷地面積になっている。要するに九条家は洋館を建てた後、十年ほどでまた敷地を倍に拡張したようだ」

「まあ、バブリー」

「もう、先輩」

「だから九条っちがだよ」


 なんだ九条っちって。友達かよ。

 上流貴族を小馬鹿にした発言に閉口したが、俺はあえてスルーし代わりに柏木に向けて片手を差し出した。


「なんですか。お金なら上げませんよ。それとも石破さんもハイタッチしたかったですか」


 蔑むような目つきを寄越してそう宣った彼女に俺は呆れてゆるゆると首を振る。


「違う。頼んでいたもの、持ってきたかという意味だ」

「え、頼んでたもの? ああ、はいはい。もう、ちゃんと言ってくださいよ。誤解するじゃないですか」


 柏木はちょっと照れ臭そうに文句を言いつつ実習台に置いていた通学鞄からクリアファイルを取り出した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る