第26話

「まだ終わらないのか」

名前を呼ばれた宏がモニターを見つめて呟いた。

すべてのペアが自分の気持ちを伝え合い、すべては終わったかに思われた。


しかしゲームはまだ続いていて、アナウンスはまた宏と友美ペアを指したのだ。

けれど次の命令は過激でなくてもいいという。


それならまだやりようがあった。

衣類を身に着けた友美が近づいてくる。

「どうしましょうか?」


「そうだな。とりあえずその敬語をやめてもらおうか」

呼び捨てが定着してきてからずっと気になっていることだった。


友美はかすかに微笑んで「わかった」と、うなづいた。

さすがに会社の中で呼び捨てタメ口というわけにはいかないが、2人きりのときはこれで十分だ。


友美が満足そうに笑った瞬間、花のような甘い香りが宏の鼻腔を刺激した。

「この香りは?」

「私の香水だと思います」


それは有名なメーカーの香水だった。

今までその匂いに気がつかなかったのはどくとくの空間にいるせいだった。


宏は目を見開き、後ずさりをしていた。

友美から逃げるように体を離す。


「宏?」

友美は怪訝な表情になって宏に手を伸ばした。

その瞬間、パンッと小さな音が響いて友美の手は振り払われていた。


友美は目を見開き、そして今にも泣き出してしまいそうな表情へと変化していく。

「ご、ごめん、違うんだ」

慌てて言うが、友美は悲しそうな顔で自分の手を見下ろしている。


「この香りが、その、知っている人がつけていたものと同じで、それで」

しどろもどろになりながらも必死で説明を続ける。

決して友美を傷つけるつもりなんてなかったのだ。


今のは条件反射のようなものだった。

「……その人のこと、嫌いなんですか?」

「え……」


友美の質問に返事ができなかった。

背中に汗が流れていくのを感じ、口の中はカラカラに乾いていく。

死ぬか生きるかという状況でも、ここまで緊張はしなかったかもしれない。


一瞬、嘘をついてしまおうかと思った。

そうすればこれ以上事態がややこしくなることはない。

友美だって安心するだろう。


でも……。

宏はモニターへ視線を向けた。

他の二組が不安そうな表情でこちらを見つめている。

ここで嘘をついてどうなる?


いずれすべてバレてしまうかもしれない。

その時になって更に友美を傷つけてしまう結果になるかもしれないんだ。

それに、犯人はもしかしたらすべてを知っているのかもしれない。


自分たちの、すべてを。

「その香水をつけていた相手は……」

宏は覚悟を決めて、話始めたのだった。


☆☆☆


その香水をつけていた女性は、宏の元彼女だった。

高校時代から付き合い始め、宏が20台前半で会社を立ち上げたときも、彼女はずっとそばにいてくれた。


なかなか仕事が起動に乗らないときだも、決して宏を見放すことはなかった。

国内外で様々なイベントを行い、人々を幸せしたい。

そんな宏の夢を共に支えて、協力してくれていた。


若い子に人気のスイーツがあれば一緒に食べに出かけたし、年配に流行っているスポーツがあればそれも観戦しにいった。

とにかく沢山の流行の情報を宏に与えてくれた人だった。


彼女がいなければきっと会社も起動にのらずに倒産していたと思う。

宏は彼女と結婚するつもりでいた。

その準備も進めていた。

ずっと一緒にいて、ずっと幸せにするのは自分しかいない。


そう、強く心に決めていたのに……。

ある日、宏の元に一本の電話がかかってきた。

それは信じられない内容だった。

「落ち着いてきいてくれ。今朝、花ちゃんが交通事故にあったんだ」


それは恋人の訃報を知らせる連絡だった。

宏の頭の中は真っ白になり、どうやって喪服に着替えて祭儀場に行ったのか全く記憶になかった。

きっと、宏と花のことをよく知っている友人が助けてくれたのだろう。


葬儀場で宏は変わり果てた花と対面することになった。

死化粧をほどこされた花はとてもきれいで、だけど二度と目覚めることはない。

宏は花の棺の中に準備していた結婚指輪を入れた。


これを、今日花に渡す予定だったのだ。

花の左手薬指に光る指輪は確かに幸せの象徴だった。

それはとても物悲しく、きらめいていたのだった。


すべてを聞いたあと、友美は自分から宏と距離を置いていた。

大きな目は見開かれ、涙の膜がおおっている。

「なにそれ……」


カラカラに乾いた喉からそんな声が漏れた。

それは自分のものとは思えない声だった。

「だけど俺は、君のことが好きなんだ。この気持ちは嘘じゃない」


本当のことだと思った。

真っ直ぐすぎる瞳を見ればそれは理解できる。

だけど宏から聞いたばかりの話が友美の中で消化されるには、まだまだ時間が必要だった。


「頼む友美、俺と付き合ってくれ」

すがるような声。

友美は嬉しかった。

ずっと憧れていた宏からの告白だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る