2-2

「取引と言ったな。どういう意味だ」

「ようやく乗り気になっていただけましたか」


 その余裕の口ぶりに俺は用心深く対応する。


「まだ早い。条件次第だ」


 すると柏木は軽くうなずき背筋を伸ばした。


「分かりました。では申し上げます。こちらの条件はさっきお話しした問題解決に助力していただけること。そして成功すればその見返りとしてオカルト研究部の存続をお約束します。いかがですか」


 俺はへらりと唇を歪める。

 そして手を伸ばしグラスに残った小さな氷をストローでかき混ぜるとコリコリと控えめな音が鳴った。


「話にならないな。一介の一年生風情にどうして委員会の意向を変えることができるというんだ。もしかして嘆願書でも出そうというのか」


 氷の音をさせながらそう失笑すると柏木は緩やかに首を振り、それから事も無げに言った。


「さして難しいことではありませんよ。父が松東学園の代表理事を務めていますので、その関係とお考えいただいて結構です」


 そのカミングアウトにさすがに驚きを隠せなかった俺は、ストローから指を離し怪訝な顔つきで柏木を見遣った。


「代表理事……柏木……」


 小さく呟く。

 そしてようやく思い当たる。


 そうか、こいつが柏木コーポレーションの令嬢だったか。


 たしかに新入生の中にそういう者がいると小耳に挟んだことがあった気もする。

 柏木コーポレーションといえばゼネコンを主幹とする地元有数のグループ企業で我が校の経営母体の一角を担っているとも聞く。

 なるほど、ならばいましがた口にしたパワーゲームも根拠のない法螺というわけでもないのか。

 名前を聞かされた時点で彼女の正体に勘付かなかった迂闊な自分をいまさらながら呪いたい気分になったが、けれどそれでも話の筋に納得はいかない。

 俺はやおら腕組みをして顎を上げ、柏木をさらに疑わしげに見つめた。


「しかし、いくら代表理事とはいえ部活の存廃にまで口を出せるとは思えんが」


 その疑念に柏木は怪しく口角を上げ、人差し指を立てる。


「石破先輩、寄付金ですよ」

「なに? 」


 想定外の言葉の出現に俺が絶句すると柏木は両腕をテーブルにつき、少々前のめりになって含み笑いをした。


「ここだけの話ですが、当家柏木コーポレーションは初代会長ゆかりの私立松東学園に毎年潤沢な寄付金を納めています。もしオカルト研究部を廃部にすればその金額の多寡を検討し直す必要があるとでも匂わせればどうなるでしょう。学校側は泡を食って予算委員会に介入してくるに違いありません。生徒会といえど所詮は生徒の代表に過ぎないのです。その絶対的な圧力に抗してまでオカ研に手を下すような愚策は取れるはずがありませんよ」


 テーブル越しに対峙する後輩を俺はあらためて刮目した。

 見た目は楚々とした女子高生だが、中身はまるで海千山千の老獪な政治家じゃないか。そこまでの勝算があるならこの話、乗っておいて損はないかも知れない。

 ただし依頼を受けるにしてもよほど油断なく事を運ばなければ都合の良いように利用されてそれで終わりだろう。できればここはひとつ保険を掛けておきたいところだ。

 俺はひとしきり考えて頭の中に交渉の筋道を立てると慎重にその布石を置いた。


「たしかに理屈は通っているが、俺にとってはかなり危ない橋だな。それどころか飛石を踏んで対岸に渡るようなものだ。どこで足を滑らせてもおかしくはない」


 柏木は不思議そうにやや首を傾ける。


「そうでしょうか。たとえばどのあたりが危ういのでしょう」

「そうだな。まずはオカ研の存続がミッションの成功報酬であることだ。できなかった場合は無駄骨になる。それは避けたい」


 腕組みを解いた俺は膝に手を乗せ、そう言って真顔を彼女に向けた。

 すると柏木はしばし視線を斜めに浮かせた後、やがて俺を見て何度か小刻みにうなずく。


「なるほど、たしかにそうですね。分かりました。ここは協力報酬ということにしておきましょう。ただし石破さんが手を抜いていると私が判断した時点で約束は無効となります。そうなればオカルト研究部は必然的に抹消されるとお考えください」


 柏木の裁量次第というところに俺は表情を曇らせたが、この際それは仕方ないとひとつうなずく。


「了解した。それでいい。だがもうひとつ懸念がある」

「どうぞ」


 柏木は手のひらを上に向けわずかに差し出す。

 そして疑り深い相手に辟易したのか少し頬を緩めた。

 けれどその呆れたような顔つきに俺はかまわず話を続ける。


「いくら娘の頼みでもお前の父親が軽々しく生徒会に口を挟むような大人気ないことをするとはやはり俺にはちょっと考えにくい」


 その疑念に柏木はすかさず晴れやかな笑みを作った。


「その点はご安心ください。パパは私にとおっても甘いんです」


 俺は苦笑するしかない。

 安心しろと言われても「はい、そうですか」とはうなずけないのが道理だ。


「しかしそれも百パーセントとはいえないはずだ。万が一があっては困る」

「そうは言われましても、困りましたね。ではどうすればいいのでしょう」


 俺はここが勝負どころとばかりに身を乗り出した。


「そこでひとつ、俺から提案したい」

「なんでしょうか」


 柏木は首を傾けて前髪をサラリと払った。

 俺は訊く。


「ときに柏木、お前、何部に入った」

「……えっと、写真部ですが、なにか」


 予想外の質問だったのだろう。

 彼女は訝しげに眉間を寄せる。

 対して俺は挑戦的な笑みを口元に浮かべた。


「なかなかいい趣味だな。それに好都合だ」

「好都合?どういう意味でしょうか」


 俺は右肘をテーブルに突き、そこから柏木に向けてピースサインを押し出す。


「知ってるか。うちの学校、文化系の部活は二つまで兼部できるということを」


 刹那、柏木はその黒目がちな瞳を大きく見開いた。


「まさか……」

「付帯条件の追加だ。もし父君が思い通りに動かなかった場合、そのときはお前がうちに入部すること」


 柏木の顔がひきつった。

 俺は優越の笑みを彼女に向けた。

 その後、柏木はあたふたと代替案を並べ立てたが、オカルト研究部の存続のためにこれ以上の好条件はないため俺はその全てを却下した。


 やがて取引は成立した。

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