4-13

「……それでどうなったの」


 そう聞いた睦月がごくりと音を立てて唾を呑み込んだ。

 見ると雑賀さんもキッチンから興味津々な眼差しを俺に向けている。

 後悔が押し寄せた。

 そんなつもりは毛頭無かったが軽々しくひけらかすような感じになってしまった。

 けれど中途半端に口をつぐむわけにもいかず、仕方がないので俺は簡潔に話を結ぶ。


「別にどうということもない。話を聞くと借金を苦に首を括ったその店主は、けれど常連さんたちが帰り際にいつも残していく美味かったという言葉がもう一度聞きたくてそれが未練になったらしい。だから俺はカウンターの方にまわって彼にラーメンを注文した。そして出された醤油ラーメンを食って、美味かったと礼を言った。そうしたら彼は嬉しそうな表情を浮かべて消えていったさ。それだけだ」


 話し終えても誰一人としてみじろぎもしない。

 俺は舌打ちをしたくなった。

 だから嫌なんだ。

 こういう話を普通の人間に明かすとただの怪談話に聞こえてしまうのだろう。

 あらためて後悔してテーブルの木目を視線でなぞっていると不意にシンプルな黒のコースターが目前に敷かれ、次いでそこに褐色の液体を満たした細長いグラスが置かれた。どうやらアイスティーのようだ。傍にストローも添えられている。

 顔を上げると雑賀さんが微笑みを向けていた。

 

「ラーメン、本当に美味しかったの?」


 問われて俺は素直に答えた。


「ああ、はい。マジで美味かったです」


 すると今度は柏木が恐るおそるといった風に尋ねてきた。


「幽霊が作ったラーメンって本当に食べられるんですか」


 俺は彼女を横目に肯く。


「ま、もちろん実体はないがな。でも俺にはメンマとチャーシューと白髪葱が盛り付けられたシンプルなラーメンがありありと見えたし、食うと縮れた麺とそれに絡むコクの深い醤油ベースのスープが本当に美味く感じられた。別に誇張でもなんでもなく、あれはこれまでに俺が食ったラーメンの中でも三本の指に入る旨さだった」


 少々苛立たしげな口調になってしまったせいかまた沈黙が訪れた。

 やがて雑賀さんが突拍子もなく朗らかな声を上げた。


「それってすごいね!」


 俺はあわてて首を振る。


「別に大したことはしてないですよ。俺は店主の話を聞いて、ラーメンをご馳走になっただけです。除霊しようと思ったわけじゃないし」


 仏頂面でそう弁明すると彼女は持っていた銀色の丸盆を胸に抱きしめ、紅潮した真顔を向けてきた。


「だからすごいんじゃない。当たり前だけど幽霊って怖いじゃない。だから視えたところで普通の人にそれは無理。ましてや注文してくれる人間なんていなかった。彼はずっと打ち拉がれていたはずよ。そして自分をそんな風にしてしまった現世にそこはかとない怨みもあった。その残心を誰かに聞いてもらいたかったはず。そこに石破くんが現れて怖がりもせずフラットな素振りで話を聞いてくれた。しかもラーメンを食べて美味しいと言ってくれた。その時の店主さんにはきっと石破くんが神に遣わされた天使に見えたんじゃないかしら」


 その思いがけない手放しの称賛に俺はポカンと口を開けた。

 すると矢先、誰かが手を打ち鳴らした。

 見ると睦月が小さな拍手をしていた。

 そして柏木もそれに続き、やがてそれは三人のわりと大きな拍手になった。


「いや、ちょっと。別に俺は……」


 なんだか体のあちこちがむず痒くなり、俺は顔を赤らめてうつむいた。

 すると拍手が止まり、遠慮がちな声が正面から向けられてくる。


「ねえ、石破さん。そういうのって僕にもできる可能性あるかな」

「え?」


 思いがけない問いかけに顔を上げるとはにかんだ睦月が俺を見ていた。

 けれど質問の意図が飲み込めず、口を噤んでいると睦月がふたたび訊く。


「その、つまり、僕にも幽霊と話したりできるようになる可能性ってあるのかな」

「なに言ってんのよ、睦月。そんなことできるわけ……」


 俺は無意識のうちに柏木の反論を遮っていた。


「さあな、分からん。だが、そういう人もいるぞ。ほんの些細なきっかけで彼らが視えるようになったり言葉が聞こえるようになることもあるみたいだ」


 とりあえずそう答えておくことにした。


 実のところはもちろん俺にも分からない。

 パーセンテージを問われれば皆無と呟いただろう。

 けれど全くない話でもない。

 霊媒に関わっているとそういう話はちらほら聞くし、生き証人だってここにいる。

 俺だってある日突然、この能力を授かったのだ。

 望もうと望むまいとそういうことは起こり得る。

 そう、望もうと望むまいと。

 自分の意思とは無関係に。

 所詮、人はその運命に抗うことはできない。


 睦月はその答えに満足したのか、なぜか胸の前で小さくガッツポーズを作った。


「でも石破さん、とてもいいお話ではありましたが、それはそれとしてこれからどうするおつもりですか。さっきの悪霊や巨人の霊ともそんな風に対話できるものなのでしょうか」


 柏木の切実な口調に俺は当然の懸念だと肯く。


「それが問題だな。再び遭遇できたとしても、いきなり襲いかかってくるような剣呑な奴らだ。話を聞かせてくれるかどうか……」


 窮すればミシャを頼るしかないが、それをここで打ち明けるわけにはいかない。

 彼女は誰にも知られてはならない存在だ。

 ひょんなことから知られてしまったごく少数の例外はいるが、本来はタブーである。腕組みをして考え込んでいると、雑賀さんが俺の肩をポンと叩いた。


「ま、考え込んでいても解決しないってことはたしかよね」


 その通りだ。

 ここからは検証と反証の工程だ。


「そうですね。まずはいろいろ調べてみないと」


 そう言って俺はとりあえずアイスティーにストローを立てて啜った。


「とりあえずひとつ目の現場をみたい」


 すると睦月と柏木が同時に立ち上がる。


「僕も一緒に行くよ」


 睦月が宣言すると柏木は眉をひそめた。


「あんたは塾があるでしょ」

「まだ時間あるし」

「予習ぐらいして行きなさい」

「うるさいな、そんなのとっくにやってるよ」

「じゃあ、ノートを見せてみなさい」

「なんで姉さんに見せなきゃいけないんだよ」

「あんたがちゃんとやんないからでしょ」

「やったって言ってんだろ」

「やってない」

「なんで決めつけんだよ」


「まあまあ、二人とも落ち着いて」


 姉弟の鍔迫り合いに割って入った雑賀さんが次いでぐるりと全員を見回した。


「腹が減っては戦ができぬ。ねえ、みんなお腹空いてない?」


 問われてみればその通り。

 そういえば遅い朝食の後、俺は液体以外何も口にしていない。

 おもむろに肯くと彼女は豊かな笑みを浮かべた。


「じゃあ、焼き立てのタルトタタンで腹ごしらえよ。現場検証はその後ね」

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