4-12
もうひとつというのはもちろん新たな霊体のことだ。
それは立ちすくむ睦月の背後に現れ、凄まじい速さで睦月の頭上をかすめて巨人に突撃したのだという。
「たぶんだよ。だって後ろから来て巨人に突進したから僕には見えなかったんだ。でもさ、何かが巨人にぶつかったっていうのは分かった。それで次の瞬間、また視界が真っ白になって、それからすごい衝撃波みたいなのがあって、僕は弾き飛ばされて膝を擦りむいたんだ。おまけに肩も打ってさ。すごく痛かったよ」
残念そうな顔をした睦月を柏木がジロリと睨む。
「それも初耳だけど」
「なにが?」
「肩の怪我」
「だって話したら病院に連れていかれそうだったから」
「あんたねえ……」
呆れて二の句も告げないといった風に額をテーブルに落とす柏木を横目に俺には腑に落ちるものがあった。
その二体目の霊体はもしかすると俺が雑木林で遭遇した悪霊と同一のものかもしれない。殺気といい疾風の如き素早さといい印象がそっくりだ。またそう仮定すれば巨人とアレは敵対している存在ということになる。
だが霊が互いに攻撃し合うなどということが本当にあるのだろうか。
これまでに自分が体験してきた数多の心霊体験に照らし合わせてみても該当する事象はない。
けれど考えられるとすれば縄張り争いのようなものだろうか。
地縛霊ならばその地に執着するあまりそういうこともあるのかもしれない。
しかし本来、地縛霊が移動できるエリアはごく狭い範囲に限られているはずで同じ敷地内とはいえこのように多数のポイントで姿を現せるとは思えない。
俺は考え込むふりをして目蓋を閉じ、密かにミシャと思念を交わす。
『なあ、どう思う』
『まあ、よくある話よ。集合霊は力を蓄えるほどに妖怪化して浮遊できる範囲も広くなるゆえな』
網膜の裏で愛らしい少女がうすら笑いを浮かべる。
『理屈は分かる。けど、これほど広い敷地内を自由に動けるとはちょっと信じがたいな。それにそういうものが互いに敵対するなんてことが本当にあるのか』
『ふん、さして不思議でもないじゃろう。怪異どもはすべからく自分本位。利他などというくだらぬ概念は持ち合わせてはおらん。気に喰わぬ同族がそばに
白髪の前髪を整えつつ詰まらなさそうに持論を説いたミシャに俺は首を捻った。
すると彼女の笑みが不敵で薄気味悪い嘲笑に変わった。
『ありえぬと思うなら、それは貴様が場数を踏んでおらん未熟者だからよ。いつまでも頑なに修羅を拒みおってからに、佳代といいまったく愚かしい血筋よな』
そしてフンと忌々しげに鼻を鳴らしたミシャから俺は思念を断ち切る。
いつもながら彼女の説教には閉口するものの、数千年分の経験に照らし合わせればそういうことも決して珍しくはないということか。
少なくとも今はそう納得するしかなさそうだ。
俺は目蓋を開き、対面に座る睦月に再び目を向けた。
「あと他に気がついたことはなかったか」
「そうだね。臭いかな」
臭いか。
俺は素軽く顎を下げる。
「どんな?」
「えっとね、生臭いというか、なんか魚が腐ったみたいな」
「もう、そんなことあるわけないでしょ。幽霊から臭いがするなんて」
呆れ声を出した柏木に俺は「いや、そんなことはない」と教えてやる。
「霊体が臭気を放つことはわりとよくあるんだ。それに霊媒師の中には匂いだけで霊の気配からその性質まで察知する者もいる」
「え、そうなんですか」
目を丸くした柏木に俺はひとつ肯き、止せば良いのに不意に甦った体験談を語ってしまう。
「ああ、俺にも経験がある。いつだったか取り壊す予定の建物に霊が現れ、その解体作業員たちが怖がって手がつけられないでいると相談を受けたことがあってな。行ってみるとそこはシャッター通りでくだんの建物は中にカウンターと厨房がある小さな飲食店の廃墟だった。そして中を調べるためにその厨房の奥まで入ったところで不意に美味そうな匂いが漂ってな。振り返ったら天井からロープで首を吊った中年の男が大きな寸胴鍋からおたまで丁寧にアクをすくっていた。どうやらそこは以前のラーメン店で、男はその店主ということだった」
ひっ。
柏木が引き攣ったような短い悲鳴を発した。
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