4-11

「うん。ま、これはたしかに事件と言っていいかもね。だって怪我をしたわけだし」


 最初はたいして困っていないと面倒臭げだったくせに、どうやら興が乗ってきたらしい。睦月は身を屈めテーブルの下にある左膝を大袈裟に撫でて見せた。


 それは大型連休最終日のこと。

 睦月はまだ夜も明けきらない早朝に起き出した。

 そして出来るだけ物音を立てないように支度をして外に出るとマウンテンバイクを押して雑木林に入った。

 背中には肩掛けのケースに入れたフィッシングロッド。

 前カゴには釣り道具の入ったプラスチックケース。

 若瀬川の上流で友達と釣りをする約束をしていたという。


「あんたなんでわざわざあっちから行ったのよ。駐車場の方から出ればそのまま乗っていけるのに」


 柏木が口を挟むと睦月は口を尖らせた。


「それだと途中が上り坂だし、遠回りじゃん。林を抜けた方が早いんだよ」

「危ないでしょ。あそこは石畳だから朝露で滑ったりするのよ」

「うるさいな。それいま、関係ないだろ」


 たしかに今は口論の必要がなさそうな案件だ。

 さらに言い募ろうとする柏木を制して、俺は話の先をうながす。


「たぶん、さっき石破さんが悪霊に襲われたあたりだと思う」


 そう前置きをした睦月は詳細を語った。

 自転車を押していた睦月は不意にただならぬ気配を感じた。

 そして目を遣ると例の黒い巨人の影がすぐそばに立っていたという。

 睦月は逃げようとしたが足がすくんで動かなかった。

 辛うじてできた抵抗は自転車を巨人の方に押し倒すことだったが、それも虚しく音を響かせただけで巨人にはまったく怯む様子もなかった。


「だからさ、覚悟したんだよね。ああ、たぶん僕、殺されてあの人間たちの列に加えられるんだろうなって」

「もう、冗談でもそんな物騒なこと言わないでよ」


 柏木が目を吊り上げた。


「冗談なんかじゃない。殺気っていうのかな。初めてそういうのを感じたし、あのままだったら本当にそうなっていたと思う」


 睦月は真顔でそう反論した。


「なによ、あのままだったらって」


 柏木が訝しげに眉を寄せると睦月が不敵な感じの笑みを浮かべた。


「それがね。もうひとつ出てきたんだ」

「もうひとつって、なに、幽霊? というかその話、聞いてないけど」


 向けられた姉の胡乱げな顔に睦月はふふんと鼻を鳴らした。


「だって言ってないもん。どうせ信じないだろうって思ったから」

「なによ、それ。あんたの話を信じたからこうやって石破さんを連れてきてんでしょうが。馬鹿にするのもいい加減にしてよね」


 ついに怒り出した柏木を小雪さんがまあまあとなだめ、今度は睦月に向き直った。


「でも、むっちゃん。私も話して欲しかったな。さつきちゃんも私もみんな心配してるのよ」


 その寂しげな目つきに睦月は眉をひそめ、それから不意に神妙な顔つきになりちょこんと頭を下げた。


「ごめんなさい。でもさ、実は僕にも本当のことはよく分からなかったから」

「どういうことだ」


 問うと睦月はチラリと俺に視線を向け話の続きを始めた。


 

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