付録

スピンオフ

あなただけを待っていた

 私はひさかたぶりにおどろいている。

 美の神と名を与えた少年、彼が自分の特別になったのだ。

 精霊と契約したと報告を受けた夜、私は美の神を寝所しんじょに呼びだした。

「主神様はリンをご存じだったのですか?」

「ああ、私の精霊、ウェルの同源どうげんだよ。」

 おいで、と少年に手まねきする。彼が私のとなりに座る。温かい。人肌ひとはだれるのもひさかたぶりだ。昔の仲間に忘れられ、なんとなれば敬遠けいえんされている私は、ずっと自分のついになる存在を求めていた。それがこの少年だったのか。

「君には私が呼ぶための名前をあげよう。美の神、だけでは他の人たちと区別できないからね……。……そうだな、……ラインハルト、と呼ぼう。」

 ラインハルト。意味は、じゅんしん。これから私のためだけに生きてほしい。そんな勝手がってな思いを名に乗せる。

「ラインハルト……私の名前……」

 少年がほほめる。私は年をとらないから、外見は彼より少し大人なだけだ。しかし実際には、もう千年以上生きている。昔の仲間も無理に長命種としたから、そこから生まれる子供達も皆長命種だ。ラインハルトもきっと、この先数千年を生きるだろう。

 長命種は大人の姿まではゆるやかに成長し、そこから不老となる。完全に時の止まった自分とは、また違う。昔の仲間たちが私を遠ざけるので、彼らと永遠えいえんを生きたくなくて、でもやっぱりひとりはさびしそうだと思って、そういう種に作りかえた。

 ラインハルトは違う、彼は最初から長命種で、記憶の断絶だんぜつもない。そして、私のことを主神様と呼びしたってくれる。私は彼を抱きしめた。

「うつくしい子、私のラインハルト。君が生まれてきてくれて良かった。君は私のもとでこれからリンと共に私を支えてくれるね?」

「はい、主神様。……主神様にはお名前はないのですか?」

 聞かれて私はだまった。レオンの名を教えるか迷う。彼に名を呼ばれたら、どれほど自分は救われるだろう。ながどくむくわれるだろう。

 しかし、その名前はまわしい記憶とも地続きだ。一度は仲間の名として、にくからん相手の名として呼ばれたその名前。それを呼んだ者達は今もそばにいて、そして、今も私に絶望を与えつづけている。

「……名前などないよ。私に名前などらない。君、とでもあなた、とでも呼べば良い。」

「そう、なのですね……」

 少年は残念そうにうつむいた。このうつくしい子にレオンなどと呼ばれたら、そして再び失ったら、今度こそ自分は狂ってしまうだろう。

「私が名前をお付けしてもいいですか?」

「やめてくれ! 私は名前には良い思い出がない。もう、捨てたんだよ。ラインハルト、お前は特別だが、私と対等だとは思わないように。」

「はい……」

 少しおどしすぎたか。ラインハルトはうっかり私の逆鱗げきりんに触れたきんちょうで固まってしまっていた。私はわれに返り、笑顔を作ってラインハルトを抱きよせた。人肌とは、これほど気持ちの良いものだったのか。

「……ラインハルト。私にその命、ささげてくれるか?」

「……なにを、なさるのですか?」

「今からお前を支配するのだよ。大丈夫、悪いようにはしない。私の特別になるためのしき……とでも思ってくれればいい。」

「それでしたら、喜んで。」

 うつくしい少年は屈託くったくなく微笑ほほえんだ。

 私は、主神。

 世界に自由をうばわれつづける男。

 なれば一人くらい、私に自由を奪われつづける男がいても、良いだろう。

「お前は私のものだ、ラインハルト……」



 千年、った。

 ラインハルトは成熟し、うつくしい夜のしんとなった。

 レオンは変わらない。

 レオンだけが変わらないのだ。

「……ラインハルト」

「はい」

 くうに呼びかければ、すぐさまてんしてくる彼の最愛の人。

「風のは、どうなった……?」

「ご安心を。第三聖獣のみどりわしともども、深淵しんえん廻廊かいろうに落とすことに成功しました。」

「……そうか。」

 それは、共に戦ったかつての仲間との、これまで先ばしにしてきた、決定的な訣別けつべつだった。

「………サンリア……」

 レオンはぽつりと古い友の名を呼ぶ。ラインハルトが耳聡みみざとく聞きつけて首をかしげる。

「? なにかおっしゃいましたか?」

「……いや。心を、私の心を、とむらっているところだ……」

「……主神様。私が、おります。」

「ああ……」

「私は、あなたのおそばに……」

「そうだな……」

「……私では、足りませんか。」

「…………少し、黙っていてくれないか。」

「……。」

 つれなく寝所に戻るレオンを、ラインハルトは追いかけた。その目がりあがっていく。美の神としてあるまじきみにく瞋恚しんにかお。しかし、振りむかないレオンはそのようすに気づかなかった。

 寝台のそばまでレオンが来た時、突然背後から突きとばされ寝台にうつせに倒れる。

「……私がここにいるというのに。」

 背後から聞こえるラインハルトの声が、ふるえている。

 寝返りをうって振りむこうとすると、上に乗られてうつ伏せのまま押さえつけられた。

「……ラインハルト。」

「私には、あなたしかいないというのに。主神。あなたは、君は、なぜ私を見ないんだ。」

「この体勢たいせいでは見られないだろう。見せてみろ。」

「……いやだ。今の私は、うつくしくない。あなたがのぞんだ私ではない。」

 ラインハルトがはげしく首を振ったらしい。レオンのうなじにラインハルトの髪がこすれる。

「……なら、出ていけ。」

「お断りだ。もう子供の頃の私ではない……」

「……なら、なんだというのだ。」

「私は……今の私は、あなたが生んだ怪物かいぶつだ。あなたがこの身に何度も教えこんだれいじゅう狂気あい。それが、今度はあなたを食らわんとしている。

 私は、私だけのあなたがいい。あの頃から変わらないその小さな体、私にくれないか。レオン……」

「貴様。どこでその名を!」

 主神の背中から薄虹色うすにじいろかがやく大きなつばさが生える。昼の大精霊ウェルの力だ。ラインハルトは夜の大精霊リンの力をうでに借りて、全身ぜんしん全霊ぜんれいで彼をおさえこむ。今は夜、かろうじてラインハルトの方が上回った。

「……風の神が、あなたのことをそう呼んでいた。今更いまさら思いだしてごめんなさい、と……」

「……クソッ……」

 レオンから少し力が抜ける。本当に今更だ、ふざけるな。しかし、涙が勝手にあふれてくる。もう戻れない昔を思いだして心が痛む。もう、こんな心、とっくに無くなったと思っていたのに。

「……レオン。あなたは……」

 ラインハルトがなにか言おうとする。レオンは権能を発動させて、ラインハルトから自分の名前の記憶を消した。

「……あなたは……、あれ? ……おかしい、私はあなたの名前を得た、はずなのに……」

「忘れろ。お前には不要な情報だ。」

「まさかあなたが……なぜ、なぜ……」

 ラインハルトの顔が悲しみにゆがむ。

「私の名を呼んだ者は皆私を裏切ってきた。忘れられる名なら最初から知らない方がいい。」

「……私すら、信じられぬというのか……」

「世界が、そうなっているのだ。個人の意志など関係ない。」

「どういう……」

「私は、つかれた。もう、好きにしろ……」

 主神の体から力が抜ける。

「良いんですか。今の私は、好きにしますよ。」


 主神は何も答えない。

 ラインハルトがわめきながら、謝りながら、泣きながら手ひどく彼を痛めつけても、何も答えなかった。



 そこから更に、三千年。

 生きるしかばねと化した主神をやがてこの手に掛け、世界を一度滅ぼし、新しい世界の神となった私はついに、転生した主神と邂逅かいこうした。

 邂逅した、なんておだやかなものではない。気づいた時には、新しい世界の神の座を、主神に取りもどされていた。

 私にその代替わりの記憶は全くない。きっとまた、主神が都合つごうな記憶として消去したのだろう。だが、私は全く気にならなかった。彼が再び、自分のことをラインハルトと呼んでくれたのだ。三千年の時をて、奇跡のようなめぐりあわせで、再び彼のそばにつかえることを許されたのだ。

 しかも、新しい主神は私に、笑顔すら見せてくれた。そんなに元気な彼を見たのは何千年ぶりだろう。もう、二度と、失わせない。私は固くちかった。


 それは突然やってきた。主神がひとりで居たそうにしていたので見守っていると、彼は急に苦しそうにうずくまった。

「主神様!?」

「……あ、ラインハルト……」

 主神が私に手を伸ばす。私はすぐにその手を取った。顔色がとても悪い。くちびるふるえている。何が起きたのか分からないが、恐怖か絶望か、そういう内なるなにかにおそわれているようだった。

「私がここにおります、主神様。私はいつでも、何があってもあなたの味方です。」

 私は主神を腕の中に抱きよせた。

 この人は、やはり、たましいんでいる。転生前と同じく、なにかに絶望している。あの時と違うのは、あきらめてしまう前のなまなましい傷の段階で、私がそばにいてやれるということだ。今度は私が守ってみせる。私にはあなたが必要で、あなたには私が必要なのだ。

「ラインハルト、俺は……」

「あなたをください。なぜそんなに苦しんでいるのか、私には分かりませんが、あなたを苦しみから解放してあげたい。なにも余計なことを考えられないくらい、良くしてあげますから……」

 否定の言葉が主神の口から出ようとしたのをさっし、私は彼の唇を唇でふさいだ。主神はのけぞって逃げようとしたので、頭をつかんで逃げられないようにした。片手で掴める程度の弱々しい抵抗ていこうだった。

 転生前には数えきれないほど交わした口づけ。あなたがよろこぶことは全てじゅくしている。はるか遠い記憶になっていても、ほら、私の体はあなたをおぼえているし、転生しても、ほら、あなたの体は私のっているあなたと同じだ。

 主神の唇の震えが収まったようだ。顔を赤くして言葉を失っている。それは見たことのない表情かおだな、と私は思わず微笑んだ。なつかしい、新しいあなた。かつてあなたに注がれたあいを、今返そう。

 投影を解除し、彼をかかえてやかたに戻る。健康的なその体は、記憶より筋肉が多い。きっと神になる前にはかなりの鍛錬たんれんを積んでいたのだろう。彼はラストリゾートという名の剣を所持していた。その剣で、私のことを、つらぬいてくれたに違いない。うつくしい漆黒しっこく刀身とうしんを持つ、私のためにあるような剣。その剣で、私から主神の座を取りもどしてくれた。かつてあなたのために世界に身をささげた私に、むくいてくれた。

「主神様……私はあなたの全てを分かっています。怖がらないでまかせてくださいね?」

 おびえた目をする彼に、私は微笑んだ。怯えながらも明確にこばまないのは、彼にも魂の記憶があるからか、それともなんでもいいからそばにいてほしいのか。かまわない、きっとすぐに再び、離れがたい二人となるだろう。私はそう確信していた。

「私を覚えて……私を思いだして……永遠に、共に生きましょう。あなたはうつくしい。こんなにも生きている。愛しています、私の主神様」



「なあ、俺は前、なんていう名前だったんだ?」

 数日後、主神は突然そんなことを聞いてきた。

「……ぞんじあげません。主神様は主神様、でした。」

「そっか。じゃあ、俺のことはレオンで良いよ。主神様なんてガラじゃないし、俺だけ呼びすてなのもなんとなくごこ悪いし」

「……レオン、と。お呼びすてして、良いのですか。」

「うん? 俺今そう言ったよな?」

「はい……ええ、はい! レオン……! 光栄です、レオン、レオン……」

 ……ああ、四千年の時をついやして、ついに私はそれを得た。もう、絶対に忘れない。

「うーん……だって俺とお前しかいないし、さ。……聞いてるか? そんなに嬉しいものか……?」

 私はレオンの手を取り、その甲に口づけをした。

「初めてあなたと対等になれた。レオン。私はようやくあなたのとなりに立てる。私より強く、正しい方。」


 私達は、割られた半身。ついに二人は一つになった。もう何者も私達を引きはなせない。

 レオン。こんな世界を作った私は、世界を再びほろぼそうとした私は、それでも心の奥底でずっと、ただあなたにがれて。

 あなただけを待っていたのです。

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七神剣の森【全年齢版】 千艸(ちぐさ) @e_chigusa

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