2. At the Cafe 4 - 5

2-1

「そこで石破先輩の力をお借りしたいと、まあそういうわけです」


 話し終えて、シフォンケーキの最後の一片を口に入れた柏木さつきは満足そうに頬を緩めた。

 俺はその彼女を見つめてしばし黙考した後、やおら腕組みを解く。


「なるほど。事情はよく分かった」

「あの、それじゃ」


 彼女は喜色を浮かべた。

 俺は同調するように微笑んでひとつうなずき、アイスコーヒーの底辺をストローからズズッと啜る。


「ああ、なかなか興味深い話だった。陰ながら早く解決することを祈っている。じゃあ俺はこれで。あ、コーヒーご馳走さま」


 そして立ち上がり、ゆっくりと柏木のそばを歩み去ろうとするとジャケットの袖がギュッとつかまれた。


「ちょっと待ってください」

「ん? まだなにかあるのか」


 その腕を見遣り、視線を持ち上げると柏木が眼光鋭く俺を睨み据えていた。

 彼女は訊く。


「なにかあるのか、じゃありません。なぜ協力していただけないのでしょうか。理由を教えてください」


 俺は間髪入れずに答えた。


「なぜって、めんどくさいから」


 事も無げに一言そういなすと彼女は一瞬唖然とした顔になり、それからさらに眉根を寄せた。


「石破さん、コーヒーただ飲みで逃げるつもりですか」

「それは人聞きが悪いな。どうせ話をするならケーキが美味いカフェがあるからとここへ誘ったのはお前だ。ちなみに俺はコンビニのイートインコーナーを提案したが、コーヒーぐらいは奢りますからと半ば強引に連れてきたのもお前だったと思うが、記憶違いだったか」


 ぐぬぬ……。

 柏木の喉から低い呻きが聞こえてきた。

 それを尻目にふたたび立ち去ろうとしたが、けれど袖を摘んだ指はそれでも離れない。


「しつこいぞ。いい加減に……」


 振り解こうと肘を曲げると柏木の瞳に潜む光が怪しげに揺らぐ。

 そしてフッと短く息を吐き、唐突に冷ややかな声を俺に向けた。


「できればこの手は使いたくなかったのですが、仕方ありませんね」


 凄むような目つきと口調に嘘寒いものを覚えた俺はわずかに体を引いた。


「な、なんだよ」


 柏木がニヤリと口元を歪める。


「石破さん、取引をしましょう」

「取引?」


 訝しげに言葉をなぞると彼女は鷹揚にうなずき、ようやく袖から指を離した。


「金曜日に開かれる予算委員会。そこでオカルト研究部存続の可否が議題に上がるようですね」

「なにッ!? どうしてお前がそれを……」


 意表を突かれ、思わず俺は向き直った。

 そして首筋に力が入り、表情もこわばる。

 柏木は値踏みするような目つきでその俺をひとしきり眺め、緩慢ともいえるほど落ち着いた口調で話を継ぐ。


「さて、副部長の石破先輩はこの危機をどう乗り切るおつもりでしょうか。

 ときに部長である三年生の男子はもうかれこれ一年以上部活に顔を見せたことさえない正真正銘の幽霊部員らしいですね。

 委員会はまずそれを問題にしています。

 ふふ、部長が幽霊とはいくらオカルト研究部とはいえさすがに笑えないジョークですからね。

 それにオカ研には発足以来さしたる話題性もなく、校内文化祭では眉唾物の心霊写真の展示で例年お茶を濁しているとか。

 また現在は部員もその幽霊部長を含めて三人しかいない、いわばガラクタ零細部だと私たち一年生にまでその酷評は聞こえています。

 そんな部活を存続させておく理由などないと生徒会のお歴々はすでに廃部の方向でほぼ結論を固め、予算委員会ではそれを通達するだけという手筈になっているようですけど、さてここで石破先輩にもう一度聞きましょう。

 この危難をどうすれば回避できるとお考えですか」


 微かに口角を持ち上げつつ整然とした理路を詳らかにした柏木はゆっくりとソーサーからカップを持ち上げてダージリンを啜った。

 その勝ち誇ったような所作に俺は目尻をピクつかせながら歯噛みする。


「さてはそれも綾香の入れ知恵か」

「さあ、どうでしょうか。でも先輩、廃部となれば当然予算の分配もなくなるわけで、それではずいぶんお困りになるのでは。だって毎週のしきみ代だって馬鹿にならないのでしょう。それに遠征と称する遠方の墓跡巡りの費用も当然自分のお財布からということになりますものね」


 柏木は気の毒そうな顔つきでカップを置き、俺は拳を握りしめてそれを見つめた。

 すでに立場は完全に逆転していた。

 柏木の言葉通り、俺は窮している。

 生徒会からはなにか目に見える形で実績を申告するか、あるいは最低一人は新入部員を確保しない限り次の予算は分配できないと通告を受けていた。

 ただし俺は新入部員については望みなどとうに捨てている。

 一応、四月中は勧誘のビラ配りにも努めたが、部室見学に訪れた生徒など皆無だった。全生徒が必ずなにかしらの部活に所属しなければならないという条則がある中で、三百人を超える新入生のうちの一人として部室に顔を見せないとなれば柏木の言った酷評が尾鰭どころか背鰭も胸鰭もつけて一年生の間で周知されているに違いない。

 そんな部活にいったい誰が入りたがるというのか。

 いまさら新入部員を望むなど、乾季の砂漠で雨を乞うようなものだろう。

 ならばと俺は実績について詳細なレポートを作り、それを委員会に提出することにした。十数枚に及ぶその力作はもうすでに書き上げられ、今日は帰ってその最終校正をするつもりだったのだ。きっとあれを閲読すれば予算審議会の面々も部の存続を認めるに違いないと俺はそう踏んでいる。

 俺は立ち尽くしたままその目論見を喉から絞り出した。


「だから……実績を証明するレポートを」


 たどたどしい俺の口調を柏木の含み笑いが消し去る。


「ふふふ。ありもしない実績をどう証明するんでしょう」

「何をいう。実績はある。俺が毎週のように行っている市営墓地の清掃だ。さっきお前も見ただろう」


 すると間髪を入れず柏木が指摘した。


「なるほど。でもどうでしょう。いくら墓地清掃の功績をレポートにしたためてもは審議会がうなずくほどのインパクトになるとは到底思えませんが」


 俺は即座に首を振って反論した。


「そんなことはない。現に近隣住民の間で俺の善行は称賛されているとうわさに聞く。松東学園には奇特な生徒がいるものだってな」


 そして目一杯の痩せ我慢でなんとか胸を張った俺に、けれど柏木は不審げに首をひねった。


「しかし私はそれとは別のうわさを聞きましたよ。なんでも墓参りに来ていた人と口論になって怪我をさせ、警察に事情を聞かれたとか」


 くそッ! 綾香め、そんな情報まで……。

 

 俺は拳を握り締めつつ、早口で釈明する。


「待て、それは違う。その件は全くの誤解だ。あのときはだな、酔って千鳥足になったおっさんが墓石を蹴飛ばしてたものだから注意したんだ。そしたら呂律怪しく絡んできたから俺はご先祖を冒涜する行為は回り回って自分に仇となり返ってくると切々と説いたわけだ。するとそのおっさんは難癖つけて俺に殴りかかってきて、それを避けたら勝手にすっ転んでアスファルトで顔面擦っちゃって、それでだな……」


「もういいです」


 話を遮った彼女はその突き出した片手を次に自分の正面へと差し向けて俺を誘う。

 そしてにこやかな笑みとともに目顔を周囲に巡らした。


「とりあえず座りませんか、先輩」


 

 その目線に誘われるように見渡すと、店内の客やスタッフがこぞって俺を注視していた。

 俺は拳を口に当てて咳払いをした後、よろめくように元の席に腰を下ろし、次いで顔を伏せて諦観の息を細く長く吐き出す。


 是非もない。

 

 気持ちを鎮めた俺はやがて挑むように目線を上げた。

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