1-2
この市営墓所の最上段には一基、俺の背丈よりもずっと大きな供養塔が立っている。俺はやがてその前に立つと深々と一礼した。
塔には無縁仏碑とやや崩した文字で刻まれている。
礼を終えた俺は両傍の水鉢に樒を供え、線香に火をつけ煙にして香炉にあげた。
それからまた数歩下がり、今度は手を合わせて目を閉じ、顎を引く。
公営墓所にはたいていこのような無縁仏の
俺はしばしその場にたたずみ、この世界から完全に孤立してしまった声なき無縁者たちを悼んだ。
「あのう……」
背後でかぼそい声がしたのはそのときだった。
少しばかり驚いたがこのような不測の事態にもある程度慣れている俺はあわてない。ゆっくりと目を開けて振り向くとそこに俺と変わらない年頃の少女が立っていた。
スラリとした細身の彼女は淡い水色のワンピースに白いカーディガンを素軽く羽織っていた。そして肩までの髪を風にそよがせ、おどおどとした黒目がちな瞳を上目遣いにこちらに向けている。俺は即座に事情を察し、そんな彼女を刺激しないように努めて穏やかに声をかけた。
「キミ、迷ったんだね、可哀想に。でも心配ない。俺、ここには詳しいから帰してあげる」
「……へ?」
まさかまともに相手をされるとは思っていなかったのかもしれない。
彼女は目を丸くしたが俺は構うことなく続ける。
「えっと、どのあたりだろう。歳は十五から十八の間ぐらいかな。たしかAブロックの五段目と十一段目にそれぐらいの享年の人がいたはずだけど」
そう言ってAブロックの方を指差すと彼女は両手を前に突き出してフルフルと振った。
「あ、あの。なにか勘違いをされているのでは」
「え、もしかしてキミ、ここの人? 無縁の仏様なの? いやいや、そんなわけないでしょ。その若さで現世に縁故がなかったなんてあり得ない」
俺が笑い飛ばすと彼女はさらに大袈裟に手を振った。
「やっぱり誤解してますよね。あの、私は……」
「あ、もしかして心残りを聞いてもらいたいとか。それだったら悪いけど俺、今日はちょっと時間ないんだよね。だから別の日にしてもらうか、急ぐなら知り合いに住職さんいるから紹介しよっか」
そう提案すると彼女は心底困り果てた顔つきになり、さすがにちょっと気の毒になって俺はこう言い添える。
「でも、少しぐらいならまあいっか。うん、話を聞こう。力になれるかどうかはわからないけどね」
「あ、えっと……。話を聞いてもらいたいのはやまやまですが、ただそういう事情でもないというか……」
彼女は手を口元に当て、視線を落とした。
「そりゃそうさ。事情なんて人それぞれだからね。でも、残心にはだいたいパターンのようなものがあるのさ。で、キミの場合はなに。恨み? 心配? それともまだ死を受け入れられないとか」
俺は供養塔の石積みのひとつに腰を落ち着けてあらためて彼女を見つめる。
未練が強い証拠だ。白い肌をしているが透けてはいない。
それに戸惑いのせいか気忙しく動くそのなつめ形の瞳には、けれど強い意志を持つ光を宿している。これはきっと怨恨の線に違いないなどと刑事ドラマのようなことを考えているとやがて彼女がなにかに踏ん切りをつけるように顔を上げた。
「あの、犯人探しを手伝って欲しいんです」
俺は我が意を得たりと相槌を打つ。
「犯人? やっぱりそうか。キミ、なにか事件に巻き込まれて亡くなったんだ。それでその犯人に取り憑いて復讐したいと」
「違います」
彼女は小刻みに首を振った。
「でも、悪いことは言わない。止めた方がいいよ。だって不毛でしょ、仕返しとか。気持ちはわかるけどさ」
「だから違います」
さっきよりも声を張ってそう反論した彼女の瞳は微かに潤んで見えた。
そしてこころなしか肩がワナワナと震えている。
きっと現世でよほど悔しい想いをしたのだろうと同情した俺は、それでもあえて忠告を付け加えた。
「それより前向きに生きようよ」
彼女の顔が引き攣った。
そして奥歯を噛み締め、俺を睨みつけてくる。
俺はあわてて言い添えた。
「ああ、すまない。キミはもう死んでるわけだからなんか違うか。あ、いや、それでも来世に向けて早めに気持ちを切り替えないといつまで経っても成仏できないわけだし、それにさ……」
俺がそこまで言い募ったそのとき、彼女はまるで風船が弾けるように暴発した。
「ちゃあぁぁんと話を聞いてくださあぁぁぁいッ!」
「え……」
仰け反った俺は危うく石積みからずり落ちそうになった。
そして目を見開くと、その俺の前で彼女はハッとしたように口元に手を当て、それから赤らめた顔をうつむかせる。
「取り乱してごめんなさい。でも、あの、ホント、ちゃんと話を聞いてもらえませんか。石破先輩」
「……先輩?」
先輩ってなんだ。
なぜ通りすがりの幽霊が俺の名前を知っている。
俺は混乱して今朝食べた豆腐のように頭が真っ白になり、表情を硬らせて彼女を見つめた。すると彼女は乱れてもいないワンピースの襟を整え、それから俺にしおらしく微笑みを向ける。
「あの、申し遅れましたけど私、先輩と同じ
脳裏に真実の影が忍び寄った。
思わずごくりと喉が鳴った。
俺はその禍々しい現実が開示されることに怯えながらも持てる勇気を振り絞り、震える声で問う。
「あのさ、てことはキミ、もしかして生きてる……人?」
「はい、たぶん。これまでに死んだ覚えはないので」
諧謔の効いた返答だったと自負したのか、彼女は照れ臭そうにはにかんだ。
くらりと視界が暗転した。
まさに悪夢だった。
ありえない失態。
そして一生の不覚だった。
「阿呆よなあ、貴様は」
ミシャがどこかでくつくつと嗤う。
頭を抱えてうずくまりたい衝動に駆られたが、俺は辛うじて平静を装いつつ石積みから腰を上げた。
そして傍に置いていた焼香セットの頭陀袋を手にスッキリと晴れ渡った空を見上げた。
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